第44話「元婚約者の終焉」

『じゃあ、一から話そうかな。そもそも、どういう経緯で俺がこうしているのかを』


 

 悪夢かと思った。

 手助が、私が捨てた男が、画面越しとはいえ私を見ている。

 今すぐパソコンの電源を落としたかったが、そんなことが出来ないのはわかっていた。

 そんな葛藤をしている間に両親が、パソコンの画面に体を向けて。



「本当にごめんなさいね、手助君」

「そうだな、私としても監督不行き届きでしかない。申し訳ない」




 両親が、パソコンの画面に向かって頭を下げている。

 客観的に見れば、シュールな光景ではあるだろう。

 だが、私にとっては恐怖でしかない。

 両親は、特に父はそれなりにプライドが高い。

 何も悪いことをしていないのにとりあえず頭を下げたりはしない。

 要するに、何かがあったのだ。

 彼らが頭を下げざるを得ない事情が。



「その前に、ひとついいだろうか?」

『何でしょう?』

「私は、娘から今日とある話を聞いていた」



 父の言葉にびくりと体が震える。

 まずい。

 私が言ったことを、言わせてはいけないと心が訴える。



「お、お父さん、ちょっと待って」

「お前は黙っていろ」



 びくりと、体が震えた。

 父は厳格な人だ。

 私が悪いことをすれば、烈火のごとく怒る。

 だが、今はその真逆。

 怒りを通り越して、むしろ冷静になったかのような態度に、私は何も言えなくなってしまう。



「この子は、手助君が浮気をしたから逃げてきたと言っているんだよ。これについて、何か言いたいことはあるかね?」

『言いたいことしかありませんね。俺は、浮気なんてしてません』

「だ、そうだ。何か申し開きはあるかな?」



 父は、じろりと私を見てきた。

 どうしよう。

 何を言えばいい?どうすれば、この状況を打破できる?

 そう考えていると。



「ねえ」



 ぽつりと、母の声がした。

 今にも消えてしまいそうなか細い声で、泣くのを我慢しているようにも、思えた。



「なんで、本当のことを言ってくれないの?なんで、まだ隠そうとするの?私たちは動かぬ証拠だって手助君に見せてもらったのに」



 母が、目に涙をにじませながらすがるようにこちらを見てくる。

 証拠?

 証拠って何のことだろうか。

 わからない。

 わからないが、ここまできたらもはや自分の罪を認めるなんてことはできない。

 あってはならない。



「何のことだかわからないわ。そもそも、お父さんもお母さんもどうして私じゃなくて手助の方ばかり信じるの?娘とその婚約者の間で主張が違うって言うなら私の方を信じてよ!」

「あなたって子は、本当に……っ!」

「すまないな、手助君、どこで育て方を間違えたのか」




 母はこらえきれなくなったのか、机に突っ伏した。

 父も、顔をしかめている。

 何でなの?

 二人とも、私の味方ではない。

 味方になってくれない。

 ただ私は、両親に自分の味方をしてくれと頼んでいるにすぎないというのに。

 私の何がまずいというのだろうか。



「もう、見てられんよ」



 父はぼそりと呟いて、パソコンを操作した。

 全画面に映し出されていた手助の顔が、小さくなる。

 もう一つ、別のウィンドウが出現した。

 そのウィンドウは何かの動画ファイルらしかった。



「せめて、私達に本当のことを言ってほしかったな」

「もう、遅いわよ」



 だめだ、と直感的にわかった。

 父にパソコンを操作させるべきじゃない。

 動画の内容はわからないが、まず間違いなく自分にとって都合が悪いものだ。

 あれはあってはいけない。

 止めようとして立ち上がるも、時すでに遅し。

 父はマウスをクリックしー動画の再生は始まった。




「あっあっ、すごいのお!」

「――」




 最初に感じたのは、驚愕。

 それに遅れて疑問がわく。

 なぜ、それがここにあるの。

 ひょっとしてあの時録画していたの。

 そして、それを既に両親も見ていたの?

 肩を震わせながら泣いている、母の顔が見えた。

 パソコンから手を離し、こちらに氷のような視線を向けてくる父の顔をまともに見られなかった。



「あっあっあっあっ、そこやばいそこやばい」

「やめて、やめて」

「くるのおっ、すごいのくるのおっ」



 猛烈な吐き気と自己嫌悪に襲われる。

 この女は何をしているの。

 婚約者を裏切り、家族に顔向けできないような真似をして、ろくでもない男に股を開いて。

 あげくに獣のような痴態を、家族や友人にまで見られて。

 いったい、何をやっているの。



「くるのおっ、すごいのくるのおっ」

「いやあああああああああああああああああああああああっ!」




 屈辱と、羞恥と、嫌悪感と、罪悪感で。

 頭がどうにかなりそうだった。



『これが、俺の提示する証拠だ。君が浮気をしていたという、動かぬ証拠だ』

「…………」

『何か反論はあるか?』

「…………」




 何も反論は出てこなかった。

 何かを言う気力すらわかないというのが正確だろうか。




『今日は、何も君に動画を見せたくてこんなことをしているわけじゃないんだ』

「じゃあ、なにが、したいの?」



 心が折れてしまった。

 自分がどれほど愚かしく、醜い獣だったのか。

 それを客観的に見せられたのだ。

 ただ、理想のお姫様になりたかっただけなのに。



『僕と君の間にある婚約を

「え?」



 一瞬、脳が拒んで。

 何も理解できなくて。

 そして、理解できてしまった時、私は自分のを悟った。



『そうすれば、僕と君は未来永劫ただの他人だ。もう二度と会うこともないだろうし、直接的に関わることだってない』

「そ、それは」



 婚約を破棄されてしまったら、私に何が残るの?

 誰かとのつながりはもう全部断たれているのに?



『有責ーーつまり君が悪いことをして婚約破棄をする以上、申し訳ないが君に拒否権はないよ。最初から君に選択肢なんてないんだ』

「そんな」




 すべてのつながりを本当に断ち切られて。

 私はただ、うつむくしかなかったのだった。

 慰謝料の支払いだとか、接近禁止とか、今後は弁護士に連絡してくれとか、いろいろ言われて。

 しばらくして、通話が切れた。



「いやああああああああああああああああああああああああああああああっ!」



 私の、幸せになるはずだった物語は。

 このようにして、幕を閉じた。

 

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