第7話 「嫁」その前のエピソード
ずっと、ずっと、気が遠くなりそうなほどずっと昔に、戦争があった。その戦争では、沢山の戦士が死んだ。何のための争いなのか、何故戦争をしているのか、死んだ者達には判らなかった。恐らく生き残ったものにもわからなかっただろう。
ただ、ただ、無念ばかりが残っていた。大地に無造作に横たわり、何も見ることがなくなった、眼球には、無念だけが残っていた。
恋しい人への思いも、大切な思いもすべて戦いが奪い去り、あとには、沢山の死骸と、沢山のものを失って生き残った人々と、沢山の無念とだけがそこに取り残されていた。
そんな念が何年も、何十年も、何百年もの間、渦巻き、凝り固まっていった。いつしか、戦士の亡骸は土と化し、戦場の残骸も、新しい時代に塗り替えられていった。
そんななかで、無念の思いだけが、微かに出口をもとめて呻いていた。
”くるしい”
ささやくような、声がした。
”くやしい”
引き裂かれるような苦しい声がした。
”くるしい”
ささやきは、少しづつ大きくなり、それは複数の声となり、膨れあがっていった。高く、低く、恨みのこもった言葉は呪文のように流れ、やがて一つの声となった。
”いたい”
”いたい”
”いたい”
”ひもじい”
”さむい”
”ひもじい”
”だれか”
”ここから…”
”だれか”
”ここから…だして”
”だして”
”ここからだして”
それは、地中の中で生まれた。
腹が減っていた。
恐ろしいほどの空腹だった。
手当たりしだい、喰った。目に映るもの、手に触れるもの、匂いのするもの…喰った。喰っても、喰っても、喰っても、満足できなかった。
ある時、子狐を見つけた。喰おうとすると、母狐が体当たりをし、それは思わずよろめいた。無性に腹が立ち、母狐も、子狐も食ってやろうと、大きく口を開けたとき、なにか強い力が脳天にふりかかった。目から火花がチリ、痛くて痛くて気を失った。
どれくらい時間がたったのだろう。最初に目覚めたときと変わらない暗闇にいた。ふっと、暖かいものに触れた。
お母さんの手?
お父さんの背中?
優しくて、暖かい。
それは、心の中の怨念の塊が、融けていくのを感じた。
ゆっくりと目を開けると、心配そうな顔をした、妖怪がいた。
それがヌウだった。
「すまねぇ。強く殴っちまった。大丈夫け?」
ヌウと嫁の出会いだった。ヌウは優しく、嫁が山の動物や他の妖怪たちと仲良くくらせるよう、あれこれと世話を焼いてくれた。
いつのまにか、周りから「嫁」と呼ばれ、嫁もヌウと一緒に暮らすのが楽しかった。
ヌウは、人間が好きな一風変わった、不思議な妖怪だったが、嫁は、ヌウの優しさがとても好きになり、ずっと、ずっと一緒にいたいと願っていた。
ヌウが人間と暮らすことにしたときも、着いてきた。
ヌウが人里を去るときも一緒に去った。
嫁がこの世から去るその日まで。
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