第88話「夏の終わりと、少しだけ前に」
「今年の夏ももう終わりだなあ」
「ですねえ」
コミケも終わり、月島の宿題も終わり。
気が付けば八月も終わりが近づいていた。
冷房の効いたリビングでソファに座ったまま俺たちはスイカを食べていた。
「今年はあっという間だったよなあ」
「ですねえ」
まあ俺より遥かに彼女は頑張ったからなあ。
月島絵里として補習によって忙殺され、月煮むらむらとしてコミケの締め切りに追われていた。
彼女がこれまで体調を大きく崩さなかったのは奇跡と言ってもいい。
「本当に頑張ったな、月島」
「あ、ありがとうございます」
「何か、してほしいことはあるか?」
「してほしいこと、ですか?」
ふむ、と月島は顎に手を当てて真剣な表情を浮かべた。
多分何事か考えているのだろう。
「欲しいもの、とかでもいいよ」
「欲しいもの、ですかあ。正直何も……あっ」
月島が、はっとした顔をする。
スマホを取り出した月島は、やがて一つのホームページを開いて俺に見せてきた。
「ああ、これ地元の花火大会だよな」
「そうなんですよ、一緒に行きませんか?」
「俺は別にいいけど、月島は大丈夫なのか?その、花火は」
月島にとって花火とは父親との思い出でもあり、同時にトラウマでもある。
嫌な思い出がよみがえったりはしないかと、心配になってしまう。
「大丈夫です、先生が隣にいてくれたら私は平気なので」
「そ、そうか」
まあ確かに線香花火を一緒にやった時は楽しそうだったけども。
それでも心配なものは心配で。
「それに、私も乗り越えたいって思ってるんです。先生がつらい過去を乗り越えたように」
「俺は何もしてないよ。月島やいろんな人が助けてくれただけだ」
「じゃあ、私もおんなじです」
「?」
月島は、胸に手を当てていった。
「先生、気づいてますか?先生が家事をしてくださるようになってから、どれだけ私の負担が減ったか」
「それは、一緒に仕事をするパートナーとしてお前が苦しいときに支えるのは当然というか」
「それだけじゃないんですよ。私、本当は寂しかったんです」
「…………」
一瞬言葉に詰まる。
しかして、改めて考えてみればそこまで不思議なことでもない。
「お母さんは、私のことをすごく考えてくれてます。将来私が何かあった時にって今でも一人で仕事をずっと頑張ってて」
「そうだな」
「でも、あんまり長く家にいないから、私は本当は寂しくて。先生と一緒に住むってなった時も先生の為なんて言いながら、ただ私がそうしたかっただけかもしれなくて」
「俺は、そうだったとしても嬉しかったよ」
人の心は言葉一つで説明しきれないことが多々ある。
俺のことを支えたいという気持ちも、俺と一緒にいたいというのもどちらも彼女の本音であるのだろう。
そしてどちらの本音も、俺にとっては好ましい。
それだけの話だ。
「ありがとうございます。ええとですね、私が言いたかったのは。先生がどう思ってるかはわからないんですけど、月島絵里という人間は日高先生にとっても助けられているってことなんです」
「うん」
「でもだからこそ、私もこのままじゃいけないと思ってて。過去を一緒に乗り越えたい。先生と一緒に未来に進みたいって思うんです」
「未来に……」
言いたいことが、わかる。
言葉にせずとも、月島が何を思ってこんなことを言いだしているのかよく理解できていた。
きっとこれは決意表明なのだ。
今の関係ではなく、ここからさらに進むという意思。
ならば俺のやるべきことも、やりたいことも決まり切っている。
「じゃあ一緒に行こうか」
「はい、当日は浴衣を着るので楽しみにしててくださいね!」
「ああ、楽しみにしてる」
心からそういうと。
「もう、そういうところですからね?」
月島は顔を赤く染めて、そっぽを向いた。
「俺も甚兵衛とか着た方がいいかな?」
「あるんですか?」
「実家にまだあったと思う」
大学生のころ、悪ふざけというかその場のノリで買ってしまったやつがあったと思う。
「それなら見てみたいですね。ジャージ以外の先生ってSSレアなので」
「待ってジャージ来てない俺って三パーセントなの?」
そりゃ体育教師という職業柄公私ともにジャージで過ごすことが多いけども。
何なら今家にいる時や寝るときだってジャージだし。
Vtuberとしての衣装もジャージなので、本当に四六時中ジャージを着ていると思われるのかもしれない。
「さすがに俺だってしかるべき時にはちゃんとした服を着るからね?」
「例えば?」
「うーん、ドレスコードのあるレストランに行くときとか、冠婚葬祭とか」
あと始業式と終業式。
あの日だけは教員一同スーツにネクタイだよ。
「スーツ姿の先生もかっ、よく似合ってますよね」
「え、ああ、ありがとう」
なんだこれは、気恥ずかしい。
「まあとりあえず、用意しておくよ」
「はい」
せっかく二人で出かけるんだし、ちゃんとしないと。
「あれ?」
もしかして、これ、デートでは?
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