第100話

「センターへ行った日に、成と結婚するって電話したんだよ。留守電だったんだけどさ、今朝やっと録音を聞いたみたいで、泡食ってかけてきてなー。んで、お前に会いに来たいそうなんだ」

 

 のほほんとした宏兄の言葉に、絶句してしまったのが、二時間ほど前のこと。ぼくは、素敵な匂いのする試着室で、半裸になって呻いていた。

 

「はぅ~……」

 

 宏兄のお兄さんと、会うのかあ。

 びっくりしたけど、婚姻を結ぶんやもん。宏兄のご家族にご挨拶するのは、当然のミッションやんね。

 ……とは言え。

 

「う~……どうしよう?」

 

 ぼくは、サマーニットを手に取ったまま、うんうん呻く。

 ど、どうしようも、こうしようもないのはわかってるんよ。

 でも……不安で仕方ないねん。

 

 ――ぼく……宏兄のご家族に、受け入れてもらえるかなぁ……?


 宏兄とは、ずっと幼馴染やけど。ご家族との面識は殆ど無いから……ほんとに未知数なんやもの。

 うまくいかなかった、城山のお義母さんとの関係を思うと、ずんと気持ちが落ち込んでしまう。

 

『センターでは甘やかされてたんでしょ。陽平ちゃんのこと、支えられるの?』

 

 今にして思えば……お義母さんには、最初からあまり好かれてなかった気がする。

 お義父さんが、「陽平の選んだ人なら」って後押ししてくれたから、何とか縁談がまとまったけど。そのお義父さんも……ぼくについては、ノーコメントやったもん。

 

 ――でも、今度は……今度こそ、失敗できひんからね。

 

 きゅ、と胸が痛む。

 鏡で自分を見てみれば……へにゃんと眉の下がった、頼りない顔をしてた。

 

「はあ。不安~……」

「成ー、着られたか?」

 

 深くため息をついたとき――外から、大らかな声に呼びかけられた。

 ぼくは、待ち人の存在を思い出す。

 

 ――ああっ。試着の最中なんやった……!

 

 すっかり、物思いに耽っちゃってた。

 ぼくは、ニットに腕を通し、おっかなびっくり頭を抜く。……綿毛みたいにやわらかくて、軽い。


「わぁ……」


 陽平の着てた服みたい。

 鏡を覗き、着こなしを整えて――試着室のドアを開ける。

 

「はいっ。お待たせしましたっ」

「……おっ!」

 

 出ていくと……待ち構えていた宏兄が、ぱっと笑顔になる。一歩離れて、ぼくをつくづくと見つめ――何度も深く頷いている。

 

「やっぱり、すごく可愛いじゃないか! さっきのパンツとも合いそうだし、買うっきゃないな」

「えっ……!」

 

 はしゃぐ宏兄に、ぎょっと目をむく。

 

 ――もう、パンツ四本に、トップスを三着も買ってくれてるのに……!?

 

 羽ばたき去って行くお金が頭に浮かび、ぼくは慄いた。

 

「ま、待って、ひろに……」

「すみません、これも下さい。あと、これに合いそうなスカーフも、何枚か見せて貰えますか?」

「かしこまりました、宏章様」

 

 止める間もなく、店員さんを振り返った宏兄は、ぱっぱとお買い上げしてしまった。店員さんは恭しく頭を下げて、絨毯の上を滑るように歩み去ってしまう。

 ぼくは慌てて、宏兄の腕を掴んだ。

 

「ん? どした」

「ひ、宏兄。こんなにたくさん、悪いよっ。この前も、買ってきてもらったのに……」

 

 コソコソと耳打ちすると、宏兄は破顔する。

 

「なんだ。成は遠慮しいだなあ。こんなん、全然買ったうちに入らないぞ?」

 

 シーズンごとに、クローゼットは満杯にしないとな、と恐ろしいことを言われ、震撼する。

 

「いえいえ! もう、十分っ――」

「いいから、いいから。成も一緒に、楽しもうぜ……お。このシャツとか、好きそうな感じじゃないか?」

 

 うきうきした顔で、宏兄が服の山を作り出す。その背中に、猛烈な既視感を覚え――ハッとする。

 トレンディドラマの、おじいちゃんが孫にお菓子を買ってあげる図……!

 

「ひ、宏兄……! ぼくのだけ、買っちゃダメ! せめて、宏兄の服を買って……!」

 

 ぼくは、うんうん悩んでたことも忘れ――宏兄を押しとどめるのに、奮闘することになった。

 

 

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