第77話「爆速で消えていく」
俺の仕事は売り子だ。
売り子は来客の対応が主な業務になる。
「これ、差し入れです!」
「あの、助手君ですか?配信観てます!」
「結婚資金の足しにしてほしいですぞ!」
癖の強い人たちを相手にしつつ、うまく回していく。
「あ、いや、別に付き合っているわけではなくてですね」
「む、では、これにて失礼しますぞ!」
どうしよう、誤解が解けなかった。
いや、あまり長時間居座るのはマナー違反だから商品を購入したらさっさと立ち去るのが正しいんだけどね。
まあ、誤解に満ちているとはいえ真心のこもった差し入れであることには間違いない。
ありがたく受け取っておこう。
「助手君さん、大変です」
ト音さんが、焦った表情を浮かべている。
「何かあったんですか?」
「それが、その」
「?」
「爆発的に売れてるんです」
「……なんて?」
いいことのように聞こえるが、何かおかしいのだろうか。
首をひねっていると、秋田さんが、俺の方に近づいてきて。
そのまま耳打ちしてきた。
正直、紙袋が邪魔でよく見えないんだが、多分耳打ちしてる。
「売れすぎてて、もうすぐ売り切れそうなんです」
「はい?」
待ってほしい。
今回、相当な数を刷っているはずだ。
Vtuberとしてデビューしたことで活動の幅が広がり、イラストレーター一本でやっていたとき以上のファンを獲得したむらむら先生。
当然ながら同人誌が売れる可能性も考慮はしていた。
「去年の二倍印刷したはずなんですが」
俺は参加していないから知らなかったけど、過去にどれくらい頒布したかの記録は残っていた。
それをもとに、ファンが増えていることを計算してかなりの量を印刷した。
俺は大いに反対した。
理由は単純に、そこまで売れるとは考えられなかったからだ。
というのも、俺達はデビューしてからまだ日が浅い。
Vtuberとして、タレントとしての俺たちのファンが作品を買ってくれるほどハマっているかどうかは未知数。
スーパーチャットを送ってくれる熱心なファンが印象に残りがちだが、U-TUBEを見ているファンの大半はいわゆる無課金勢である。
もちろん、それが悪いわけではない。
U-TUBEは閲覧してもらえるだけで広告収益が入るシステムだし、そもそも何にお金を使うのは当人が決めることだ。
だが、U-TUBEにおけるファンの増加は必ずしも同人誌やグッズなどの売り上げに寄与しないのである。
最終的には月島が折れなかったために二倍の部数を印刷したが、正直さすがに売れ残るのではないかと思っていた。
しかし、実際はこの売れ行きである。
「ひとつは、マーケティングですね」
ジョンリーさんが解説を始めた。
この人は、声は低く落ち着いていて、解説に向いている。
声だけは冷静なんだけどなあ。
「マーケティング、とは?」
「市場価値を理解して、商売をすることですね。つまり、何を描けば顧客が喜ぶのかを理解しているか、ということです」
言われて気づく。
第一に、むらむら先生の同人誌を、むらむら先生本人が描いているという状況の異常さに。
普通、同人誌――もとい二次創作というものは原作者や公式ではなく別の誰かが非公式に描くものだ。
しかし、むらむら先生だけは、むらむら先生の作品を公式として供給できるのである。
これは、他の作家にはない、月煮むらむら先生だけの特権である。
付け加えれば、わんださんや俺に対しても同じことが言える。
ファンの方が描いた二次創作も捨てがたいが、公式から出てきた作品には、抗いがたい圧倒的な魅力があるのだ。
「それだけじゃないですよ」
ぼそりと秋田さんがこぼした。
「ファンの民度がいいんですよね」
「民度?」
確かに、コミケに来る人の中にはマナーが悪いファンもいるとは聞いていた。
例えば、いきなり自分の絵を見せてきて添削をお願いして来たりだとか。
はたまた、長々と居座り続けてスタッフさんに連れ出される人だったりとか。
しかし、今日頒布をしていてそういう人は一人もいなかったりする。
もしかして。
「民度がいいから、変な客がいなくて、結果的に爆速で本が売れたってことですか?」
「そういうことになりますね……」
俺たちの目の前には、売り切れを示す看板が置かれている。
しかし、それを見た人たちはせいぜいがっくりと肩を落とすだけで、文句を言ってきたりする人はほとんどいない。
「配信者と視聴者は似るって言いますからね」
「まあ、むらむら先生がいい子だから、視聴者さんもいい人が多いってことですかね」
「助手君さん、こんな言葉があるのを知ってますか?」
「何?」
「「「せーの」」」
「鏡を見てください」
「夫婦は似てくる」
「無自覚なのは面白い」
「全員バラバラじゃないですか!」
開場からわずか一時間で。
用意していた同人誌はすべて売り切れた。
◇
「先生、お疲れさまでした……」
段ボールの影に隠れていた月島が姿を現す。
すでに、俺は紙袋を外している。
「じゃあ、私達は帰りますので」
コスプレイヤーさん達が三人並んで、にっこりとほほ笑んでいる。
どうしてか、三人とも両手を合わせている。
別に拝むようなものはないと思うんだが。
「「「あとは、お二人でごゆっくり!」」」
満面の笑みで、三人は手を振りながら去っていった。
「さて、どうする?」
「日高先生、一緒に回りませんか?」
「いいぞ」
こうして、俺達はコミケを回ることになった。
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