第107話「歌配信、初の挑戦」

 歌枠。

 Vtuberにとって、雑談と並んで双璧となすとされているコンテンツ。

 Vtuberとしてチャンネル登録者数を伸ばしたいのであればどちらかは必要とまで言われる。

 一応むらむら先生は雑談配信をやっているが――それはそれとして歌にも手を出す時が来たというわけだ。

 すべては、半年後の3Dライブのため。

 


「というわけでこんばんは、今日もぬるりと始めていきます。月煮むらむらです」

「こんばんは、助手です。今日は純粋なスタッフとして参加しております。歌う予定は一切ございません」



【来ちゃ!】

【あっ、本当にむらむら先生だけの歌枠なんだ】

【まあたまにはそういう日があってもいい】

【それはそうとしてデュエットとかしてほしいけどなあ】

【わかるチューリン〇ラブを歌ってほしい】



「だそうですけど、チューリングラ〇歌っちゃいますか?助手君」

「いや流石に炎上するだろ……まあでもデュエット配信はいずれやりたいよな」

「ですねえ、でもリハーサルしとかないと不安じゃないですか?」

「それはそうだけど」

「じゃあ、カラオケ一緒に行きませんか?」

「いやそれは……」



 これはもしかしなくてもカラオケデートの誘いではなかろうか。

 確かに人目を避ける必要があるとはいえ付き合って、どこにもデートに行かないというのもおかしな話。

 それに、カラオケならば個室である以上人に見られる心配もほとんどないのではあるまいか。

 助手君とむらむら先生の関係性を考えても、ここで受ける以外の選択肢はない。

 何より、今ここで断ったら。

 きっと、絵里は不安な気持ちになってしまうだろう。

 しかし、万が一ということもあるわけで。

 こんな頻繁に出かけていたら絶対に色々な人にバレるリスクが上がってしまうというか。

 ここまでの思考に俺が使った時間は、たったの三秒である。



「嫌、ですか?」

「よし行こうか」




 ダメだ、一言で俺の思考は霧散した。

 絵里にそんな声色で、そんな風に言われてしまったら俺には一つの答えしか残されていない。

 


【嫁にねだられた瞬間ノータイムで受け入れる旦那の図】

【なんだかこう、前より助手君の態度が柔らかくなってない?】

【こいつら交尾したんだ!】

「やってねえよ」

「な、何もしてませんよ!」




 少なくとも、今はまだ。

 とはいえ、そうか。

 そんなに表に出やすいのか、俺の態度は。

 抑えるべきだろうか。

 いや、それは違うな。

 下手に抑えようとするとかえって不自然になる。

 ここは、普段通りにするべきだろう。

 その上で、言葉に気をつければ多分大丈夫だ。



「さて、オープニングトークはそこまでにして、ここからはいよいよ歌枠開始だぞ」

「はい、一曲目は、この歌です」



 彼女の声とともに、俺はパソコンを操作する。

 同時に、音源が流れ出す。

 俺には聞こえていないが、絵里のつけたイヤホンと、リスナーには聞こえているはずだ。

 イントロを聞いた絵里が、俺に親指を立てる。

 「問題なし」の合図だ。



【おっ、この曲は】

【随分と渋いな】

【むらむら先生の世代なのかな?】



 コメントでもイントロで曲名を当てようとする人が出始めた。

 つまり、聞こえているということだ。

 よかった。

 機材の設定に、時間をかなりかけた。

 専用のソフト、マイクなどの機材、などなどやることは無数にあって。

 こと機材が絡んだ時のむらむら先生はまったくと言っていい程あてにならないので、俺が考えるしかない。

 ではむらむら先生は何もしていないのだろうか、いいやそんなことは決してない。



「~♪」



 絵里の声はいい。

 鈴の音のような、という表現がぴったりの涼し気な透き通るような音。

 もともと、むらむら先生がVtuberデビューすることになったのは、その声の良さを買われたからだ。

 そんな彼女が必死になって歌を歌えばどうなるか。

 答えは目の前にあった。



 一曲目が終わると。

 俺は、無意識に拍手をしていた。

 あわてて、ノイズになると判断して拍手を止めるが。



「めちゃめちゃうまい。すごいな」

【888888888888888】

【ありがとう!】

【いい歌声だ】

「すごいでしょう、わんだちゃんに教えてもらったんですよ!」

「なるほど、そうだったのか」

【ほえー、すごい】

【母娘てぇてぇ】

【確かに素人とは思えん】



 実は夏休みが明けてから絵里は、何度かわんださんとカラオケに行っていた。

 さらに、家ではずっと鼻歌を歌っていた。

 すべては、歌のレベルを上げるために。

 そして、3Dライブのために。

 


「やっぱり、すごいな、むらむら先生は」

「えっ、私の歌そんなにうまいですか?」

「まあそれもあるけど、そうじゃなくてさ」

「?」

「この短期間でめちゃくちゃ頑張ってただろ?そういうところだよ。それが俺は――」

「え?」

「ああいや、先生のいいところだなと」

「ふーん、本当?」

「ええと……」



 口を滑らせかけたことを後悔しながら。



「さて、二曲目行きますか」

「あれっ、逃げてませんか?まあいいですけどね、よーし」




 俺は次の曲のイントロを流した。

 まだ、始まったばかりである。

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