第一章~婚約破棄~

第1話 

 小さいころから、大好きな絵本があった。

 

「ひろにいちゃん、ほんよんでー」

 

 小学校がひけると、宏兄ひろにいはセンターに遊びに来てくれた。やから、ぼくは絵本を持って行って、宏兄に「読んで」ってせがんでた。

 

「わかった、わかった。こっちおいで、なる

「わーい!」

 

 ぼくは宏兄の足の間に座り込んで、一緒に物語を辿る。

 その絵本は、群れからはぐれたウサギの物語。

 家族からも、友達からもはぐれたウサギは、いろいろな冒険を経て――大切な恋人を見つけ、家族になる。

 

『これからは、ひとりじゃないんだね』

 

 ラストのページで、ウサギは恋人とたくさんの家族に恵まれ、幸せに笑っていた。

 

「ぐすっ……ほんまによかったねえ」

 

 ぼくは、ウサギの幸せそうな笑顔に、胸がじいんとした。

 幼いぼくは、ウサギのことが他人に思えなかった。何しろ、生まれてすぐにオメガとわかったぼくは――両親の意志でセンターへ譲られていたから。頑張って、自分の家族をみつけたウサギが眩しかった。

 頬を伝う涙を拭っていると、宏兄がわしわしと頭を撫でてくれる。

 

「おまえ、何かい読んでも泣くなあ。そんなに面白いか?」

「えっ、すてきやん? ぼく、ウサギさんみたいになりたいねん」

「ふうん。俺は、ホームズみたいな探偵がいいけどなぁ」

「ひろにいちゃん、わかってなーいっ」

 

 ぷんぷん怒って両腕をふりあげると、宏兄は笑った。ぼくの前髪を指先で梳いて、額に触れる。

 そこには花の紋様――オメガの証があった。

 

「ひろにいちゃん?」

「ウサギさんは置いといて……俺、成の家族にはなりたいな」

「ほんま!?」

 

 ぼくは、宏兄の言葉に嬉しくなる。

 やさしい宏兄が、本当の家族になってくれたら。時間が来ても、センターから帰らずに、ずっと一緒にいてくれたら――どれだけ嬉しいか!

 

「じゃあっ……ひろにいちゃんも、ここにすむ?」

「そりゃ無理だな」

「えーっ!」

 

 期待して聞いた分、がっかりした。目に見えて拗ねるぼくを、宏兄はぎゅっと抱きしめる。

 

「でも、大人になったら、成を迎えに来るから。そしたら、一緒に住もう」

「……やくそく?」

「ああ、約束だ」

 

 宏兄の言葉が、ぼくの胸にあたたかく染み渡る。

 ――ぼくと、宏兄は家族。その約束は、ぼくの胸にある寂しさを、そっと抱きしめてくれた。

 たとえそれが、幼いころだけの宝物だとしても……ぼくの大切な支えだった。

 


 ***

 


 鳥の鳴く声で、目が覚めた。 

 頬に、ほのかに日差しの温みを感じる。――昨夜は、カーテンを閉め忘れたんだっけ? ぼくは、あくびをしながら、のろのろと目を開けた。

 

「……すう」

 

 隣には、ぼくの婚約者である陽平ようへいが、深い寝息を立てていた。一緒に住むと決めたとき、「絶対にベッドはひとつ!」と粘って良かったと思うのは、こういう瞬間だ。目が覚めて一番に、家族の顔が見えるんだもの。

 

「ふふ、子供みたいやねぇ」

 

 いつも不機嫌そうに寄った眉がほどけた、あどけない寝顔。長い栗色の前髪を、そっと指で梳くと「んん」と呻く。ぼくは、ぱっと手を放した。

 昨夜も、サークルの飲み会で遅かったみたいだし。起こしちゃったら、かわいそうやね。

 朝ごはんの支度をする為、そろそろと陽平の体を跨いだとき――ぎゅっと膝がなにかを踏みしめた。

 

「――痛っ!」

「えっ?」

 

 目を丸くした途端、布団から飛び出してきた”何か”に放り落とされる。

 ドタン! ベッドから落ちて、ぼくは尻もちをついた。

 

「いたあっ」

 

 涙目で、尻をさすっていると――「いたた……」と掠れた甘い声が聞こえてきた。ばさり、と布団がベッドからずり落ちて、声の主が姿を現した。

 黒髪に、白く滑らかな肌の美青年。朝日に照らされた白皙の美貌に、ぼくは息を飲む。

 

「み、蓑崎みのさきさん!?」

「おはよ、成己なるみくん。お邪魔してまーす」

 

 気だるげに片目をつぶって、蓑崎さんはベッドに胡坐をかいた。見覚えのあるスエットのパンツに、上半身には何も着ていない。

 

「な、なんで……」

「んだよ、うっせえなあ」

 

 びっくりしすぎて、口をパクパクさせていると、不機嫌そうな声がもう一つ。もぞもぞと、陽平が身を起こす。こっちはひとまず、ちゃんと服を着てたので、一安心だ。

 とはいえ、

 

「ねえ、陽平。どういうこと!?」

 

 ぼくは仁王立ちで、二人を問いただした。

 


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