第25話「ハグ」


 スマートフォン。

 子供からお年寄りまで多くの人が保有する文明の利器。

 俺にとっては、トラウマの象徴である。

 俺はあの日、婚約者と浮気相手のを見てしまい、手元にあったスマートフォンでハメ撮り動画を撮影した。

 そして、預金を全額引き出されていたことに気付いた俺は、茫然自失だった。

 その時スマートフォンを誤操作してしまったのだろう。

 スマートフォンの電源が切れるまで、ハメ撮り動画がループ再生されていた。

 心が折れた状態では電源を切る気力もなく、俺はただ史上最悪の映像を見続け、聞き続けた。

 


「だから、スマホがトラウマになっちゃったんだよな……」

「そうだったんですね……」



 俺の話を聞いてくれた月島は、沈痛な面持ちを浮かべている。

 彼女にしても、やはり婚約者に対しては思うところがあるのだろう。

 それだけ、俺のことを大切に思って、心配してくれているということでもある。

 そう考えただけで、俺の心はかなり救われるんだよな。



「でも、今日の企画で正直解決した」

「そうなんですか?」

「ああ、嫌というほどスマホ触ったからな」

「ああ……」




 スマートフォンを使い、ひたすらガチャを引いた。

 その結果、もはやスマートフォンに対する嫌悪感などは完全になくなった。

 ガチャで爆死していたらまた別の意味でトラウマになってしまっていただろうから、勝ててよかったともいえる。



「そういえば、ガチャの結果って、俺の勝ちでいいんだっけ」

「あー、はい。あれはもう言うまでもないくらい私の完敗です。先生の勝ちです」



 まあ、月島は結局ピックアップキャラ一人も出なかったからなあ。

 最高レアの数だけなら圧倒的に彼女の方が上だけに、微妙なラインだったが、まあ勝ちは勝ちである。



「先生、何かしら買ってほしいものってあります?」

「うーん、特に思いつかないんだよなあ」



 今欲しいものはない。

 しいて言うなら現金だが、それが今言うべき答えだとも思っていない。

 


「あえていうなら、間男の情報かなあ」

「情報ですか」

「戦うためには、必要だからな」

「!」



 すでに、俺の両親と婚約者の両親には連絡を済ませてある。

 証拠のハメ撮り映像まで送ったのだ。

 きっと俺のことを信じてくれるだろう。

 ついでに水野にもなぜかハメ撮りを送って欲しいと頼まれたので送った。

 まあアイツのことだ。悪いようにはしないだろう。



 問題は、間男だ。

 現状、どこの誰だかまるでわからない。

 おそらく、婚約者は間男の家にいると思われるが、そいつの住所がわからない以上、裁判などを仕掛けるのが難しい。

 となれば興信所を使うのが確実かな。



「先生?」

「ん、月島、どうかしたか?」

「先生、ハグしませんか?」

「なんて?」

「聞いてください、先生。私は今非常につらいことがあって心がすさんでいます。癒しが欲しいんです」

「…………」



 そもそも俺にハグされて癒されるのだろうか、と内心思ったが空気を読んで言わなかった。



「そして、先生も今日は疲れたと思います」

「いや、俺は別に……」

「疲れてますよ、先生。顔色が悪いです」



 言われて、スマホでカメラアプリを起動し、顔を見てみる。

 確かに、元気がない。

 トラウマに立ち向かうという行為は、少なからず俺から体力と気力を奪っていたらしい。



「だから、私にくっついて先生も癒されて欲しいんです。あの日、私の側で泣いてすべてを吐き出した時みたいに」

「それはもう忘れて欲しいんだが」

「忘れませんよ」



「私は、先生が私に本音を打ち明けてくれたことが、嬉しかったんです。もちろん、婚約者のやったことは決して許されることではないし、私も怒っています。ですが、



 一番困るのは、俺の心が、彼女を拒んでいないということだ。

 あの日、すべてを月島に打ち明けたあの日から、俺の心は決まっている。

 月島が、精神的な支柱になっている。



「来てください、日高先生」




 聖母のような慈愛に満ちた笑みを浮かべて、月島が両手を広げてくる。

 ああなるほど、俺はいつだってこいつにかなわないらしい。



「お願い、します」



 俺はおずおずと腕を伸ばして、月島の背中に巻き付ける。

 そのまま、身体を月島にゆっくりともたせかけた。

 ハグ、というのにも色々ある。

 親愛、友愛、敬愛、あるいはそれ以上。

 今のハグがそのどれなのか、俺は答えを持っていない。

 けれど、今それは考えなくていいと思う。



「ふふ、よくできました」



 彼女の声を聴いていたら、それを考える必要はないのだとわかるから。

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