第7話

 宏兄――野江宏章のえ・ひろあきは、ぼくの五歳上の幼馴染。

 野江家っていう、有名なアルファの家系の生まれで、上にお兄さんとお姉さんがおるんやって。ぼくが五歳のとき、ご兄弟でセンターに遊びに来た宏兄と出会って、仲良くなったんだ。

 センターへ遊びに来る子はいっぱいいたけど、ぼくと友達になってくれたのは、宏兄が初めて。ぼくにとっては、大事なお兄ちゃんみたいな人や。

 


 

「おーい、成ー!」 

 

『うさぎや』と店名の入ったワゴン車に凭れて、宏兄はぼくを呼んだ。その良く通る声に、道行く人が振り返っては、ぎょっとしたように見ていく。

 彼らの気持ちはわかるんよ。

 だって、よれよれのシャツと地味なチノパンやのにな? 人並み外れた長身のせいか、きれいな顔のせいか、宏兄ってすごいゴージャスなんやもん。

 本人は人の視線もなんのその、子どもみたいに手を振ってるから余計に注目されちゃってる。

 

――もう! 宏兄は天然さんなんやから……

 

 ぼくは笑いを堪えつつ、宏兄のそばへ駆け寄った。 

 

「宏兄、なんでいるん? ひょっとして、お見合いとか?」

「馬鹿、違うよ!」

 

 ふざけて尋ねると、宏兄は顔一杯で笑いながら、ぼくの頭をわしわしと撫でた。

 

「こないだ店に来たとき、今日は検診だって言ってたろ? 近くまで来たんで、迎えに来た」

「やったあ! わざわざありがとう、お兄ちゃん」

 

 ぺこ、と頭を下げる。「調子いいやつ」って小突かれて、くすくす笑った。

 でもな、実は見かけた時点で「もしかして?」って思ってました。宏兄は世話焼きで、あっちこっち、よく迎えに来てくれるから。

 

 ――にしても、ぼく、検診の話なんてしたっけ? ……宏兄、よう覚えてるなあ……

 

 楽ちんってことより、ささいな会話を覚えてくれてるのが嬉しい。

 なんべん言うても約束を忘れる婚約者に、内心でパンチをお見舞いしとったら、宏兄に不思議そうな顔された。

 

「どした、成?」

「あ、ううん! なんでも」

「そうか?」

 

「さあ乗れ」と言わんばかりに助手席のドアを開かれ、ぼくはありがたくお世話になることにした。

 

「おじゃましまーす」

 

 車内は、なぜか八百屋さんみたいな匂いがした。見ると、後部座席にスーパーの袋が雪崩を起こしてて、レタスからしたたる水滴が、花柄のクッションに染みを作ってる。大ざっぱな宏兄らしい――ぼくは慌てて、袋の格好を整える。

 

「お、ありがとな」

「ううん。宏兄、買い出し行ってたん? 手伝ったのに」

「店のじゃなくて、俺の分だから。この近くで安売りしててなー」

 

 運転席に大きな体を押し込むように、宏兄が乗り込んでくる。

 

「よーし。じゃあ、店まで安全運転で行くぞ」

「はい、お願いしまーす」

 

 大真面目な顔でハンドルを握る宏兄に、敬礼で応える。その瞬間、はかったように「きゅう」とお腹が鳴った。真ん丸になった宏兄の目と合って、頬が熱くなる。


「なんだよ、可愛い音させて」

「け、検診やったから。朝から何も食べてなくて」

 

 何のツボに入ったのか、宏兄がくっくっく、と喉の奥で低く笑う。

 恥ずかしくなって言いわけすると、大きな手が頭に乗っかってきた。

 

「よしよし。店ついたら、なんか作ってやるよ」

「えっ、ほんま? ナポリタンでもいい?」

「ナポリタンでもカツでもいいぞ」

「わあ……!」

 

 手放しに喜んでから、はっとする。にやにやする宏兄は、きっと「子供っぽい」と思ってるに違いない。

 

「もう。すぐ子ども扱いするんやから」

「いやー、そんなことないけどなぁ」

「絶対、ウソ!」

 

 笑い声と共に車が発進し、ゆっくりと景色が後ろに遠ざかった。

 まだ梅雨なのに、いいお天気だ。窓を突きぬける日差しに、頬がじりじりする。

 

「宏兄、ちょっと風入れてもいい?」

「いいぞー」

 

 宏兄にことわって、窓を開ける。

 エアコンと違う爽やかな匂いの風が、車内を通り抜けた。夏の陽気にすこし汗ばんでいた肌が、一気に涼しくなる。

 

 ――きもちいい。首輪がなかったら、もっと涼しいのになぁ。

 

 とはいえ、首輪はオメガの項……尊厳を守る生命線やから、仕方ないんやけどね。

 窓に寄り添って涼んでいると、宏兄がため息を吐いている。

 

「どうしたん?」

「いや。子供じゃないから、性質悪いんだよなぁって」

「?」

 

 

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