第102話

 たっぷり遊んで、駐車場に戻ったころには、すっかり陽が落ちていた。

 背の高いビルの群は皓々としていて、四角い光の塊みたいやった。お昼に見た建物を夜に見るのって、不思議やね。わけもなく、寂しいような気持ちになっちゃう……

 ぼくは、宏兄の車の助手席に乗り込んで、シートベルトをつけた。

 

「ふぅ……」

 

 シートに身を沈めると、息が漏れた。運転席でシートベルトを締めていた宏兄が、くすりと笑う。

 

「疲れたか?」

「あっ。ううん……! ちょっと、はしゃぎすぎちゃって」

 

 ぼくは慌てて、にっこり笑った。

 ほんとうに、嘘やない。――喫茶店で、ホットケーキを半分こしたり。上映がはじまったばかりの映画を観て。晩ごはんに、美味しい釜めしを食べながら、映画の感想を話して……

 

「すっごく楽しかったよ。連れてきてくれて、ありがとう」

 

 身振り手振りしながら話すと、宏兄は大きな手で頭を撫でてくれた。

 

「どういたしまして。俺も、凄く楽しかったよ」

「ほんとっ?」

「ああ。また遊ぼうな」

 

 じっと見上げると、宏兄はにこにこと頷く。上機嫌な様子に、ぼくはほうと息を吐いた。

 

 ――良かったあ……

 

 宏兄は、目いっぱいぼくを気遣ってくれたんやもん。悲しい誤解は、してほしくなかった。

 

「安全運転でゆっくり帰るから。ゆったりしてな」

「はいっ。お願いします」

 

 ぴっと敬礼したら、宏兄は低く笑った。

 車がゆったりと発進し、駐車場を出て大通りに出る。……黒い影のような車の一群にまぎれて、宏兄の車は家に向かって走り出した。

 

「……」

 

 車内には、静かなバラードが流れてる。

 ハンドルを操る宏兄の、穏やかな横顔を盗み見て……ぼくは、肩を落とした。

 

 ――……ああ、せやけど。どうしよう……

  

 我にかえると、お兄さんとの面会を悩んじゃう。

 宏兄は、励ましてくれたけど……やっぱり、ご家族には認めてもらいたいもん。

 

 ――でないと……陽平のときみたいに、駄目になっちゃうかもしれない……

 

 ぼくは、陽平のご家族と初めて会ったときのことを思い返した。

 

 

 

 

 

「成己さん。あなた、城山グループがどういう企業かご存知?」

 

 華奢な指が、ワイングラスを揺らしてる。

 黒いドレスをまとったお義母さんは、とても綺麗で。終始、挑むような眼差しをしてた。

 

「はいっ。人の温もりを大切にされてる企業だと思います。伝統的なおもてなしを……人による接客を徹底されている百貨店は、城山さん以外にないです」

 

 ご飯の間――何気ないタイミングで投げかけられる質問。そういうこともあろうかと、事前に答えを準備してきた、ぼくやったけど――

 

「インターネットで適当に調べた、って感じの答えねぇ。あなた、うちの主力が何か知ってるの?」

「えと……城山工業です。とくに、介護ロボットでトップシェアをお持ちだと、うかがいました。あ……センターの職員さんにも、ご高齢のご両親を支えてる方がいてるんです。城山さんのロボットのおかげで、家族の笑い合う時間が持てたって……本当に、喜んでいて」

 

 お義母さんは頭痛がするように、米神を細い指で揉んでいた。

 

「露骨な点数稼ぎはいいの。――あと、それは労働力を機械化する重要性の裏付けよね? あなたの述べた印象、まったく見当違いじゃない?」

「は、はい……でも、機械が人の手助けをしてくれるから。大切な人とゆっくり過ごす時間がたくさん持てるというか……!」 

「こ・じ・づ・け。私、考えのシツコイ子ってやだわ」

「あ、あはは……」

 

 ――どうしよう、ぜんぜんダメやわ……

 

 思いがけず、親友の婚約者になれて、浮ついていた自分を痛感する。

 ぼくが話すごとに、陽平も気まずそうになってくし……美味しそうなお料理やったけど、ぜんぜん味がわからへんかった。

 

「すみません。勉強不足で、お恥ずかしいです」

「本当ね」

 

 もう、気分的には豆粒やった。俯いたらよけいに情けないから、なんとかニコニコしてたんやけど。

 

「ねーえ、あなた。私、不安だわ……この子じゃ陽平ちゃんを支えられるか、わからないもの」 

 

 お義母さんは、隣でずっと話を聞いていたお義父さんに、甘い声で訴えた。

 

「……」

 

 華やかで繊細な陽平と正反対の、厳しい印象の人。黙っていても、大きなグループの責任者としての気迫が、迸っているみたいやった。

 

 ――挨拶してから、ぜんぜん笑ってへん……やっぱり、ぼくがどんくさくて、怒ってはるのやろか……

 

 お義父さんが口を開いたときが、破談の瞬間やないかなって、怖くって。

 陽平もそれを感じてるのか、まとう雰囲気が張り詰めていた。 

 

「父さん、俺は……」

「いいだろう」

 

 焦るように口を開いた陽平に、お義父さんがかぶせる。

 あんまりアッサリしてたから、それが肯定の言葉やって、すぐ気付けないくらいやった。

 

「えっ。あなた……」

「陽平が選んだ人なら、どこの誰であれ構わない。そう決めていたじゃないか」

「そうだけど。でもっ……」

「彼の拙いところは、君が仕込んでやりなさい。城山家の者として相応しいように」

 

 そう言うと、厳しい眼がこちらに向いた。

 

「成己さん。あなたは、陽平と結婚する意志があるんですね?」

「あ……はいっ。陽平さんと、一緒にいたいです。ずっと……!」

 

 慌てて頷くと、お義父さんは息を吐いた。

 

「陽平」

「はい、父さん」

「近々、センターへ手続きに行く。なんとか予定を調整するから、お前もそのつもりでいなさい」

「……っありがとうございます」

 

 陽平が、安堵したように頭を下げる。ぼくも、一緒に頭を下げた。

 こっそり見た、陽平の横顔には汗が滲んでて……よほど心配をかけたみたい。

 

 ――ぼく……これから、もっと頑張らなくちゃ。 

 

 もっと、たくさん勉強しよう。……今は拙くても、ぼくが陽平を支えられるようになる。

 いつか……ぼくを、家族と認めて貰えるように。

 そう、思ったん。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る