第8話 「ヌウ」その後のエピソード

ヌウは空を見ていた。どんよりとした雲が広がっている。もうすぐ雪がふるのかもしれない。あれから何度冬を迎えただろう。若旦那が死んでしまって人間界から離れたこの山奥に越してきたが、人間たちはどんどん山奥へと入ってくる。もう、妖怪がすむような場所は、この世界にはないのかもしれない。やはり人間と共存して生きていくのがいいのだろうか…。このところずっとヌウはそればかり考えていた。もう一度人間と一緒に生きて行こうか。他の仲間は反対するだろうな。あれいらい皆人間を嫌っている。

ヌウは毎日、毎日、空を眺めてはそればかりを考えていた。


「嫁よぉ…おらどうしたらいいんだ?」

ヌウは空に向かってつぶやいた。

「あんたの好きにしたらいいよ」以前なら、そう言って笑ってくれる嫁がいたが、嫁は数年前にヌウと化け狸の目前で、ふわっと消えてしまった。

人間や動物から妖怪になったものは、ある程度の時間がくると消えてしまう。それは自然なことだった。人間に寿命があるように、妖怪にだって寿命があった。それがきただけだと思っても、ヌウは淋しくて、淋しくてしょうがなかった。

嫁は消える直前、人間の姿にもどった。それは綺麗な女だった。にっこりと笑うと

「あんた、ありがとうね。いままで楽しかったよ」

そして、霞のように消えてしまった。

はぁ…小さくため息をつく。ふっとその鼻先に白く冷たいものが触れた。

「雪だぁ」

ヌウは空を見上げた。曇った空が広がっているだけで、雪が降ってくる様子はなかった。ヌウはふたつ目の雪が降ってくるのを、空を見上げて待った。いくら見上げていても雪はふってはこなかった。

突然ヌウの手を握る小さな手があった。

見ると、ヌウの足元に小さな女子がいた。女の子はつぶらな大きな瞳を見開いて、ヌウを見上げていた。

おかっぱ頭に、赤い着物を着ていた。座敷童かと思ったが彼女とは違う感じだった。

ヌウはにっこりと笑いかけて、あわてて、開いているほうの手で、顔を覆った。ヌウは自分が笑うと面妖な顔になり、子供が泣くのを思い出して慌てて隠したのだが、女の子は怖がる風もなくニコニコと笑っている。

「お嬢ちゃんは、誰だい?」

女の子はただ、ニコニコと笑った。ヌウは釣られて笑った。

「ねえ、おじちゃん、狸さんの鯛焼き屋さん知らない?」

「狸の鯛焼き屋?」

そういえば、化け狸だけは性懲りもなく人間相手に商売をしていた。

最近は、「鯛焼き」という人間の好きな食べ物のお店を開いていた。ヌウも何度か買いにいったが、なんとも旨かった。外はこんがり狐色でカリカリとした食感だが、中はもっちりしていた。また、中のあんこは尻尾までたっぷりと入っていた。人里に近い山の中で店を開いていたが、ハイキングに来た人間や、ふもとの人間が買いにきて、それなりに繁盛していた。

それに甘いものは妖怪たちも好きだ。ヌウや、他の妖怪も山で取れた山菜や木の実、魚などを持っていっては鯛焼きと交換していた。

それを化け狸は店先で売っては、稼いだ金を見てニヤケているらしい。

「お嬢ちゃんは鯛焼きが好きなの?」

「うん!大好き。」

「そっか。狸の鯛焼きは旨いぞ。」

女の子はニコニコ笑ってヌウをみている。ヌウもニコニコ笑っている、いや、ニヤ~と面妖な顔で笑っている。

しばらく、二人でそうしていた…が、ふいにヌウは自分のおでこを叩いた。

「あ、道を聞かれていたんだっけ?」

「そうだよ。狸の鯛焼き屋さん、どう行ったらいいの?」

ヌウは、あいかわらずすぐに忘れてしまう。

「へへへっ」ヌウは照れ笑いをした。「おじちゃんも一緒に行っていいか?」

「ほんと!わーい」女の子はヌウの手にぶら下がるようにして喜んだ。

二人で山道を歩きながら、やれきのこが生えている、やれどんぐりが落ちているなどときどき寄り道をしながら、松茸や柿などを摘んではゆっくり、ゆっくりと進んでいった。

ヌウと女の子が狸の鯛焼き屋に到着したのは、もう日が西に沈もうと空を真っ赤に染めている頃だった。

「化け狸ぃ。まだいいかい?」ヌウが『鯛焼き』とかかれた暖簾を掻き分けて顔をだした。

「おう!ヌウ。久しぶりだな。もう、閉めようとおもってたとこだよ。」

のっそりと暖簾をくぐったヌウの後ろから、ひょこっと女の子が顔をだした。化け狸はひどく驚いた顔をしたが、女の子はもじもじしながら松茸を差し出して言った

「鯛焼き、くださいな」

「あ、あ、あいよ。今、新しいの焼くからまっといてくれ」

そういうと化け狸は粉を溶き、型に流し込んだ。

型は、ジュッと音を立てた。

型に流し込まれた生地が、ほどよく熱が通った頃に、たっぷりの粒餡を尻尾から頭まで入れていく。少し甘くてこおばしい匂いが店の中に漂っていく。

生地にぽつぽつと、ちっちゃな気泡があきはじめると、化け狸は、右と左の型をガシャンと合わせて、しばらく置く。

手馴れたものだ。

化け狸は器用に鯛焼きを型から取り出すと、葉っぱに包んで女の子に渡した。ヌウも受取り熱くて湯気がほこほこと立っている鯛焼きをほおばった。

「あひぃあひぃひぃ」とあわてふためくヌウに化け狸はあわてて水の入ったコップを差し出した。

「ヌウ、おまえってあいかわらずだなぁ」

ヌウは、照れくさそうにへへへと笑った。女の子が嬉しそうに笑う。

女の子が一口鯛焼きを食べて、目を丸くした。

「おいしい…」

「おいしいか?」狸は嬉しそうに目を細めた。

「うん。おじちゃん。すっごくおいしいよ。」

「そうかい。そうかい。」

化け狸は嬉しそうにうなづき、もう一つ鯛焼きを女の子に渡した。

女の子は両手に持った鯛焼きを、夢中でほおばった。

すると女の子の姿が少しずつ、少しずつ薄くなっていった。食べ終わる頃には、女お子の後ろに貼ってある

『鯛焼き1匹100円(人間様)』

『鯛焼き1匹、品物1個から5個(人間以外様)』

と書かれた値段表が透けて見えていた。

狸は目に一杯涙を浮かべている。女の子はにっこり笑うと

「おじちゃん、ありがとう。約束覚えててくれたんだね」

「ああ、ああ、忘れるもんか。いつかオジョウちゃんが来てくれるとおもって、ずっと、ずっと待ってたんだ」

「ありがとう」

「また、来てくれるよね。また、俺に会いにきてくれるか?鯛焼き買いにきてくれるか?」

化け狸は消えていく女の子に必死で問いかけたが、女の子の口がわずかに動くのは見えるのだが、声も聞こえず、その姿もほとんど透明になっていた。

そして、「ふぉん」と透き通った音をたてて、女の子は消えていってしまった。

しばらく女の子のいたあたりに、虹色のシャボン玉のようなものがふわふわと浮いていたが、それも消えた。

なにもなくなったあとで、狸は小さくため息をついた。

ヌウは黙って外へでた。後を追うように狸も出てきて二人で空の星を眺めた。

いつのまにか夜になっていて、雲の多い空の隙間をから星がのぞいていた。寒くて凍えるような冷たい北風が吹き、星はキラキラとまたたいている。

その瞬きを見ながら化け狸は、ぽつんとヌウに話しかける風でもなく、かといって、独り言という風でもなくしゃべりだした。

「もう、何年前だろう、俺が鯛焼き屋を始める1年くらい前だからもう、5年?6年?くらい前になるんだけどな。今日みたいに寒い夜で、俺は寒くてたまらなかったから酒でも飲もうと町へ降りていったんだ。

その途中でお嬢ちゃんとばったり会っちまって、いや、あったというより、ふいに俺の手をつなぐものがあったから、びっくりして、みたら、女の子が目に涙を一杯浮かべて、俺をじーーーっと見てんだ。

びっくりしたよ。山の中、それも冬の山の中に、赤いコートを着た女の子がいるんだもんな。おれ、幽霊だと思ってびっくりしてよ」

「幽霊か、あれは、怖えぇなぁ」

「そうだろ。幽霊はいただけねぇ」

「ああ、あれは俺達と違って、ほんに恐ろしい…」ヌウはぶるっと身震いした。

「それで、恐る恐る『なんかようけ?』って聞いたら、『鯛焼き屋さん知らない?』って可愛い顔して聞くから、よけいびっくりして…。山ん中に鯛焼き屋があるわけもないから、町に行けばあるよっていったんだ。そうしたら、急に泣き出して…」

「ほぇ~?」とヌウが変な相槌を打つ。

「それでよ、帰る家がわからないって…」と化け狸が女の子とのやりとりを延々と話続ける。こうやって、ヌウと化け狸は夜が深く更けるまで話していた。

「それで、俺がやっとこさ、女の子の家を見つけたら、葬式やってて。」

「葬式?」

「うん」そこで狸の目がうるうると潤んだ。

「わかった!」ヌウがぽんと手を打った。

「女の子は、お供えの鯛焼きを買いたかったんだ」

化け狸は泣き笑いをしながら、首を横に降った

「違うのけ?んじゃ、んじゃ、えーーーと」とヌウはあれこれと考えた。

「ヌウ、違うんだよ。葬式は女の子の葬式だったんだよ。鯛焼きを買いにでて、どう道を間違ったのか山の中に迷い込んで、寒さで死んでしまったそうだ」

「えっ、ってってって…」

バシッと化け狸がヌウの背中を叩く。

「ゆ、幽霊?あの女の子は幽霊か?」

「そういうことみたいだ」

「いや、幽霊という感じはしなかったぞ。怖くなかったぞ!」

「そうなんだよな。かといって俺らと同じ妖怪でもないし、さっきの消え方を見たら人間じゃないし。だけど怖くないし。」

「ほうぅ」とヌウと化け狸は大きく息を吐き出した。

「だけどよ、化け狸の鯛焼き食べて、幸せな顔して笑って消えてったな。」

「そうだな…」

「そういえば、嫁もおめえの鯛焼き食べて、あんな幸せな笑い顔で消えてったなぁ」

ヌウは、初めて嫁に化け狸の鯛焼きを食べさしたときのことを思い出した。

嫁は焼きたての鯛焼きを化け狸から受け取ると、もの珍しそうに眺めたり、匂いをかいで見たりしてから、ぱくっと頭から被りついた。

「美味しい」とささやくように言うと、少しずつ透明になっていって、最後は虹色の泡のようになって「ぽわん」と音を立てて消えてしまった。

ただ、消えるときに、嫁の口が動いた。言葉は聞こえなかったけど、ヌウには嫁がなんていったか分かったような気がした。『大好きだよ。あんた』そんな風に見て取れた。

嫁が消えてしまって、ヌウはさびしくて仕方ないが、最後の嫁の笑顔があまりに幸せな笑顔だったので、思い出してはヌウも幸せな気持ちになっていた。

「なんだな、あれだ。あれ。」

「あれ?」

「ああ、あれだよ」

「あれ?」

「ああ、俺の鯛焼きを食べると、みんな幸せになるんだな。きっと。

昔に鯛焼きを食べた時の想い出なんかを思い出してさ。

そうだよ。懐かしくて、幸せなことを沢山思い出して、で、満足して人間から俺たちの仲間になったりした奴らは、幸せで成仏できるんだ。うん。そうだ。絶対そうだ。

俺ってすげえなぁ。きっとお嬢ちゃんも幸せになってくれたんだなぁ。

うれしいなぁ」

ヌウは狸の話を聞きながら、ふと、嫁が人間だった頃は鯛焼きなんてなかったなっと思った。

だけど化け狸がひどく嬉しそうな、幸せな顔をしているので、とりたてて言う必要もないかと思った。

こんな顔を見ていたら、それで良いとおもった。そんな気持ちになる笑顔だった。


頭上でなにかざわざわとした。ヌウが見上げると、雪が舞い降りてきた。

「化け狸、雪だ」

空を見上げた化け狸の左目の上に、今年最初の雪の一片が舞い降りた。その雪はすぐに溶けて左目から一滴の涙になって流れ落ちた。

ヌウは化け狸が、涙を見られないよう、うえを向き続けているこをと知らない振りしていようと決めた。

雪は一片(ひとひら)、二片(ふたひら)と降り落ちてきた。

「冷てぇ」

化け狸が呟いた。


(終わり)

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ヌウ painyrain @painyrain

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