第80話「元婚約者の誤算」

両親の家を飛び出した私がまずしたことは、彼を呼び出すことだった。



「こんにちは、久しぶりね」

「うん、久しぶり!」



 彼は相変わらず、格好いい。

 美容師として見た目には誰よりも気を遣ってきたからこそわかっている。

 彼は単に顔がいいだけではなく、ファッションも超一流だ。

 誰もが顔を知っている俳優を父に持ち、その作品を一度は目にするであろう有名ファッションデザイナーを母にもつ彼。

 顔がよくて、カッコよくて、おしゃれで、気品があって。

 彼はまるで、物語の王子様みたいだった。



「それで、何かあったの?わざわざ呼び出すなんてさ」



 確かに、ここ最近は彼の部屋に直接行くことが多かった。

 だからこうしてわざわざカフェに呼び出すということ自体が不自然と言えば不自然だ。

 理由は二つある。

 一つは、彼のことを

 平然と接してくる彼の態度を見ると、あの日彼の部屋で他の女と絡み合っていたことが幻だったのではと思えてしまう。

 いやもしかしたら、何かの誤解だったのかもしれないと思えてきた。

 きっとあれは何かの間違い、あるいははずみで関係を持ってしまっただけ。

 私が拒絶せずちゃんと歩み寄れば、彼だって私を選んでくれるはず。




「実は、その」

「?」

「妊娠、したの」



 それを口にする前、私は色々なことを想像していた。

 例えば彼の反応。

 最初は呆気にとられるかもしれない。

 当然だ。

 だって、まさか妊娠するだなんて思ってもいなかっただろうから。

 まれにあることだし、私も友人が聴いたりはしていたが、きちんと避妊をしたつもりでも出来ていないことはある。

 けれど、徐々に現実が飲み込めて来るはずである。

 そうすると、どうなるか。

 私と彼の子がそう遠くないうちに生まれるかもしれないということを理解すると、どうなるのか。



 きっと、喜んでくれるはず。

 もちろん不安がないわけではないだろう。

 妊娠なんて初めての経験だから。

 それでも、彼が一緒ならきっと大丈夫なはずで。



「……え?」



 顔を上げて、彼の顔を見る。

 そこには、私が想定していたような反応はない。

 喜ぶ、驚く、あわてる、怒る、色々な反応をシミュレートしてきたけれど、その中のどれでもない。



「ふーん、そっか」



 彼の表情は変化しない。

 声色も、まるで変わっていない。

 あたかも、そんなことはどうでもいいとでもいうかのように。



「それだけ、じゃあ俺はもう帰るから」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」



 立ち上がり、帰ろうとする彼の袖を掴む。



「別にさ、俺の子供って決まったわけじゃ無くね?例の彼氏との子供って可能性だってあるでしょ?」

「そ、そんなことない。私」




 手助とはレス気味だったからと言おうとして、それが意味を持たないことに気付く。

 彼以外の子供ではないことを証明する手段はない。

 レスだと言いつつ手助との関係があったかもしれない。 

 そもそも、彼は自分の子供ではないと思っているのではなく。

 どちらであってもどうでもいいと考えているにすぎないのだ。

 私の子供に、私との子供に少しでも感じるものがあるのならばとりあえず席を立たずに話を聞いてくれるはずなのに。



「ま、待ってよ、私は貴方と結婚して、この子供の父親になってもらいたいって」

「あのさ、何か勘違いしてないか?」



「なんで認知しないといけないわけ?そもそも妊娠したって最近のことだよね?おろせばいいんじゃないの?」

「え、は、あ?」



 家族になれると思っていた。

 両親みたいな、互いを、そして子供のことを大事にしているかけがえのない存在になりたいとなれると信じ切っていた。




「ほら、君は仕事が好きって言ってたわけじゃない。妊娠したらその間は働けなくなるし、子供が出来たら育児だってあるでしょ?数年間、下手したら十年くらいまんぞくにはたらけなくなるでしょ?君の為にもここは堕しておいた方がいいと思うけどな」

「…………」



 声は涼やかで、声優かと思ってしまうくらい綺麗で。表情だって舞台俳優に劣らないくらいさわやかなのに。

 どうして、身体が動かないのだろう。

 ああそうか、理解を超えているんだ、この人は。

 


「あ、三号との待ち合わせの時間だ」

「あー、なんかぴっぴが他の女と一緒にいる!」

「別になんでもないよ、もう話すこともないし」

「そーなんだ、今日はさ、前から行きたかったお店に行こうよ!」

「いいね、晩御飯は予約してた店でいい?」




 軽薄そうな、髪をモモ色に染めた女が彼に腕を絡めてくる。

 ……そういえば、会計、払ってもらってない。

 そうか、そうだったのか。



「彼にとっては、私なんて替えの効くおもちゃでしかないのね」



 立ち去って行く彼を見つめながら、私は一人ごちた。

 


「許せない」



 ぽつりと漏れたそれが、私の本音で。

 ならば、私はどうするべきか何が正解か。

 決まっている。

 わかりきっている。



「どんな手を使っても、認知させてやる」



 だって、認められない。

 私だけが不幸になるなんて、それだけは絶対許せない。



「地獄まで付き合ってもらうわ」



 喫茶店の、空になったコップの前で、私は一人宣言した。

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