第117話「修学旅行、初日の夜」
初日の工程がすべて終わり、俺達は予定されていたホテルに泊まっていた。
全員参加の夕食が終わり、生徒にとっては自由時間。
その後、職員会議が終わると、俺たちにとっても自由時間が訪れる。
あとはせいぜいで見回りがあるくらいで、就寝時間までは特に何もない。
正直見回りとかいらんと思うんだけどな。
脱走さえしなければ多少の夜更かしくらいしてもいいと思うんだけど。
ちなみに脱走がダメなのは、教員側が生徒を保護できなくなるからです。
俺は木村と二人で雑談に興じていた。
と言っても、俺と木村の間に共通点はほとんどない。
中学生のころから今に至るまで勉強一本だった木村と、体育特化で生きてきた俺では、生き方がまるで異なる。
なので共通の話題は水野をはじめとした同僚のことと、生徒のことしかない。
今回は、後者だった。
「いやあ、それにしても何もなくてよかったですよ」
「まあ、そうですね」
今のところ、大きなトラブルは何も起こっていない。
小さな渋滞に巻き込まれてバスの到着が少し遅れたくらいだ。
無論、修学旅行で何かトラブルが起きるなど普通はないし、あってはならない。
だが、教師としては常に備えなくてはいけないのもまた事実である。
体調不良の生徒が出てきたら。
もしも、目を離したすきに生徒が誰かとトラブルを起こしたら。
心配事は、リスクは、いくらでもあるのだ。
「おやー、男子二人がそろって何してるの?」
「あっ」
「水野先生!」
俺が驚きの声を上げて、木村先生は喜びの声を上げる。
「んで、何の話をしてたのさ?」
「ああ、初日を乗り越えられてよかったなって話をしてたんですよ」
「ほほう」
「まあこれも、木村先生のおかげでしょうね」
「ん?」
俺は本心から言った。
戸惑ったような声をあげる木村を置き去りにして、俺は言葉を続ける。
「木村先生が俺に頼み込んでこなかったら、俺は参加してなかったし。俺以外にもそういう先生がいるって聞いてますよ」
当たり前のことだが。
好き好んで頭を下げる人はいない。
それはプライドだったり、あるいは手間を惜しむ心だったりするが、ともかく人に頭を下げて誠心誠意お願いするという行為は意外と消耗する。
しかし、木村はそれをやった。
修学旅行という一大行事を成功させるために、俺を含めた中等部を受け持っている先生に順繰りに会いに行き、頼み込んだのだ。
木村は、そういうことが出来る人だ。
それをわかっているから、目の当たりにしたから、断れなかった。
「それはすごいね!私は元から参加が決まってたから全然知らなかったけど」
「ああ、確かに養護教諭は絶対に参加することになってましたもんね」
旅行先でけがや病気になった時に備えて、というのはわかる。
だとしても拒否権がないのは災難だと思うが。
水野、中等部の修学旅行も強制参加だからな。
「いやー、本当に大変だったよねえ。健康チェック表の作成、項目の決定からレイアウトまで全部私に投げるんだもん」
「それは大変でしたね。俺もしおり作らされましたけど、まさかチェック表が水野先生の担当だったとは」
「これまでのやつ使いまわせばいいじゃんって言ったんだけどね。そういうところ融通効かないんだから」
「確かに、毎回毎回新しいものを作らせようとするのはよくわからないんですよね。創意工夫に意味があるのだ、とか言ってましたけどそんなわけないよなって」
「わかるー」
思ったより話が盛り上がっている。
共通の話題が見つかれば、意外と何とかなるんだよな。
俺の実大剣に基づくあれだけど。
「ああ、俺ちょっとトイレに行ってくる」
「はーい」
「っ!なるほど……」
俺は木村に目配せして席を外した。
「うまくいけばいいけどな」
木村の恋心がうまくいくのかどうかはわからない。
水野が、彼をどう思っているのかも正直よくわかっていない。
けれど。
うまくいけばいいと思ってしまう。
だって、人が人を誠実に思っているなら。
それが報われて欲しいと思うのだ。
◇
「あれ、着信?」
俺は用を足してから、どこかで暇をつぶせないものかと旅館内を歩き回っていた。
ハンカチをポケットにしまい込んだのと同時に、スマートフォンが振動を開始したのである。
さて、電話を俺にあけてくる相手など、心当たりはほとんどない。
接近禁止を命じたはずの元婚約者や家族ぐらいだ。
そうでもなければ、あるいは。
「……そんな気はしてたよ」
画面に映る、月島絵里の名前を見て。
俺は、旅館の外に出てからスマホを耳に当てた。
「もしもし、俺だ」
「貴方は誰ですか?私のなんですか?」
一瞬、何を言われたのかわからなかったが、一瞬あったので意味がわかった。
「……日高手助。君の恋人だ」
「はい、よくできました」
通話の向こうで絵里は楽しそうに笑う。
これではとんだバカップルではないか。
「なんで、電話してきたの?」
「――手助さんとお話ししたくて」
画面の向こうから聞こえてくる声は楽しげで。
同時に、同じくらい真剣でもあった。
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