第84話「コミケのあとで」
ブースでエロ本を二人で読んだ後。
俺たちは、帰路についていた。
コミケの後、打ち上げをするところもあったらしいが、俺達は参加していない。
売り子さんたちはもう帰ってしまったし、他の作家さんたちの打ち上げに参加するのも(むらむら先生は未成年なので)気が引けた。
何より、月島に「今日はもう疲れた」と言われてしまえばなおのこと何も言えなかったという話もある。
「先生、SMというのはですね――」
「うんうん、なるほどね」
車内での話題は、主にSMの話だった。
先ほどブース内での会話が続いている。
といっても、もっぱら月島の話を俺が聞いているだけだ。
月島の場合腕や足は疲れても話す体力はまだ残っているらしい。
俺としては、割とお腹いっぱいでもあったのだが。
せっかく今日は頑張ってくれたのだし、月島の好きにしゃべってもらおうという気持ちが勝った。
……こういうところがMに向いていると月島に言われるのだろうか。
月島曰く、相手を慮る心がSMの第一歩であるらしい。
それはMだけでなくSにも言えることだそうで。
「相手が嫌がることをしてしまったら、それはいじめなんですよ。要するに、お互いがどこまでしてもいいのかを相互理解することで関係をよりよくしていくのが重要なんですよね」
「なるほどねえ」
まあ月島の言いたいことはわかるし、正直生き生きとして語る月島は微笑ましいのでそのままにしておく。
普段見せてくれる優しさだけではなくて、こういう明るさにも俺は救われているんだなと今更ながら気づく。
「いつもありがとうな、本当に」
「どういたしまして」
俺の心をどこまで理解できているのかはわからないが、月島はそういってくれた。
「ただいま」
「ただいま」
「おかえりなさい」
家に帰ると、理恵子さんが玄関まで出迎えてくれた。
もうすでに夜になっていたし、心配するのは仕方がないと思う。
「お母さん、お仕事はもう終わったの?」
「ええ、なんとかね。今日はお寿司の出前を取ったから、三人で食べましょう」
「やったーっ!」
母親の前では、この子は年相応の少女になる。
ついさっきまでコミケのシャッターで無尽蔵の同人誌を売り上げた神絵師であるとは誰も思わないだろう。
「手助君にも、是非聞かせてほしいわ、コミケでどんなことがあったのか」
「「…………」」
俺達は黙って顔を見合わせ、うなずき合う。
――エロ本を読んだことは黙っておこう。
言葉にせずとも、俺達はそれを誓いあうことが出来た。
◇
「それでね、助手君がーー日高先生が頑張って一時間で全部売ってくれたの」
「俺だけじゃないですよ。他にも売り子さんが来てくださって、そのおかげなんです」
「あら、でも、日高先生もコスプレしてくださったんですよね?SNSに書き込みがありましたよ?」
「あー」
俺はそういえばそんなこともあったなと思い出す。
月島は正体を明かせないという理由からブースの奥に引きこもっていたが、中身がバレてまずいのは一応Vtuberである俺もまた同じ。
それゆえにコスプレをしていたのだが――ここで思わず誤算が生じた。
俺の写真を撮りたいという人が現れたのである。
コミケにおいて、いや、これは世の常だが許可なく人の写真を撮ってはいけない。
肖像権とかいう法律に引っかかるし、倫理的にも大いに問題がある。
逆に言えば、許可さえとっていれば何の問題もないわけだ。
「コスプレしている状態の俺に関しては、撮るのもネットにあげるのも好きにしていいとは言いましたね」
実際、かなりの数の人が他の三人のコスプレだけではなく俺のことを撮っていた。
そして、SNSにアップしている人もかなりいた。
俺の写真は、他に同じキャラクターのコスプレをしている人がいなかったこともあってそれなりに評判がよかったらしい。
まあ少しでもむらむら先生のブースが話題になっていたのならいいことだ。
「そうだったのね」
「そうなんだよ、日高先生がすごく頑張ってくれたの」
「そう、ならきちんと労ってあげるのよ?こういう時がチャンスなんですからね?」
「うん、ありがとう!」
「…………」
何だろう、話が変な方向へ向かっているような気がする。
まあ、聞かなかったことにしようか。
俺は自分の分の寿司を手に取り、口に放り込み。
「はいあーん」
「あーん」
「…………」
箸で月島の口に寿司を入れた。
筋肉痛が相当ひどいらしいからね。これくらいのことはしてもいいだろう。
理恵子さんが笑みを深めたような気がする。
なんだろうか。
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