第83話「むらむら先生の性癖」

 「助手君の緊縛性活」と書かれた同人誌は、端的に言えばSM本であった。

 むらむら先生が助手君を縛ったり、踏んだり、罵ったり、犯したりするという中々ハードな本であり、終始むらむら先生が一方的に主導権を握るという内容であった。

 表紙からして縛られた助手君がむらむら先生に踏まれるという内容だし。



「おおう……」



 俺は頭を抱えた。

 正直なところ、俺はこういうジャンルに触れたことがない。

 言っては何だが、比較的ノーマルな性癖だと自負している。

 好きか嫌いか以前に、丸で触れてこなかったせいでどう感じたらいいのかもわからないというのが本心である。

 月島の反応はどうであろうかと思い、恐る恐る見てみる。

 怒るのか、泣くのか、はたまた恥ずかしがるのか。



 鼻息荒く、目をギラギラさせて同人誌を見ていた。



「月島?」

「んえ?」



 トリップしていたのかと思うほど緩慢な動作でこちらを向く。

 そして俺と目を合わせて、自分がどんな反応をしていたか自覚したらしい。



「あ、あの、これは違くて」

「違うのか?」

「違わないんですけど、その、み、見ないでください」



 顔を真っ赤にして、あわてて口元をぬぐう。

 うん、ちょっとよだれも出てたね。



「前々から興味があって……」

「うん」

「あの、本当に誰かにやったことはもちろんないんですけど、創作物を見たりして、ハマってしまって」

「なるほど」

「先生、軽蔑してませんか?」

「いやまったく」

「……ふえ?」



 性的嗜好というのはさまざまだ。

 人外が性的対象だったり、暴力的な行為が好きだったり。

 時にそういった嗜好の差異を異端だと考える人もいるだろう。

 しかしそれらは人に迷惑をかけない限り、何の問題もない。

 だからそれで誰かを嫌いになったりはしない。



「むしろ、ちょっと嬉しいかな。また一つ、月島のことを知れたみたいで」

「…………」

「どうかしたか?」



 月島から返答はない。

 あんぐりと口を開けたまま固まっている。

 やがて硬直が解けると月島は目をそらした。



「先生」

「どうかしたのか?」

「そういうところですよ?」

「……どういうところ?」



 月島の耳は真っ赤になっていた。

 でもなんとなく、声の調子から怒っているわけではなさそうだった。

 そんな彼女の態度がかわいくて、くすっと笑ってしまった。



「じゃあその、先生は、こういうこと、されたら嫌じゃないんですか?」

「え」



 さてどう答えようかな。



「正直、よくわからない」

「と言いますと?」

「うーん、SMに当たるプレイがなんで性的なのかがよくわからない」



 拘束だとか、踏まれるとか、罵倒とか。

 そういう性的嗜好があるのは理解できる。

 理解したうえで、それで興奮できるかと言われれば全くもってそんなことはないわけで。



「あー、なるほど。つまり、嫌いではないけど、興味がないということですか?」

「無関心ってのが近いかもな。別に誰かがそれを好きでいるのは自由だけど、それをしたいとまでは思わないというか。嫌じゃないけど、楽しむことは難しい気がする」

「じゃ、じゃあもしも、パートナーからそういうプレイをしたいって言われた場合はどうしますか?その、お別れすることになりますか?」

「いや別れることはないかな。そのうえで、どうするか話し合うと思う」



 お互いが好き同士で付き合うからと言って、何のすれ違いもトラブルもないなんてことはあり得ない。

 性的嗜好の問題に限らず、違う場所で育ってきたものが誰より密接にかかわるのだから何かしら差異が生じるのは当たり前だ。



「俺の場合は、多分相手が特殊なプレイを求めてきたら……多分一旦応じるとは思う。そのうえで、どこからどこまでが負担じゃないかを考えるというか」

「それはどうして?」

「うん?」



 月島がそういうことを訊くのは意外だったな。

 だって、言われなくてもわかると思っていたから。

 月島がいつもやってくれていることだろうに。



「そりゃ、相手に喜んでほしいからでしょうよ」

「!」

「かけがえのない相手、少しでも幸せにしたい人、それをパートナーっていうんだよ」



 月島は、俺のことをとても大事にしてくれている。

 それは、俺を大切な仲間として見てくれているからだ。

 相手のことを大事にしたい、相手が好きなことは、大事にして尊重しておきたい。

 それが、自分の好きではなかったとしても。

 パートナーってのはそういうものだから。



「…………」



 改めて自分の言葉と、その根底にある感情に思いをはせる。

 なんだろう、俺、さっきからかなり気持ち悪いことを言っていないだろうか?

 彼氏面というか、月島に気味悪がられても仕方がないというか。



「先生」

「なんだ」

「怒らないで聞いてほしいんですけど、その」



 やっぱり気持ち悪かったかな?

 正直なところ、そういう風に思われても仕方ないのかなという気持ちもあるのだが。



「先生、Mの才能が有りますよ!」

「なんだって?」

「だって、相手に尽くすことがMの出発点なんです!奉仕精神なくしてMは成立しないんです」

「さようですか」



 どうやら俺は、まだ月島絵里という人間を甘く見ていたらしい。

 彼女は、とんでもない人間であると、改めて理解したのであった。

 


 



 

 



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