第74話「コミケ当日」
コミケに参加することを告知してから、早くも一か月が経過した。
色々なことがあった。
月島が本当にギリギリまで原稿を修正していたせいで印刷スケジュールがギリギリになったり。
補習とは別に出ていた夏休みの宿題。それが全く手つかずであったことを思い出し、急いで片づけたり。
急遽理恵さんがコミケ当日に仕事が入ってしまい、車もつかえなくなったので月島と俺が移動するためのレンタカーをあわてて借りる羽目になったり。
「さて、着いたな。起きろよ、月島」
レンタカーで移動すること数十分。
俺たちは、会場に到着していた。
すでに新刊は完成しており、会場に送られているはず。
「おはようございます……」
月島が眠そうな顔をして、のろのろと後部座席から出てきた。
彼女の仕事はほとんどない。
しいて挙げるならば現場全体を見ることと、あとは絶対に見つからないこと。
むらむら先生の個人情報は徹底的に伏せられている。
年齢、顔、身体的特徴、住所、そういったものは公開されていないし、配信上でも漏れないように気を付けている。
これはストーカーなどから彼女を守るためには必要な行為だった。
ゆえに、ごく一部の人間以外は、月煮むらむら先生が女子高生であることすら知らない。
まして、Vtuberになった今、彼女の素顔はキャラクター的な意味合いでも絶対に晒せないものになった。
「とりあえず、これを被っていてくれ」
「はい……」
月島に野球帽をかぶせつつ、俺は考える。
彼女を守りつつ、彼女の作品を売る。
それが、俺のやるべきことだ。
「あ、先生」
「うん?どうかしたか?」
「実はその、先生も一応顔が割れるのあんまりよくないんですよ」
「まあ、そうだな」
俺も一応Vtuber。
架空の世界のキャラクターである。
なので、素顔を晒すわけにはいかないというのはわかる。
だとすると、俺も売り子はやらず、ブースの奥の方で作業をする形になるのだろうか。
それはそれで、俺は別に構わないのだけれど。
……でも、ファンの人たちは俺もむらむら先生にも会えなくて、果たして納得するのだろうか。
仕方がないことではあるのだけれど。
「なので、これをつけてください」
「うん?」
月島が差し出してきたのは、紙袋だった。
中身はなんだろうと覗き込んでみるものの、特に何も入ってはいない。
ただ、二か所に穴が空いていた。
まるで、のぞき穴のごとく。
「なあ、月島、まさかとは思うんだけど」
「なんですか?」
「これを被れって言いたいわけじゃないよな?」
「そのつもりですけど」
「ただの不審者にならないか?」
「ブースの中でだけつけておけば大丈夫だと思いますけど……」
「むらむら先生のブースの中に不審者がいると思われるだろ!」
いくらコスプレイヤーもいるとはいえ、紙袋を頭からかぶっているのは流石に変質者だと思われかねない。
「そうは言いますけど、これ以外に方法はありませんし……」
「本当にないのか?」
「ないですね、この『ダークマイン』のコスプレをしてもらうほかありません」
そういえば、むらむら先生が手掛けた仕事の中に、ソシャゲの敵キャラのデザインもあったな。
黒い服に身を包み、紫色の爪を伸ばし、顔は穴の開いた紙袋で覆われている。
元々むらむら先生がデザインしたものなら、むらむら先生や助手君のコスプレに混じってもそこまで違和感はないかもしれないが……。
「いややっぱり違和感あるだろ」
「そうですか?私結構かわいいと思うんですけど」
「『ダークマイン』はかわいくても俺はかわいくねえよ!?」
確かにちょっと愛らしい感じはするけど、それはむらむら先生の絵が素晴らしいからであって。
俺がやってもそうはならんのだ。
「そんなことないですよ?先生だってかわいいところはありますから」
「どんなところだよ……」
二十年前の写真とか見たんだろうか。
見せた覚えはないんだけど。
「そうですね、配信中に私がちょっとでもよりかかると避けようとするところとか?」
「……お前が狭いかなって思ったんだよ」
嘘ではない。
嘘ではないが、それだけではない。
「あとはそうですね、ご飯を食べてるときかはかわいいですね」
「そうか?」
客観的に考えて、多分間違っていると思うのだけれど。
「まあ、いいよ」
俺は、紙袋を被る。
まんまと乗せられた形にはなるが。
◇
「やっぱ暑いからギリギリまで外してていい?」
「あ、どうぞ」
せめて屋内ブースに入るまでは身軽な恰好でいたい。
それに、ここまで暑いと、顔を隠す必要もない。
気温とは別の理由で顔が熱くても、どうせ気づかれない。
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