第8話

 駅近くの商店街をぬけた先の、のどかな住宅街に宏兄の営む喫茶店『うさぎや』はある。

 カウンター席と、テーブル席がひとつだけの小さなお店でね。週三日、午後二時から午後六時までと、営業スタイルもかなり自由。

 でも、宏兄の作るおいしい軽食と、のんびりした雰囲気を楽しみに来る常連さんで、いつも賑わってるんだ。

 そんでね。ぼくは、だいたい週三回くらい、ここでバイトさせてもらってるんよ。

 

『成己さんは、陽平を内で支えてあげてくれないか。それに、出来る限り早く孫の顔が見たい』

 

 城山のお義父さんの希望で、ぼくは高校卒業後すぐ家庭に入った。生活の一切は心配せんでええって言われたんやけど、やっぱり自分の貯金はちょっとでも欲しくて、働きに出ようと思ったん。

 でも、仕事がぜんぜん見つからんくて――困り果てたぼくを拾ってくれたんが、宏兄やった。

 

『うち、週三日しか営業しないし、俺の本業の都合で不定休にするから、バイト雇いにくくてさ。成が来てくれると助かるよ』

 

 最初、遠慮しようとしたら、そんな風にまで言ってくれて。本当に、ありがたいって思った。

 やからぼく、その恩に応えたいと思ってるんよ――

 


 

 

「ぱく……もぐっ」

 

 お客さんたちのお喋りがさざめく店内――

 ぼくはまかないと称し、キッチンに面したカウンター席のすみっこで、半日ぶりのごはんにパクついていた。

 

「……ふー。ごちそうさまでしたっ」

 

 すっかり空になったお皿に、ぱんと両手を合わせる。

 山盛りのナポリタンと大きいチキンカツが、あっという間に消えちゃった。われながら、どれだけお腹が減ってたんやろ? とびっくりする。

 

「おそまつ様。腹いっぱいになったか?」

 

 紺色のエプロンをつけた宏兄は、カウンターに頬杖をついて言う。子供を見るような優しい眼差しに、ぼくはすこし照れながら頷く。

 

「うん……すっっごい、おいしかったぁ」

「ははは。そりゃ、良かった」

 

 唇を舐めると甘いケチャップの味がして、おいしいご飯の余韻に目じりがとろんとなる。「かわいいなあ」と、カウンター越しに伸びてきた大きな手に、髪をわしわしとかき回された。

 ぼくはハッとして、頭を引く。

 

「もう、あかんよ! ご飯作るんやから、余計なもんさわらんといてっ」

「えー、そっちか?」

「そっち! っていうより、それしかないしっ」

 

 目を丸くする宏兄を、頭を押さえてにらむ。すると――隣から、明るい笑い声が立った。

 

「いやあ。店長と成ちゃん、本当に仲がいいよなあ!」

「ああ、妬けちまうわ」

 

 見れば、常連のおじさんたちがにやにやと顔一杯に笑みを浮かべている。しまった、お客さんのこと忘れてた……! ぼくは、気の抜けた内向きのやりとりを披露していたことに、頬が熱くなった。

 

「ご、ごめんなさいっ。お客さんの前で、大騒ぎしちゃって」

「いやいや、いいんだよ」

「成ちゃん、食べたばっかだろ。ゆっくりしてな」

 

 慌ててお皿を片していると、皆さんは口々に和やかに許してくれる。『うさぎや』のお客さんは、店主の人柄なのか、鷹揚で優しい人が多い。

 だからって、それに甘えてるわけにいかへんよね。「あはは……」と無意味に笑いながら、お皿を抱えてカウンターの中へ急いで回り込む。

 すると、なぜか宏兄まで、援護射撃を始めた。

 

「そうだぞー、成。そもそも開店前だってのに、この人達が勝手に入って来てんだから。ゆっくりでいーんだよ」

「ひ、宏兄っ」

 

 ざっくばらんすぎる物言いに、慌ててしまう。

 と、『うさぎや』開店からの常連の杉田さんが、どっと笑う。

 

「固いこと言うなよぉ、店長! シャッター上がったら、もう開店じゃないの」

「なんすか、そのルール。営業時間見てくださいよ、『にじ・ろくじ』って書いてあんでしょうが」

「だから、コーヒーも俺たちで勝手にしてんじゃないかよう」

「そうそう。店長と成ちゃんは、楽にしてたらいいからさ」

「あーっはっは」

 

 常連さんたちの賑やかな声が、店中に響き渡る。心から楽しそうな雰囲気に、ぼくも思わず笑ってしまった。

 宏兄が「やれやれ……」って感じに両手を広げて、ぼくを見る。でも、その顔は笑みを浮かべていて、このやりとりを楽しんでるんやってわかった。

 

 ――宏兄、お客さんが喜んでくれるの、好きやもんねぇ。

 

 胸の内が、ほっこりと温かくなる。

 宏兄の本業は、かなり忙しい。それでもお店を続けるのは、好きやからなんよね。


「よおし」


 袖まくりをして、エプロンをつける。

 ぼくも、このお店が大好き。やから、ちゃんと頑張りたい。


「宏に……店長、ぼく洗い場入りますねっ」

「おー? 頼むな」


 俄然はりきるぼくに、宏兄はちょっと不思議そうに頷いた。

 やがて開店時間になり、ますます賑やかになるお店で、ぼくと宏兄はせっせと働いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る