第49話「とある少女について」


 嘘が、嫌いだ。

 嘘は、私にとって一番大切なものを奪っていったから。

 大事にしていたものは踏み砕かれて、何もする気がなくなった。

 大好きだった絵さえ一時期描くのをやめていたほどに、あの頃の私は無気力で、無力でもあった。



 だから、はじめてあの人が私を訪ねてきたとき、私はこう言った。



「嘘はつかないで。もし嘘をついたら、その時点でもう二度と会わない」



 そして、彼は一度も私の前では嘘をついていない。

 別に、すべての嘘が悪いわけではないと頭ではわかっている。

 善意から、あるいはユーモアのための嘘だってあるでしょう。

 ただそれでも、私はそれを受け入れることがどうしたって出来なくて。



「絵を描けるの、すごくないか!……ところでどんな絵を描くんだ?ゴッホとか?」

「いいか月島、とりあえずここの取扱説明書をじっくり読んでみよう。大丈夫だって、お前がわからなさそうなところは全部ルビ振ってあるから」

「こみけってなんだ?いや、手伝うのは構わないんだが、絵心の一切ない人間が参加していいものなのか?」

「学校?いいんじゃないか?お前が戻りたいなら、いつでも俺は待ってるぞ」



 けれど、彼は私の側にいてくれた。

 私が彼に失望するような事態も起きなくて。

 むしろ、その逆の気持ちがどんどん膨れ上がっていって。

 私の罪悪感と自己嫌悪も、それに否定して大きくなっていった。



 だから、私は彼から離れたんです。

 そうです、私は。

 自分が嘘つきになるのが嫌で、彼を突き放したんです。



 ◇



「絵里ちゃん、絵里ちゃん」

「うーん」

「もうホームルーム終わったよ?掃除始まっちゃうから、どかないとダメだよ?」

「はっ」



 しまった、私としたことが。



「今日もがっつり寝てたね~。最後に授業起きてたのいつ?」

「ええ、覚えてないなあ」

「あんまり夜更かししちゃだめだよ?いろいろ忙しいとはいえ、ね?」



 わんだちゃんは、私の学校における数少ない友人である。

 そして、私の正体を知る数少ない人間であり、仕事仲間でもあり、なんなら娘でもある。

 犬牙見わんだという名前で活動するVtuberである。

 そして私、イラストレーター月煮むらむらが犬牙見わんだのデザインを担当しており、彼女は私にとっての「娘」である。

 付け加えれば、私がVtuber活動を少し前から始めたことで、同業者にもなった。

 その点に関してはむしろ先輩というのが正しいのかもしれない。

 


「まあいいですよ、今日から夏休みだからね」

「うーん」




 掃除当番の人に頭を下げつつ、私は教室を出て、わんだちゃんとならんで廊下を歩く。

 お互い友人が少ないせいもあって、こうして一緒に過ごすのがデフォルトになっている。



「どうかしたの?あんまり夏休みは楽しくない感じなの?」

「楽しくないわけじゃないけど……基本的には仕事ばっかりになりそうだからね」

「ああ……」

「ていうか私が気にしてるのは絵里ちゃんのことなんだけどね……」



 確かにVtuberって休みほど仕事しているイメージがある。

 夏休みはまだいい方で、クリスマスとイブには絶対に何かしら配信するよう、会社に言われているのだとか。

 まあ私は会社に勤めているわけではないので、そういうノルマは全くないのだけれど。

 あと、クリスマスに関しては私の場合休んでいても何も言われなさそうではある。

 その、リスナーの雰囲気的に。



「私もイラストの仕事、結構あるからなあ。わんだちゃんと同じで夏休みは仕事漬けになりそう」

「……いやあの、そういうことじゃなくてさ」



 コミケもあるからなあ。

 まだ原稿終わってないから修羅場になりそう。

 まあ、日高先生やお母さんにも協力してもらえばなんとかなるだろう。



「絵里ちゃん、一つ訊きたいんだけど、期末テストの順位って何位だった?」

「え、うーん、あ、二百四人中二百二位って書いてある」



 いつもが百八十位くらいだからちょっと下がったかな。

 まあ、これくらいは仕方がないでしょう。



「まじか。まじかー」



 通知表を取り出して見せると、わんだちゃんが頭を抱え始めた。

 


「いい、聞いて、絵里ちゃん」

「何?」

「絵里ちゃんは聞いてなかったかもしれないけど、成績下位十パーセントの人間は、強制的に、夏休みに補習を受けないといけません」

「え?」



 今。

 なんといったのだろうか。

 夏休みに、補習?

 それって、どれくらい?

 なんで?去年まではなかったはず。

 というか、まずい。

 ただでさえギリギリのスケジュールが。



「絵里ちゃん、今年は、多分マジでヤバいよ。夏休みの半分くらいは、補習だけで潰れると思う」

「嘘、だったりしない?」

「……私が絵里ちゃんに嘘つくと思ってる?」

「きゅう」



 私はくらりと途切れそうになる意識を、繋ぎとめるので精いっぱいであった。

 この時ほど、誰かの発言が嘘であってほしかったなと思ったことはなかった。

 かくして、始まる。始まるのだ。

 私にとって、史上最悪の夏休みが、幕を開ける。



 ◇


 第二章、夏休み編、スタートです。

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