第66話「お休みのキスを」
その後も、俺と月島は色々なことを語った。
といっても、彼女に寝付いてほしいので、俺から話しかけることはほとんどない。
彼女が話したいことを話して、それに俺が応じるという形だ。
「それで、わんだちゃんがあの水着を勧めてくれたんですよ。私は正直恥ずかしいなと思ったんですけど、あの子がここで攻めるべきだって言いだして……先生、どうでしたか?」
「似合ってるよ。正直、可愛いとも思った」
「えへへ、じゃあ着てきたかいがありましたね……」
今日に関する話をしていたり。
「そういえば、この前のソシャゲーー『魚娘アクアパッツァ』なんですけどね、今度またイベントがあるらしいんですよ」
「そりゃいいな。でも、夏イベントだとコミケより先に終わっちゃうんじゃないか?」
「いえ、秋のイベントーーハーフアニバーサリーですね。1・5周年イベントが近いんです」
「おっ、それなら間に合うな。またガチャ対決でもするか?」
「うう、爆死の悪夢が……」
「ははは」
ちょっとした未来の話をしたり。
「先生は、あれ以来お義父さんやお義母さんとお会いしましたか?」
「いや、会ってないな」
「会わないとダメですよ?いつ会えるのかも、関係がどうなるのかも、わからないですからね?」
「うん、そうだな」
有難い薫陶を受けたり。
実際、親には文章で伝えただけでまだ顔を合わせていない。
合わせる顔がない、というのが正直なところだ。
孫の顔を見られるのが楽しみだ、などと元婚約者を連れてきたときに言われたことが頭から離れない。
だから、結局会えずじまいだ。
もしも、今手を握っている少女が隣にいてくれたら……と考えかけて、それはダメだと自分に言い聞かせる。
それはくだらない感傷で、妄想で……弱い自分の中にある願望だから。
「やっぱり、月島はすごいな。誰かのママになることで、人の親っぽくなってる気がする」
「なんですか、もう、もう」
「月島が頑張ってるってことだよ」
「はい……」
目がとろんとしていて、受け答えもはっきりしなくなってきた。
大部眠気が回ってきたな。
正直、そろそろ部屋に戻ってもいいのだが……まあ完全に眠るまで傍にいると約束したからな。
「せんせい」
「うん?」
「せんせい、ちゅうしてくれませんか?」
「…………」
あかん。
寝ぼけてとんでもないこと言ってるんだけど。
さすがにいくら何でも人としてやってはいけないことがあると思う。
恋人でもない相手にそういうことをしたら、それはもう獣と同じではないだろうか。
ましてや、意識があるかもわからない相手であればなおさら。
「とりあえず無視するか」
自分に言い聞かせるようにそうつぶやいた。
月島の薄い唇から目をそらし、天井を見上げる。
そうしないと、色々と余計なことを考えてしまいそうだから。
「いいじゃないですかあ、わたし、せんせいならいいですよ?」
「…………」
寝ぼけてさらにとんでもないことを言いだしている。
これは本当にまずい。
俺とて、性欲はある。
深夜で、二人きりで、互いの肌が触れ合っている状態で。
誘惑を食らいすぎると、理性が崩壊してしまう危険性はある。
「耐えろ、耐えるんだ……」
誰に訊いたか忘れたが、何かしらを心に決めた時には実際に口に出すのが効果的らしい。
ついでに俺の口から音を出すことで、月島の声を聞かないようにするという意味もある。
大事なのは、月島が完全に寝るまで耐えきること。
そうすれば俺の勝ちだ。
彼女を傷つけるようなことがあってはいけない。
だって月島は俺にとって大事な。
「大事な……」
大事な、何なのだろう。
教え子だろうか。
それは正しい。
教師と生徒でなければ、俺達は知り合うことすらなかったはずだ。
けれど彼女を言い表す言葉としてそれだけじゃ絶対に足りない。
仕事仲間だろうか。
間違ってはいない。
彼女に雇われる形で、Vtuberの仕事をサポートしている。
けれど、仕事上の関係と言い切れるほどドライなものでもないと思う。
少なくともそんな関係だったら、こうして傍で手を握ったりはしないと思う。
あるいは、友人と言えるかもしれない。
特に同居を始めてからというもの、些細なことを話したりして、そんな時間を心地いいと思っている自分がいて。
年齢差こそあれ、親しい友人であると言っても問題ないかもしれない。
けれど、彼女はそれを望んでいるのだろうか。
俺も、果たしてそれでいいと思っているのだろうか。
それ以上を望んではいやしないだろうか。
「すぅすぅ」
月島の可愛らしい寝息によって、俺の思考は中断された。
寝たのかを確認するために、視線を下に落として。
息が止まったかのように錯覚した。
「…………」
天使のような寝顔、という言葉があるが彼女の寝顔はそういうものだった。
何か嬉しいことでもあったのか、あるいは何かしらの安心を得ているのか。
そこに、俺の存在がいてくれたら嬉しいなと思う。
とはいえ、まずい。
俺は自分の視線が、少しだけ開いた唇に吸い寄せられているのを自覚した。
「戦略的撤退……」
小声でつぶやきながら、そっと月島から手を離し、部屋を出る。
自分の部屋に戻ると、俺はベッドに倒れこんだ。
先ほどまで、最も尊いものを握っていた手を見る。
そこにはまだ、温かさが残っているような気がした。
◇
「お休みのキスを(しない)」
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