第92話「最後の戦い」
「なんでお前がここに」
いや、そんなことは今問題ではない。
まずい、本当にまずい。
見られてしまった。
月島と一緒にいるところを、よりにもよってこの女に見られた。
どうする、どうやって言い逃れる?
親戚の子供だということにするか?
まだ結婚していなかったので、元婚約者は俺の親戚については把握していないはず。
「日高先生、ね。教え子かしら?」
「――っ!」
「…………」
自分の失言に気付いた月島が唇をかむ。
元婚約者は、俺と月島が教師と生徒の関係であると気づいている。
そして、それだけの関係ではないとも理解しているはずだ。
わかっていた。
月島との関係性、傍から見れば付き合っているようにしか見えないということは視聴者にさんざん言われていたことだ。
それを言われるたびに否定していたのは、単にエンターテインメントを意識してのこと、というだけではない。
「場所を変えよう、君は先に帰っていてくれ」
俺は月島の腕を振りほどこうとして、できなかった。
ぎゅうっと彼女がしがみついていたから。
「ダメです、貴方を、いまの先生をあの人と二人きりになんてできません」
「嫉妬?見苦しいわね」
「黙れ……」
元婚約者は、おそらく理解していない。
言っていないから。
女性恐怖症はだいぶ収まったがまだ完治したわけではないこと。
月島以外の異性に直接触れられるのはいまだに耐えられない。
それが元凶の元婚約者であればなおさらである。
これまで仕事などで女性と関わってきたときには、むらむら先生が俺のことを伝えてくれていたし、彼女達もそれを受けて万が一が起きないようにしっかりと配慮してくれていた。
「とにかく、場所を変えよう」
「そうね、ここまで人が多いと大切な話をするのには不向きよね」
彼女は気づいていない。
俺の膝ががくがくと震えている。
触れられてから、吐き気が止まらないことにも。
月島は、気づいている。
だから俺を支えようとしているのだろう。
◇
俺たちは、明かりのない屋台の裏にまで移動していた。
「それで、何の用だ?接近禁止を出していたはずだぞ」
示談の条件として慰謝料の支払い、盗まれたお金の返還のほかに接近禁止令を出していたはずだ。
万一接近してしまった場合さらに罰金を加算するとも説明していたはず。
まさか、話を聞いていなかったのか?
俺の中で上限に達していたと思われていた失望がさらに膨らんでいく。
かつて、心から愛した人だったというのに。ここまで考えなしの人間だとは思わなかった。
「ああそれね、悪いけどなかったことにして頂戴」
「なかったことに、だと?」
意味がわからない。
何をどうすればそんな話になるのか。
弁護士を通しての決定だ。
俺の一存で今すぐに撤回できるものではないし、するつもりもない。
もしも、そんなに簡単に変えられると、接近禁止というものがそんなに軽いものだと思っているのならなおさら救いようがないではないか。
「悪いが撤回する気はない」
「ふうん、そう」
元婚約者は、醜悪な笑みを浮かべた。
これまでに見たことがない。
これが彼女の本性だったのだろうか。
だとすれば、俺には女性を見る目がなかったということかもしれない。
「なら、私も遠慮をしなくて済むということになるわね」
「遠慮、だと?」
「もしあなたが今のような態度を取り続けるのなら、貴方の職場に私が今見たものを送り付けるわ」
「なっ」
それは、俺と月島の関係が暴露されてしまうということ。
つまり、それは破滅を意味している。
俺にとっても、月島にとっても同じことである。
「そもそも接近禁止を解除してどうするんだ?お前にとって何の得がある」
「決まってるじゃない、貴方とよりを戻そうという話よ」
「何でそうなるんだ……」
俺と元婚約者の関係は既に破綻している。
これについてはもはや何をしたところで変わることはない。
「いい加減にしてくださいっ!」
月島が叫んだ。
叫んで、俺と元婚約者の間に割って入った。
まるで俺を、守るかのように。
「なんで、貴方達は私達を傷つけるんですか!理不尽に人を踏みにじり反省もせず、どうしてそんなことが出来るんですか!」
「月島……」
「貴方も、私の父も、人を裏切っておいてどうして虫のいいことが言えるんですか!」
涙目になりながら、月島は拒絶と敵意を込めて叫んだ。
◇
月島はどうして不登校になったのか。
どうして嘘を嫌うのか。
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