第55話「ただ見ていることしかできないが」
「やーっ、結構進みましたね」
「そんなに進んだのか?」
「もちろんですよ。はい、これが今日の進捗」
「おお……」
たった二時間の配信で、一ページ描き終わっている。
これはとんでもないことだ。
漫画というものは読む方は簡単かつ手軽だが、描く方はそうもいかない。
一ページに駒が多数あり、描く内容、小回り、視線誘導、背景などを緻密に設計しなくてはならない。
そしてそれが終わり、ラフが描けたらいよいよ絵を描いていくわけだが、そこからも苦行だ。
漫画の絵は動きもあるし、ストーリーがある分表情も多様。
極論一枚絵だけ描くのであれば構図はワンパターンでいいが、漫画は同じキャラクターでも一コマ一コマ構図や表情がまるで異なっている。
実際、イラストは描けるが漫画は描けないという人も珍しくはないらしい。
むらむら先生とて、昔はできなかったはず。
彼女が中学一年生の時は、まだ漫画が描けなかったためイラスト集を作っていたはずだ。
要するに、何が言いたいのかと言えば。
この作業配信の成果は、漫画というもののむずかしさを想えば出来過ぎているということだ。
「じゃあ、食器片づけてくるぞ。お風呂はもう湧いてるから、先入ってな」
「あ、それくらいは私が」
「ダメだ。お前はこの夏はなるべく勉強と創作に集中していてくれ」
「りょ、了解です」
ちょっとキツイ言い方になってしまっただろうか。
とはいえ、俺は月島のために出来ることをやると決めているわけで。
月島のために、できることはあまりにも少ない。
彼女がやっていた雑用を肩代わりしたら、あとはただ見ていることしかできないのだ。
◇
食器洗いとトイレ掃除、さらに入浴と風呂掃除も終えて。
俺は、月島の部屋の前に来ていた。
特に用があったわけではない。
ただ、ちゃんと寝ているのか、確認するためである。
頑張ってほしいとは思うが、それで睡眠不足になってしまってはかえって効率が悪い。
ノックをする。
返事がない。
一応返事がないときは入っていいという風に許可をもらっているので、部屋の扉を開ける。
そこには。
「月し、ま」
「違う、こうじゃない。もっと、こう」
「…………」
部屋に俺が入ったことすら気づかないほど、タブレットに没頭している月島がいた。
顔をしかめて、汗を垂らして。
必死に何かを描きこんでいる。
デジタルゆえにできることだろう、何度も何度も微妙な修正を重ねている。
必死になって足掻くさまを。
俺は、純粋に綺麗だと思った。
「すごいな……」
今の俺に、こんな風に何かに全力で打ち込むことが出来るだろうか?
多分もう、できない。
若いころならば、強豪校に入り、本気でプロや甲子園を目指していたあの頃の俺なら、あるいは同程度の熱を持っていたのかもしれない。
今の俺には、もう残っていない。
熱量を失ったことを悔いるつもりはない。
あの時全力を出し切った。
ただ、俺はもう本当の意味で月島と同等の存在になることはできなくて。
見ていることしか、俺に出来ることはない。
「なら」
俺に出来ることをしよう。
月島が、より良い作品を作れる。
前を向いて、戦い続けることが出来るように。
俺は、一階に降りていった。
◇
月島に集中してもらうために俺が考えたのは、飲み物を淹れることだ。
深夜、飲むものと言えばココアだろう。
おいしいココアの作り方は、二段階に分けることなのだという。
まず、ココアパウダーを少量の牛乳で溶かす。
こうすることによって、ペースト状のココアができる。
そして、そこにミルクを入れることによってダマがない綺麗な状態のココアを作ることが出来るというわけだ。
「そして、もう一工夫」
氷の入ったグラスに、ココアをこしながら入れていく。
ココアに氷を入れるんじゃなくて、氷にココアを入れていくのがコツだ。
「これで、アイスココアの完成だな」
夏だからな。
冬ならホットココアなんだが、そんなものこの暑い夏に出せるわけがない。
最後にストローをさして、二階に上がる。
「すごいな」
見ていることしかできないけれど。
ちゃんとずっと見ているから。
そう思いながら、彼女の隣にココアを置いて、俺は自分の部屋に戻った。
水分と糖分を補給した彼女が、全力を発揮できますように。
あと、ココアは睡眠の質を高めてくれる効果があるから、ちゃんとぐっすり寝てくれるといいな……。
没頭しすぎて徹夜するの、効率悪いからね。
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