第33話 元婚約者の絶望

 幸せになれるはずだった。

 お姫様のように、愛しい人と結ばれて。

 バラ色の幸せな日々を送る。

 そのために、今の彼を選んだ。

 親友も、交友関係も、何より、最も私にとって近しい存在だった日高手助という人物を。

 全部捨ててでも、掴んだものだ。



 だから、何も問題はない。

 きっと全部、うまくはずだと信じていた。

 信じていたのに。



「ただいま――」



 手助と少女を見た後、マンションの近くにあるスーパーで買い物を済ませて、買い物かごをキッチンまで運ぼうとして。



「あっ、そこ好きっ」

「……え?」



 聞こえるはずがない、嬌声を聞いた。

 間違いなく、今のは女性の声である。



「ねえ待って、そこヤバいそこヤバい」



 しかし、私以外に女性はいるはずがない。

 だから、そんなことはあり得ないのだ。

 だって、私は今ここで無言で食材を運ぼうとしているのだから。

 つまり、気のせい。

 もしくは、彼が垂れ流しているアダルトビデオの音声なのだろう。

 そうに決まっている。



「待って、来る、来る、来る来ちゃう!」



 喘ぎ声は部屋中に響いている。

 ……気のせいとは、到底思えなかった。

 そして、パソコンから垂れ流された音声でもないと、私の勘が告げていた。



「う、そ、だ」



 震える声で、腕で、彼の寝室の扉を開けると。

 そこには。



「あああっ!」

「出るっ!」



 嬌声を上げて、絶頂している妙齢の女性がいた。

 そして、その傍には同じくほおを紅潮させて達している彼の姿があった。

 彼と、その女は、全裸になって結合していて。

 私は、彼らの姿を、他でもない彼の裏切りをその目に焼き付けてしまって。



「あ、え、なん、で?」

「あー、ばれちったか」



 彼は、特に悪びれる様子もなくへらへらと笑っている。


「もー、今日は誰もいないって言ってたじゃない」

「悪い悪い、今日は遅くまで帰ってこないって言ってたんだけどなあ」

「…………はあ?」

「まったく、ちょっとくらい遊ぶのはいいけど、ほどほどにしてよね?」

「わかってるって、

「やれやれ、何人にそれを言ってるんだか」



 そもそも、最初からおかしかったのだ。

 どう考えても仕事をしている気配がないのに、金が有り余っている様子だとか。

 そのくせ、すぐに人の金に手をつけたり、浪費してしまったりという金銭感覚のなさだったりとか。

 私の目からすれば、異様だったそれが、前提を考え直せばすべてつながる。

 要するに、この女性と彼は愛人関係にあり。



 彼の収入源が、この女性であると考えれば、すべてに説明がつく。

 私から躊躇なくお金をとって使ったのは、それが当たり前だったから。

 私に手助のお金を盗むよう指示したのは、最初から貢がせるつもりだったから。

 


「いや」



 いや、あるいはそうでもないのかもしれない。

 他にも女性がいるのかもしれない。

 何人もの女に貢がせて、世話をさせておいて。

 私は、その中の一人でしかないのかもしれない。

 よせ、考えるな。

 理想が崩れる。



「ねえ」



 彼が、言葉をかけてくる。



「な、何?」




 言ってほしい。

 これは何かの間違いだって。

 愛しているのは、私だけだって。

 そんな言葉を、私に言ってくれたのであれば。

 私は、頑張れるから。



「あのさ、次の給料日っていつ?」

「――」




 だから、それを言われた時。

 私の思考は、空白化した。



 ◇



 気が付くと、私の体はマンションの外にあった。

 追い出されたのではない。

 私が、現実に耐えきれず、出ていったのだ。

 マンションの近くにある公園では、子供とそれを見守る母親が何人もいた。



 幸せが待っているはずだった。


 パートナーを求めた。

 優しく、誠実で、私のことを守ってくれる人。

 子供が欲しかった。

 愛情をもって、大切に育てたいと思っていた。

 友人が、必要だった。

 何でもないことを、言いあえるだけで十分だった。



 それを全部捨てて。不意にして。

 私には、何もない。

 何もかも失ってしまった。



「いや、いや」




「いやあああああああああああああああああああああああああああああっ!」



 あたりに私の慟哭が響いた。

 私の膝は、そこから持ち上がらなかった。

 





 ◇




 大変お待たせいたしました。

 ここからが本編です。

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