第65話「寝入る君の隣で」

 夜、ロリリズムさんとわんださんが寝静まった後。

 俺は、月島の部屋の前にいた。

 この別荘はやたら広く、四人全員分の部屋があった。

 この別荘の持ち主は富豪か何かなのだろうか。

 息を深く吸い込む。

 その動作をして初めて、自分が緊張していることを理解する。

 けれど、今更戻るわけにはいかない。

 俺は、今夜彼女の側にいると約束した。

 彼女との約束を一度たりとも破るわけにはいかない。

 それは嘘であると判定され、もう俺は彼女の側にいることはできなくなる。

 


「そこだけは、きっと今も昔も変わってない」



 かつて、月島がはじめてコミケに参加した時のこと。

 たまたま隣になったサークルがいわゆる実績でマウントを取ってくる手合いだった。

 問題は、それが嘘の経歴でしかないことだった。

 往々にして、そういう嘘でしか己を飾れない人間というのは存在する。

 そしてそういう人間は距離を置くのが、関わらないのが最も正しい選択だ。

 悪質ではあっても、自分をよく見せようとするのは普通の人間心理だし、うっとうしいなら相槌を打つなり無視するなり、うまく流すのが正解だろう。

 ただ、月島はそれをしなかった。

 相手の発言が嘘であるということを根拠を示したうえで一つ一つ指摘し、訂正。

 これだけならまだよかったのだが、嘘の指摘を終えた彼女はそのまま相手の人格攻撃を開始。

 そのまま五分間にわたって、俺の制止も聞かずに誹謗中傷のまがいのを続けた。

 


 大の大人に対して、まだ中学生の少女が、である。

 俺や向こう側のスタッフが割って入らなければ乱闘という名の一方的な蹂躙が行われていた可能性がある。

 気弱で、人と話すのも難しかった少女が、嘘を吐いた人間にだけは辛辣かつ攻撃的になる。

 彼女の嘘に対する憎しみは絶対的なものであり、だから俺は彼女に対して嘘はつかない。

 嘘を吐くという行為は、月島絵里という人格、あるいは人間そのものの否定になりえるからだ。

 閑話休題。

 ともあれ、彼女の側にいたいのであれば。

 嘘をつかないというのは絶対条件である。

 

「月島……」



 俺は、ドアをノックした。




「こんばんは、先生」

「おう」



 月島は、部屋着に着替えていた。

 別に、色気のあるネグリジェとかでは決してない。

 寝やすいようになのか、Tシャツにショートパンツというありふれた組み合わせ。

 なのにどういうわけか、目をそらしてしまう。

 真夏の夜というシチュエーションがそうさせるのか、相手が月島だからなのかは俺には判断できない。



「とりあえず、ここに座ってください」



 月島に案内されて、俺はベッドの上に腰掛ける。

 月島自身は、布団の中に入っていく。

 すっと、手を差し出してきた。

 これは流石に、俺のような鈍感な人間でもわかる。

 俺はゆっくりと、彼女の手を握った。



「えへへ……いいですね。ありがとうございます」

「……おう、そうか」



 月島がにこにこしながらもぞもぞと握った手を動かす。

 二重の意味でこそばゆい。 



「先生、何か、お話しませんか?」

「ああ、いいよ、じゃあ、今日の話をしようか?」



 少なくとも辛いことや悲しいことよりは、きっと楽しかったことを話したほうがいいと判断した。



「まず、車に乗って移動したんでしたね……。ロリリズムさんがずっと某アニメのテーマソングを流すから冷や冷やしてました」

「俺も」



 某アニメ、というのは豆腐屋の息子が公道を競争するというもの。

 要するに、ロリリズムさんはそのテーマソングを聴きながらめちゃくちゃスピードをあげるので、俺も月島も車から降りるときはふらふらになっていた。

 


「帰りはもうちょっと速度落としてもらいたいですね……」

「俺の口からも言っておくよ」



 あの運転はちょっと……いやかなり危ない。

 高速道路だからといって何キロでも出していいわけじゃないしな。

 


「お昼は、コンビニ弁当でしたね……私あんまり食べることなかったんで新鮮でした」

「そうなのか?」

「はい、私子供のころから必要な時は自炊したりしてたので、外食する機会もあんまりなくて」

「……月島が嫌じゃなければどこか出かけるか?何か食べに」

「いいですねえ、先生は何が食べたいですか?」

「正直何でもいいんだけど……月島は?」

「そうですねえ、ハンバーガーとか食べたいです。自分で作ることってまずないんで」

「それくらいなら今度食べに行こうよ」

「いいんですか?」

「そりゃあな」



 いつの間にか、二人で出かける約束をしてしまっている。

 そしてそれを、悪くないと思ってしまっているのだ。

 俺という人間は。

 窓の隙間から月光が入ってきて、月島の顔を照らす。

 それはひどく、美しかった。



「月が――」

「え?」

「ああいや、秋になると月見バーガーっていうのが出るんだよ。月見って言ってもゆで卵を輪切りにしただけで月そのものってわけじゃないけどな」

「もう、それくらい知ってますよ」

「だよな、前食べたいって言ってたし」

「そうなんですよ、確かにそれを食べに行くのはありですね」




 深夜、月光が入って来る。

 月が綺麗ですねと、俺はまだ彼女の前で口にできない。





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