第104話

「宏章、お前な! 久しぶりに連絡を寄越したかと思えば、結婚するだって? 二十五にもなって、マイペースが過ぎるだろうが」

 

 うさぎやの店内に、お兄さんの声が響く。お兄さんは、テーブル席に窮屈そうに納まって、ぷりぷりと怒っていた。

 宏兄が、悪びれない笑顔で肩を竦める。

 

「兄貴こそ。朝めしどきに来るなんて、まあまあ非常識だぞ? せめて、電話くらいして欲しかったぜ」

「やかましいッ。相も変わらず、口の減らねえ奴だな!」

 

 眉を怒らせたお兄さんが、ドンとテーブルを叩く。

 強いアルファの覇気が、ぱっと放たれて、ぼくはびくりと肩を震わせた。

 

 ――わああ……めっちゃ怒ってはる……!

 

 ぼくは、カウンターの中でコーヒーの準備をしながら、こわごわと伺う。

 お兄さん、すごい剣幕。――さっきも、きょとんとする宏兄に、闘牛のように突進して行かはってね。

 

「宏章、てめえ!」

「うわっ……なんだよ兄貴?」

 

 すごい勢いで、肩を組んだかと思ったら、問答無用でお店の中に連行しちゃったんよ。

 それから、お二人で顔を突き合わせて、話してはるんやけど……お兄さんの眉間の皺は、ずっと海溝みたいやった。

 

 ――うう……何とかしなくちゃっ。

 

 ぼくは、ポットからコーヒーを注ぐ。意を決し、お盆にカップを乗せ、カウンターの外へ回りでた。

 

「あ、あのっ!」

「ん?」

 

 切れ長の目が二揃い、こっちに向く。すごい迫力にたじろぎつつ、コーヒーを差し出した。

 

「お待たせいたしましたっ、ホットコーヒーです」

 

 ああ、つい接客口調。頬が熱くなるのを感じた。宏兄が、眉をハの字にして、片手を上げる。

 

「ありがとう、成。任せきりでごめんな」

「う、ううんっ。これくらい……」

 

 お盆を抱えて、頭を振る。ぼくの方こそ、宏兄にお兄さんのお相手を任せっきりやったもんね。そっ、とお兄さんを窺うと、ばちりと目が合った。

 

「……!」 

「ああ、ありがとう」

 

 お兄さんは軽く会釈し、カップに手を伸ばした。怒鳴り声から一転、穏やかな声音に少し驚く。

 湯気をかいで、コーヒーの香りを楽しんでいるその人は、さっきまで怒鳴りまくっていた人と、同一人物に思えなかった。

 

「うん、美味い。――悪かったな、きみ。おっさん二人が騒がしくて」

「あ、いえ……そんなことないですよっ」

「えー。俺はまだ若いんだけど」

「黙れ、とっつぁん坊や」

  

 不満そうに口を尖らせた宏兄に、お兄さんがすかさず毒づく。

 ぽんぽんと繰り広げられる軽口の応酬に、ぼくはポカンとしてしまった。言葉はきついけど、二人とも表情は険悪じゃなかった。兄弟って、そういうものなんやろうか?

 

 ――そうだ。いまこそ、ぼくもご挨拶するんや……!

 

 ここが、自己紹介のチャンスにちがいない。

 そう意気込んで、お兄さんに向き直る。

 

「あのっ。ご挨拶が、遅れましてすみません。このたび、宏章さんと――」

 

 気をつけをして、声を張り上げた……そのとき。

 

「ずいぶん可愛いらしい子だな。婚約者の弟さんか?」

 

 カップに口をつけながら、お兄さんが言った。切れ長の目には、和やかな微笑みが乗っている。

 

「えっ」

「こんにちは。お兄さんの手伝いして、えらいな」

「えっえっ」

「ところで、本人はどこなんだ。宏章お前、俺に会わせまいと隠してるのか?」

 

 な、なんだか、子どもを見る様な目でみられているような。こちん、と固まっていると、宏兄が「ん?」と眉根を寄せた。

 

「何言ってんだ、兄貴。この子が、俺の伴侶だぞ。な?」


 そう言って、優しく笑いかけられる。ぼくは、勇気を得て前に進み出た。


「はいっ。ぼくは、春日成己と申します。宏章さんと結婚を前提に、お付き合いさせて頂いております!」

 

 がばりと頭を下げる。数秒の沈黙の後――お兄さんの素っ頓狂な声が、響いた。

 

「はあ~?」

 

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