第56話「抑圧からの解放」


 夏休みに入ってから二週間が過ぎた。

 何事にも終わりというものがある。

 時間の流れは止められない。

 禍福のどちらであっても終わらないということはないのだ。

 そんな神妙なことを考えながら。



「「せーの」」



 俺は、手に持っていたクラッカーの紐を引っ張る。

 パンっという乾いた音がして月島に紙テープがかかる。

 俺とわんださんが出した二本分の紙テープを浴びて、もみくちゃになっている。



「「補習お疲れ様!」」

「あ、ありがとうございます。なんだか照れますね」



 一日四時間、それを二週間。

 合計四十八時間の補習。

 それを耐えきった月島は、刑期を終えた受刑者のような顔をしている。

 まあ、俺は犯罪者に会ったことはないわけだが。

 きっと今後も会うことはないだろう。




「このパーティ、日高先生が企画してくれたんですよね。絵里ちゃんに何かできないかなって」



 俺の隣でクラッカーを掲げているわんださんがニヤニヤしながらこちらを見てくる。

 



「まあな」

「先生……」


 月島はキラキラと目を輝かせている。

 正直めちゃくちゃかわいいが一旦落ち着いてほしい。

 いや、もしかすると落ち着いていないのは俺なのだろうか。



「くうー、てぇてぇなあ、お二人とも。私、二人の娘になれてよかったー」

「いや全然そんな事実はありませんけど」



 捏造は良くない。

 俺も月島も結婚とかしてないから。



「わ、わんだちゃんと先生と私で家族……」

  


 月島を見るとやっぱり真っ赤になっていた。



「月島も真に受けないで!」



 からかってきているのが丸わかりのワンダさんと違って。そういう反応されるとこっちも恥ずかしくなるから!



「とにかく補習お疲れ様でした」

「本当ですよ、もう。なんで補習なんてあるんですかね?」

「それは月島がサボり過ぎたからでは?」

「あのテスト、ちゃんと勉強したらある程度は点数もらえるんだけどねー」

「なんでそこは二人とも容赦ないんですか!?」



 だって授業全部寝て点数取れないのは当たり前のことだし……。

 ある程度厳しく言っておかないと。

 また、補習にかかりでもしたら困るのは月島だし。



 「これに懲りたら次からはちゃんと夜に寝て、昼間は起きて授業受けることだな」「せ、正論です」

「徹夜は効率が良くないし、体にも悪いんだぜ?」



 高校球児だった頃、当時の指導者に叩き込まれた言葉がある。

 曰く、「一に練習、ニに休息」である。

 別に怠けてもいいというわけじゃない。

 むしろその逆で、遊んでいる暇があったら練習以外の時間は積極的に睡眠や食事に充てろという意味だった。

 監督は何人もの選手が無茶をして故障していくのを見てきたのだろう。

 だから彼は全力で休めと俺たちに言ったのだ。



「体調の管理も仕事のうちだからな。今日はゆっくり休むんだぞ」

「はい、ありがとうございます」

「うっ」



 何かを感じ取ったのか、わんださんは胸を押さえてのたうちまわった。

一応人の家なんだけどな。

 よくここまでくつろげるものだと一周回って感心してしまった。



「とりあえず、料理食べてもいいですか?」

「いいぞ。っていうか俺も食べるよ」

「夫婦漫才見てたら遅くなっちゃったなー」

「もう、わんだちゃんも変なこと言わない!」

「ごめんごめん、はい、あーん」

「ん、美味しいです!」



 月島はわんださんに突っ込まれたナゲットに目を輝かせた。




「そりゃ良かった」

「今日の料理って日高先生が作ってくれたんですか?」

「ああうん、一応全部」



 まあいろいろ発展途上なのは変わらないけどな。

 色々作ってはみたけど、まだまだ月島の料理には遠く及ばない。



「先生、これめちゃくちゃおいしいですね!」



 チーズやジャムの乗ったカナッペを月島はおいしそうに食べている。

 いやそれ、正直俺の技術じゃなくて素材の問題……まあ喜んでくれているならいいんだけどね。



「ずいぶん嬉しそうだねー」

「うん、だって、料理って手間がかかるからね」

「あー、それはちょっとわかるかも。うちの親も毎朝早起きして弁当作ってくれるの本当にありがたいからねー」

「私も、料理を作るときは相手のことを想って一生懸命作るので……先生が今回そうしてくれたことが、すごく嬉しいんです」

「そっか……」



 俺は、アスパラのベーコン巻きを一つとって口に入れる。

 少しだけ焼き過ぎたそれは、未だに月島の味には遠く及ばない。

 けれど、人の心を感動させるのは技術のみにあらず。

 親が幼い子供の絵を見て喜ぶように。

 一生懸命誰かのことを考えて作ったものは、それだけで誰かの心つかむことが出来る。

 そもそも、うまい下手なんてどうでもいい。

 今日の料理は、パーティは、全部月島の努力と苦労をねぎらうためにあるんだから。



「お前が喜んでくれて、俺も嬉しいよ」

「先生……」

「ところでむらむら先生」

「何?わんだちゃん」

「ちょっと提案したいことがあるんだけど」

「「?」」

「合宿をやらない?」




 ◇



 余談だが、このパーティの様子をわんださんが(補習などの事情は伏せて)SNSにアップしたことで、万バズし、わんださんのトゥイッターのフォロワー数はさらなる躍進を遂げるのだが――それはまた別の話である。

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