第44話

「ちょっと、陽平っ。待ってってば!」

 

 ずんずんと庭園通路を歩く陽平に、ぼくは抗議する。けど、陽平はぼくを丸っと無視して、足を止めない。

 

 ――なんなん、急に……! 朝からずっと、ぼくの話は聞かんで……!

 

 あんまり勝手なことばっかされて、流石にムッとした。ぼくは足に力を込めて踏ん張ると、腕をぶんと振り下ろす。ぱっ……と陽平の手が外れて、自由になった。

 

「もうっ、ええ加減にして。話があるなら、ここでしてよ。やないと、ぼく戻るから!」

「はあ?」

 

 陽平は、鋭く舌打ちをする。不愉快そうな響きに怯みそうになるも――ぼくは、きっと睨みつけた。ここで負けてるようじゃ、話し合いなんか土台無理やもん。

 

「陽平。黙ってても、わかりっこないやん。何か不満があるなら、ちゃんと話して?」

 

 紅茶色の目を見つめ、訴える。ぼくと陽平は、ケンカだっていっぱいしてきた。その度、お互いの気持ちを正直に言い合って、仲直りしてきたはず。

 

「陽平……」

 

 押し黙る陽平を、思いを込めて呼ぶ。

 今回だって、ちゃんと仲直りしたい。――じっと反応を待っていると、さあっと風が通り過ぎていく。

 

「お前、マジで言ってんの?」

「え……」

 

 冷たい声に、どきりと不穏に鼓動が跳ねる。陽平は、ずかずかと歩み寄ってきて、ぼくの肩を強く掴んだ。――ぎり、と指が食い込んで、痛みに呻く。

 

「痛いっ。やめて」

「うるせえ」

 

 乱暴にぼくを引き寄せた陽平が、小さく鼻を鳴らす。米神を、吐息が撫でたと思ったら、勢いよく突き放された。

 

「あっ!」

 

 ぼくは縺れる足で、なんとか転ぶのを堪える。――なんで、こんなことするん! 混乱しながら陽平を見れば、冷たい表情を浮かべている。

 

「臭いんだよ、お前」

「くさ……っ!?」

 

 ひどすぎる言葉に絶句した。――羞恥に、頬がカッと燃える。思わず、わが身を庇うように抱くと、陽平がふんと鼻で笑う。

 

「他のアルファの匂い、ぷんぷんさせやがって。どんだけ、あの男とベタベタしてたんだか……そんなんで、よく「話そう」なんて言えるよな」

 

 他に言う事あんじゃねーの、と陽平は尖った声で言う。


「な……」


 ぼくは、宏兄のことをまるで不貞の相手のように言われ、ぎょっとする。

 流石に聞き捨てなら無くて、勇気を奮った。

 

「なにそれっ……そんな言い方なくない? 宏兄は、ぼくを心配して来てくれただけやもん!」

「はぁ?」

「今日、どうしても外に出なあかんくて……でも、ひとりは危ないから、宏兄に「ついて来て」ってお願いしただけ。陽平が、おらんからやろっ」

 

 そうやんか。そもそも、陽平が近藤さんを殴って、放りっぱなしにしとるから。

 話したいって言うてんのに、無視してくるから、ぼくが勝手に動く羽目になるんやないの。


 ――それやのに、宏兄まで巻き込んで、悪く言うなんて許せへん……!


 むかむかする胸が、焼けるように熱くなる。

 

「宏兄は! 忙しいのに、わざわざ時間取って来てくれたんや。それを、ベタベタしてたとかっ……失礼なこと言わんといて!」

 

 きっぱり言い切って、睨みつけてやる。

 すると――陽平は「うるせえ」と低く唸った。

 

「宏兄、宏兄って……興味ねえんだよ! 大体、俺の都合がつかなきゃ、すぐに他の男を頼んのか? お前のそういうとこが、浮ついてるってんだ」

「……は……?」

「晶とは大違いだ。あいつならそんな真似できない――考えもしないだろうな!」


 陽平の怒鳴り声に、空気がびりびり震えた。

 アルファの怒りに当てられ、腕に鳥肌が立つ。――ぼくは、唖然とした。


――ぼくが、浮ついてる……? 蓑崎さんと違って?


 ぼんやりと定まらない思考に、陽平に庇われる蓑崎さんの姿が浮かんだ。そして、彼を大切に守る陽平の姿も……

 ずき、と胸が痛む。 


「なんで、そんなこと言うん……!」


 陽平は、苛立たしげにため息を吐いた。


「とにかく――俺の婚約者だって自覚持て。だらしない真似して、俺に恥をかかせんな」


 そう言い捨てて、陽平は歩き去る。センターに戻るんやなくて、外へ。

 蓑崎さんとこへ戻らんのや……ホッとしてる自分がいて、乾いた笑いがこぼれる。


「……って……なんで、そんなことにホッとせなあかんの?! 陽平のアホッ!」


 もう見えへん背中に怒鳴って、しゃがみこむ。


 浮ついてるって、なに?

 婚約者として自覚を持てって、なに? 


 陽平に投げつけられた言葉が、頭の中をぐるぐる巡って、目が回りそうになる。


――ひどい! 蓑崎さんばっかりで……ぼくを放ったらかしてるのは、陽平やんか……!


 悔しくて、悲しくて……喉の奥でううと声が潰れた。昨夜から、こんなんばっかり。


「……っ」


 膝に顔を埋めていると、どこからか地面を踏む音がする。

 強い風が吹き、植え込みがサアッ……と葉擦れの音を立て――その向こうから、近づいてくる人があった。


「……成!」


 ぼくをみとめた宏兄の表情が、安堵にほころぶ。


「……宏兄、どうして」


 陽平がじぐざぐに歩いたせいで、いつものルートと違うのに。

 ぼうっとしていると、宏兄が駆け寄ってきた。


「良かった、成」


 宏兄の頬に汗が光る。きっと、たくさん探してくれたから……。

 ぼくは、泣きたい気分が増して、くしゃと顔を歪めた。


「宏兄っ……」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る