第32話 月島の母、襲来

「お母さん、なんで!」

「仕事が早く片付いたのよ」



 月島理恵子。

 四十二歳。

 職業、デザイナー。

 夫とは五年ほど前に離婚しており、それ以来一人娘の月島絵里と二人で暮らしている。

 仕事が忙しく、海外を飛び回ったりして家を空けることも多々あるが、可能な限り家にいるように努力している。

 と、いうのが俺が知っているすべてである。

 付け加えるなら、四十代とは思えないほど若々しく、月島に似て美人だということくらいか。


 

「話は聞かせてもらっていました。日高先生、副業として娘の仕事を手伝ってくださっているそうですね。ありがとうございます」



 理恵子さんは深々と頭を下げる。



「あの、頭を上げてください。むしろ、雇ってもらって助かってるのは俺の方なんで」

「いえいえ、そもそも娘がこうしていられるのも全部日高先生のおかげですから。ねえ?」

「お、お母さん、わかってるって……」

「わかっているなら、ちゃんと捕まえておきなさい?ね?」

「もう、余計なこと言わなくていいから!」



 理恵子さんは 「あらあらうふふ」と笑いながら、顔を真っ赤にしている月島を受け流している。



「ともかく、先生がここに住み込みで働きたいということでしたら、私は別に構いません」

 「先生!言質取りましたよ!」



 目をキラキラさせて、月島が正面から俺の両手を握ってくる。

 忙しい子だな。



「あの、お母さん。私が言うのもなんですが、それはちょっとやめておいた方が」



 距離を取りつつ、俺は理恵子さんに言葉をかける。

 ちなみに、彼女には女性恐怖症になっていることは月島を介して伝えてある。

 原因については流石に言えなかったが。



「さすがに、母と娘の二人暮らしに男が一人割り込むのは良くないんじゃないしょうか」



 二年前にお会いした時は、子供を心配しつつも親心をもって娘を愛していたはずだ。

 俺がよくないことをするのではないかと、なぜ警戒しないのか。



「まあ、先生ならよからぬことはしないだろう、とは思いますし。それに、娘も先生にはなついていますから、ね」



 ぱちり、と理恵子さんは片眼を閉じてウィンクした。

 空いている方の目は、月島を向いている。

 何を思ったのか、月島の顔が赤くなる。



「いやでも、男女が同居するのはまずいのでは……お母さんが家を空けるときだってあるでしょうし、何か間違いが起こったら」


 

 月島がびくり、と体を震わせて反応した。

 先ほどから赤い頬がさらに赤みを増している。

 が、理恵子さんは特段気にした様子もなく。



「先生は、娘の好意を利用して、娘が嫌がるような行為に及ぼうと考えているのですか?あ、駄洒落じゃないですよ?」

「いいえ、全然」



 しれっとオヤジギャグを混ぜないでほしい。対応に困る。

 月島が引きこもっていた時は常にシリアスな状態だったので気づかなかったが、もしかすると元々がこういう性格なのかもしれない。

 あと、月島が頬を膨らませながら、なぜか足を踏んでくる。

 体重が乗ってないので痛くはないが、理由がわからない。


 


「であれば、問題ないですね。これからもよろしくお願いします」

「あの、月々の家賃とかは」

「ああ、それはこちらを」



 そういって、月島母は俺に書類を渡してきた。

 つまるところ、これだけの金額を請求する、というものだ。

 払えない場合は、むらむら先生が俺に払う給料から引くとも書いてあるな。

 しかしこれ、もしかしてあらかじめこれを予測していたのか?

 あるいは親子で示し合わせてたのか。



「え、あの、この書類は何?」



 ぽかーんとしている。

 どうやら何も知らなかったらしい。



「いつかこうなる、と思っていたのよ」



 にっこりとほほ笑む理恵子さん。

 月島と似た、綺麗な顔立ちをしているはずなのに。

 ちょっと怖いなと、俺は感じたのだった。



 ◇



 彼女の家でカレーを食べてからもう一週間後。

 俺は、月島家に住むことになった。

 アパートにあったありとあらゆる家具を処分して。

 服など、最低限のものだけを運び込んだ。

 結構いろんなものを月島家に頼ることになってしまった。

 住むまでに、色々とルールを作っていた。

 まず、各々の部屋というプライベートな空間には許可なく立ち入らないこと。

 風呂やトイレなどの空間に入る際には、毎回ノックをすること。

 キッチンには俺は原則入らないこと。

 家賃については、光熱費や食費なども考慮して調整すること、などなど色々あった。


 

 アパートにあった家具は、一括で処分した。

 物理的には使えそうなものがいくらでもあったが、俺は使いたくなかった。

 あれを目にするのは、俺の心が耐えられなかった。

 あの家にあるもので持ってきたのはスマホと着替えくらいのものだった。



「ここが、俺の部屋か……」



 普段は客間として使っていた、空いた部屋があったらしく、そこを使わせてもらうことになった。

 ちなみにだが、位置的には、月島の部屋の隣である。

 


「これ、リスナーにバレたらさすがに炎上しますよね……」

「そうだな」

「黙っておきましょうね」

「そうだな」

「引っ越し記念に、何か食べたいものってありますか?」

「カレーかなあ」

「任せてください!」

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