第89話「待ち合わせとりんご飴」
早くも夏休み最終日。
八月三十一日が来てしまった。
夏休みの教師は暇――というのは幻想であるが、忙しいわけでもない。
少なくとも普段に比べたらずっと楽である。
そんなわけで、俺もこの日が来るのを全国の学生同様疎んでいたか、と言われればそうでもない。
なぜなら今日は、楽しみにしていたことがあったからだ。
「さて、このあたりのはずなんだが」
俺と月島は駅前で待ち合わせしていた。
普通に考えれば、同居しているのだから一緒に行けばいいのではないかと思うだろう。
だが、それはいくつかの理由から没になった。
一つには、まず俺と月島の関係が知られるわけにはいかなかったから。
当たり前だが、俺と月島は教師と生徒であり、成人男性と女子高生である。
俺と彼女がデートをしているところを見られるわけにはいかない。
ましてや、同棲しているところを知られてしまったら社会的に終わる。
いや、正直なところを言おう。
俺は、俺の将来のことは重要視していない。
俺は既に、俺自身の夢に破れている。
教師という仕事にやりがいを感じていないわけではない。
だが、甲子園には決勝戦で敗れて行けず、プロになることは叶わず。
そんな俺なんかより、もっと価値のある人間がいる。
それは月島だ。
わずか十七歳である月島が加害者として何かしらの罪に問われることはまずないだろう。
けれど、きっと月島の今後の人生にとって間違いなく傷になってしまう。
最悪、彼女がまた自分の部屋だけに閉じこもってしまうことも考えられる。
だから、俺たちの関係が漏れるわけにはいかないのだ。
少なくとも俺にとって、何を一番優先すべきかだけは決まっているから。
とは言ったものの、知り合いに見られる可能性は、さほど高くない。
ここまでも電車で移動している。
加えて、人がかなり集まる大規模なイベントであり、そうそう気づかれないのではないかとも考えた。
でなければ花火大会に誘われたとて、断っていただろう。
「さて、月島はどこかねー」
もう一つの理由は、月島の希望である。
彼女曰く、待ち合わせというものをしてみたかったとのこと。
まあ確かに、彼女と出かける機会は何度かあったが、出発地点が同じであるゆえに待ち合わせをする機会というものは訪れない。
月島としては、そういうイベントも楽しんでみたいということなんだろうな。
気持ちはわかる。
俺も、月島と一緒にいろんなことに挑戦するのはとても楽しかった。
Vtuberになるなんて、月島と関わっていなかったら絶対にありえなかっただろう。
「あっ」
声がした。
どうやら、彼女の方が先に気付いたらしいと声の方向を向くと。
「どうですか、日高先生」
「…………」
黄色い浴衣だった。
ヒマワリの柄がふんだんにあしらわれており、帯もヒマワリを意識したのか茶色で、極めつけには髪にひまわりの髪留めがついている。
月島のかわいらしさを前面に押し出すいいチョイスであり、俺にとっては。
「理想的だな」
「ふえっ」
まずい、声に出てた。
だって、俺にとって彼女は。
泣いていいんだよと教えてくれて。
新しい生き方を与えてくれて。
生きる希望になってくれた。
太陽そのものなんだから。
「眩しいな……」
「もう日は沈んでますよ?」
「そういう意味じゃないんだけどな」
「?」
バレない方がよかったかもしれない。
バレていたら恥ずかしさで死んでいた。
「ところで先生、なんでサングラスかけてるんですか?」
「一応の対策だよ……」
流石に知り合いに遭遇することはそうそうないとはいえ、万が一ということもある。
教師と生徒で花火大会に行くのは大いに問題がある。
わかっていて、それでもなおお互いのことを考えれば行くべきだと思った。
だから、できることをする。
「じゃあ、私もつけますね」
「?」
月島はそういうと、ぽてぽてと屋台の方へ歩き出した。
「月島」
「何ですか?」
「いや、よく似合ってるなと」
「そうでしょう?」
狐のお面をかぶった月島が、悪戯っぽく笑う。
「先生もそのサングラス似合いますね」
「お、おうありがとう」
月島はにこにこと笑う。
彼女は嘘をつかないと知っているからこそ、ダメージを受ける。
気恥ずかしさと嬉しさのダブルコンボである。
「じゃあ、何から回る?」
「私、りんご飴食べたいです!」
「いいなあ、俺も食べようか」
「半分こします?」
「……月島が気にしないならいいけど」
「わ、私は、その……」
「顔真っ赤だぞ」
ほーら、ここにもりんご飴が爆誕。
「先生も顔、赤いですよ」
りんご飴が二つあるとは思わなかった。
「列に並ぶか」
「そうですね」
この後、二人で一つずつりんご飴を買って食べた。
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