第45話「だから、苦しまなくていい」

「――ということが、実は同居開始前にあったんだよね」

「確かに同居しようって言いだしてから実行するまでにタイムラグはありましたけど、そんなことまでしてたんですね」

「嫌だった?」

「いえ、そんなことないです。むしろ、先生が真剣に考えてくださっていたことが嬉しいです」



 私が至りませんでしたね、と月島が苦笑する。



 確かに月島の言うことは半分正解だ。

 俺がそこまで急いだのは、月島との同居を実現するため。

 教え子でもあり、未成年である月島との同居はさまざまな問題がある。

 とはいえ、そう言った社会的問題の大半は保護者の許可を得てしまえば丸く収まるものだが――唯一そうはいかないことがある。

 もちろん、俺と元婚約者との婚約が正式には解消されていなかったことだ。

 俺と月島は当然交際していない。

 いないが――婚約者のいる男性が他の女性と同居するのはまずい。

 浮気どころか、婚約者を捨てたと勘違いされても文句を言えないレベルだ。

 俺のことはともかくとして、月島が加害者になるようなことだけは絶対に防がなくてはならなかった。




「だから、同居開始までに婚約を破棄する必要があったんだよ」



 元婚約者の両親に連絡を取るところから始めた。

 彼らは最初娘が浮気をして、全財産を持ち逃げしたという話を聞いてもすぐには信じなかった。

 決定的な証拠となったのは、やはり俺があの日撮影していた動画だった。

 正直なところあんまり使いたくはなかったんだがな。

 思い出したくもない映像ではあるし。

 ただし、それでもなおつかみ取りたいものがある場合は別だ。

 月島との未来が、俺にとっては一番大事なものだったから。

 月島と一緒に生きていくために、そう思えば必死になれた。



 閑話休題。

 元婚約者の両親は、わざわざ俺のことを尋ねてくれて、頭を下げてくれた。

 俺が義母に――ほとんど義父、義母という認識だったのでそう呼称する――女性恐怖症であるゆえに近づかないでほしい旨を伝えると、泣きながら後ろに下がっていった。

 そんな姿が、痛々しかった。

 ともあれ、俺は義父に元婚約者を呼び出して欲しいことと、婚約を破棄したい旨を告げた。

 義父は当然だろう、といわんばかりにうなずいていた。

 真面目で厳格な人だったから、やはり元婚約者の裏切りは許せることではなかったらしい。

 義母も、遠巻きに「あなたの好きにして頂戴」と泣きながら肯定してくれた。



「それで、浮気おん――元婚約者を呼び出して、婚約破棄をしたんですよね?」

「ああ、あとは弁護士を介して婚約破棄の慰謝料の手続きとかを進めてる」

 


 俺は知らなかったがかなり前から、浮気相手と深い関係だったこと。

 謝罪もせずに逃げ出し、

 何より、結婚資金として貯めていた金を持ち逃げしたこと。

 そのすべてが悪質とされ、慰謝料はかなりの額になったらしい。

 持ち出した金の全額返済も要求しているから、払い切れるかは怪しいとしか言えない。

 


「……もう、お金は返ってきたんですか?」

「いや全然。分割払いで合意したし」

「あー、まあ一括は無理ですもんね」

「それもあるし、いや、これはいいや」



 一括を分割にする代わりに間男の居場所を教えてもらう取引があったりもしたんだよな。

 まあ、返ってくる額は変わらないし、俺も一括で元婚約者が返せるとは思っていないわけで。

 間男にも多々問題がある気がするので……何かしら制裁を加える必要がある。

 そちらに関しては弁護士に任せているので、俺のやるべきことはもう終わっている。

 


「ともあれ、もう俺は婚約者とは完全にお別れして、晴れて身ぎれいになりましたってことかな」

「どうして、それ、今まで言ってくれなかったんですか?」



 月島がジト目で俺を睨んでくる。

 正論と視線が俺を刺し貫いてくる。



「それは本当にごめん……お前に、そういう汚い争いを見せたくなかったんだ」

「子供扱いしてます?」

「それは違うよ」



 慌てて否定した。

 月島を子供だと思って接しているなんてことは、ないのだ。

 仕事仲間で、相棒に対して、それはただの侮辱でしかないから。



「ただ、お前と過ごす時間が穏やかで、楽しくて、幸せだったから」



 例えば、次の配信の計画を練っている時だったり。

 例えば、夜更かしをしてイラストを描こうとしている月島を咎めた時だったり。

 例えば、月島が作ってくれた料理を思い返しながら皿を洗っている時だったり。

 例えば、朝起きた時、最近よく眠れているなと気づいた時だったり。



「だから、その時間に不純物を加えたくなくて、まあ、その、悪かった」



 頭を下げる。



「か、顔を上げてください」



 言われて、ゆっくりと顔を上げる。



 月島は、ジト目のまま、顔を横に向けてこちらを睨んでいる。

 左手は、落ち着かないのかボブヘアーをいじっていた。

 頬は、紅く染まっていた。



「なんですか、ズルいですよ。私と一緒にいるのが幸せだったなんて、そういう風に言われちゃったら、何も言えないじゃないですか……」

「ああ、まあ、ごめん」

「いえ、別に」



 改めて指摘されると、かなり恥ずかしいことを言ってしまった気がする。

 なんだろう、急激に恥ずかしくなってきてしまった。

 顔が熱い。

 俺の顔も、月島と同じ色になっているのかもしれない。


 

「すみません、先生が色々先に進むために準備をしてるのは知ってたんです。いろんな人に電話をかけてるのは聞こえてたんで、内容的に弁護士の先生なのかなって思ったりして」

「ああ、そうだよね」

 

 

 特にここ二週間は、もっぱら電話でやり取りしてたから。



「だから、先生がもうすぐここを出て行っちゃうのかなって思ってたんです。それは、本来いいことなのに」

「いつかは出るよ。いくら何でも君におんぶにだっこってわけにはいかないから」



「それで、ここを出て、ここの近くに引っ越して、ここに通うよ」

「通うんですか?」

「まあ、相棒だろ?俺達」

「……相棒」

「あれ、もしかして違う?」




 ちょっとおどけて笑ってみせる。



「なんですかそれ、もう!」



 月島が、噴き出した。

 バカバカしいと思ったのかもしれない。


「つまりだ、俺が言いたかったのはな」

「何ですか?」

「君はもう、苦しまなくていいってことだよ。罪悪感を感じる必要はない」

「…………」

「君は、婚約者がいる俺と、二人でいることに罪悪感を覚えていたんだろ?」

「……はい」



 別に不思議なことじゃない。

 俺だって、婚約者や彼氏のいる女友達と二人で会うかと言われたら多分会わないし。

 だから、中学時代月島が俺から離れたのも、つい今日まで彼女が罪悪感を抱いていたのも当然の話だ。



 別に、悪いことをしていたわけではない。

 知り合いが不幸で心が弱り切っていたから、助けようとしただけだ。

 だが一方で、傍から見れば略奪者の振る舞いと取れなくもない。

 俺と一緒にVtuber活動をしている時間が楽しかったのは本心だろう。月島は嘘をつかないから。

 でも、罪悪感だってまだ消えていなくて。

 それが、こうして溢れているのなら。

 俺が止めなくてどうするのって話だ。



 月島は、俺の方に向き直ると、口を開いた。



「いいんですか?」

「何の話か分からんけど、大丈夫だ」

「ロケ企画とか、考えてるんです。二人でいろんなところを観光して撮影して、動画にしようって」

「いいよ」

「普通にプライベートでどこかに行きたいなって思ってるんです。前一緒にやったソシャゲのコラボカフェとか」

「いいね」



 教師と生徒であることに変わりはないので、変装する必要はあるが、まあいいだろう。

 


「ここからは、本気で行きますからね?」



 月島は、立ち上がると、俺の隣に来て、耳に顔を近づけて。



「責任、取ってくださいね?」



 すっと、耳から顔を離して、月島はリビングを出ていった。



「…………」



 俺は言葉も出せず、ただ頭を掻くことしかできなかった。

 口に含んだ紅茶は、酷く甘かった。






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 これからも二人の物語はまだまだ続いていきます。


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