第95話「愛してる」


 その日から、私と日高先生のコンビは始まっていた。

 日高先生が薦めたのは、タブレットの購入であった。

 いわく、タブレットで描くのと紙で描くのでは勝手がまるで違うととある漫画家が言っていたと。

 私が絵を描くことに対してトラウマを持っているのならば。

 あえて絵を描く工程をがらりと変えることで、トラウマを払しょくできるのではないかという考えらしい。



「確かに、これは紙で描くのとは全然違いますね」

「だろ?」

 



 先生に見せてもらったのは、SNSにアップされた一枚のイラスト。

 アプリを使って描いているらしいそれは、紙で描いていてはまず出せないであろう色合いだった。

 同時に思った。

 私も、こういうのを描いてみたいと。



 後になってわかったことだが、日高先生には他にもまだ思惑があったらしい。

 私がタブレットを使いSNSにイラストをアップすることで、人と交流するようになればいい。

 そうすれば、おのずと視線が外を向く。

 家の外に足が向く。

 そうやって引きこもりを解消できるかもしれないと、できなくても他者とのつながりを作ることが出来ると思っていたようだ。

 実際、わんだちゃんはロリリズムさんとはインターネットを通じて知り合ったので間違いではない。

 もっとも、私はSNSをほとんどやっていないのだけれど。



 ◇



「せ、先生、これどうやってアカウント作るんですか?」

「月島、これ全然違うアプリだぞ。名前はちょっとだけ似てるけど、お絵かきソフトはこっち」

「ええ!」



 何もかも、私の機械音痴が原因である。

 バリバリ仕事をしている母はともかく、母方の祖父母の方が私よりスマホを使いこなしていたりするので遺伝でもない突然変異らしいのだが――とにかくスマホやタブレットの操作は今でも苦手だ。

 使い方がわからず先生に何度も何度も同じ質問をしてしまったけど、彼は嫌がることなく教えてくれた。

 なので、なんとか絵だけは描けるようになったというわけだ。



「先生、描けました!」

「おお、すごっ、てもしかして俺?」



 私が真っ先に描いたのは、日高先生だった。

 がっしりした体に、派手過ぎないジャージ、凛々しい顔立ち。

 といっても、写実的なものではなく、いわゆる二次元のキャラクターにデフォルメしたものだったが。



「いや、さすがに美化しすぎだろ。まあ、めちゃくちゃ綺麗だと思うけども、被写体がな?」



 と、本人はあまり納得しなかったようだが。

 私としては二次元にしただけでそこまでデフォルメしたつもりはなかった。

 というか、実際の顔も整っているのではないかと思っていたのだけれど。

 なんだか恥ずかしかったので、言わないで置いた。

 今思うと、私の目は当時から曇っていたのかもしれない。

 その曇りは、未だにとれる気配がないのだけれど。



「そうですか?こんなものだと思いますけど……」

「ふーむ、まあお前がそう思ったのならそれでいいの、かな?」



 日高先生はまだ何か言いたげだったが、言うのを諦めたようだ。

 私としても、私の作品を曲げるつもりはなかったので助かった。

 こうやって相手を尊重できるのが、先生のいいところだと思う。



 ◇



「ええと、これで、完了ですかね?」

「ああ、これでお前もイラストをSNSにアップできる」

「おお!」



 SNSのアカウントを作る作業は、お絵かきソフトの操作以上に難航した。

 丸々三時間かかってしまい、一度翌週に持ちこして、二回目になってようやくの取得である。

 管理を母に完全に任せることを条件に、私はSNSを始めた。

 余談だが、このころになると私はもう部屋から出ている時間の方が長くなっていたし、母と出かけるようにもなっていた。

 スマートフォンやタブレットを買うのに、本人である私が必要だったのもある。

 既に、私は不登校児ではあっても引きこもりではなくなっていた。

 



「わっ、いいねがすごいたくさん!これ、みんな私のイラストを見てくれたんですか?」

「月煮むらむらって下ネタですかって、月に叢雲から取った詩的な名前なんですけど……そりゃちょっとは下ネタは言ってるかもしれませんけども」

「先生、コミケに出ないんですかってコメントついてるんですけど、コミケってなんですか?」

「……私、出てみたいです、コミケ」




 その後は、とても順調だったと思う。

 SNSと同人活動を中心にファンを増やし、実績を積んでいった。

 そして私は復学した。

 学校に行ったのは、特に深い理由はなくて、ただなんとなく。

 しいていうなら、先生と一緒にイラストを描く中で。

 辛い記憶が薄れていったから。

 何より――もっとたくさん先生に会いたいと思ったから。

 もう、この時には自覚していた。

 私は、先生のことを。




「先生、何かいいことありました?」

「ん?ああ、最近彼女ができてな」

「………………え」



 

 敗れるまで、さほど時間はかからなかったけれど。



 ◇



過去編はここまで。

次回はついに決着パートに入ります。


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