第13話「君の顔を見ただけで」
人生で初めて配信という稀有な体験をした翌々日の月曜日、俺はいつも通り職場にいた。
「思ったより仕事がたまってるなあ」
無断欠勤する方が悪いんだけど。
ちなみに、職場には婚約者の件は伝えている。
別に、同情してほしかったわけではなく、単純に無断欠勤に関して他の理由を考えるのが面倒だっただけだ。
むしろ、ここで「身内の不幸」とかいう方がより一層嘘っぽいと思う。
職場の先生方は、少なくとも表立っては俺を責めることはなかった。
ただ、生徒の間まで、その情報が広まり始めているらしい。
教育によくない気がするし、何とかしてストップをかけたいのだが、どうにかならないかな。
まあ、まず間違いなく他の先生が広めたんだろうし手遅れか。一度広まったものはどうやっても取り消せないわけで。
前を向いて粛々と働くしかない。
副業として月島の、むらむら先生のVtuber活動をサポートしていくことになったわけだが、本業である教師としての仕事だっておろそかにはできない。
副業は禁止されてるし、何より生徒に対しては言い訳にしかならないのだから。
◇
「お疲れさまです」
これは単純な疑問なのだが、一般的に学校の教員が職場を出る時間は何時ごろだと認識されているのだろうか。
授業が終わる三時から四時ごろだろうか。
あるいは、一般的に公務員が出ていく時刻とされる五時ごろだろうか。
答えは、どちらでもあり、またどちらでもない。
確かに、そういう早い時刻に帰っていく教員も珍しくはない。
ただ、それは若手でなければという条件が付く。
「一応俺が一番の若手なんだよな」
謎の雑用に、見回りに、授業の準備にと、やることはかなり多い。
なので、俺の場合は学校から出るのは七時を回ることも珍しくはない。
これ、朝早くから職場に着たうえでのこれだからな。
十二時間勤務だ。非常にお辛い。
しかも、昼休憩とかいう概念もあまりないし。
とはいえ、それはあくまで俺自身の選択の結果であるし、仕事が嫌いなわけでも決してない。
嘆いても始まらない。今、俺に出来ることをやるだけだ。
なんて、こんな風に考えられるようになったのは、月島のおかげだ。
彼女が、俺の家に来てくれなかったら、大家に強制的に立ち退きさせられるまでずっとあの場にいただろう。
あるいは、そうなる前に飢えて死んでいたかもしれない。
「日高先生お疲れさま!」
「あっ、お疲れさま」
話しかけてきたのは、同僚の水野京子だ。
養護教諭を担当しており、保健体育の授業を共同でやっているので、同じ部署の仲間みたいな感覚で接している。
まあ向こうがどう思っているかはわからないが。
「最近、どう?大丈夫?」
「いえいえ、問題ありませんよ」
養護教諭をしているというだけあって、水野は生徒の悩みを聴くことも多い。
ゆえに、こうして俺に対しても相談に乗ってくれようとする。
まあ、俺だって婚約者に浮気されて丸一日ふさぎこんでいた同僚がいたら気を遣うだろうなとは思う。
ただ、俺側の事情で正直かなり、言葉を選ばずに言えば迷惑ではある。
彼女と俺の距離は一メートル程度。
二人で話す場合には普通に思えるかもしれないが。
俺にとっては。つい最近女性がらみでトラウマ級の経験をした日高手助にとっては。
間合いが、近すぎる。
「何か私に出来ることがあったら、何でも言ってね?」
まさか、そんなことを言ってくれる人に離れてくれとはとてもじゃないが言えない。
とはいえ、まずい、吐き気を堪えられない。
「い、いや、大丈夫なので」
「そう、顔が青いけど本当に大丈夫かな?」
「いえ、あの、俺ちょっとトイレに行ってきます」
「そ、そっか」
俺の言葉に何と返したのか聞く余裕もなかった。
そのまま、トイレに駆け込んで、俺は吐いた。
「最悪だな、ホントに」
婚約者の浮気を見てから、俺は女性とまともに接することができなくなっていた。
いや、会話することぐらいならかろうじてできる。
人と話すことを一切苦にしていない俺がかろうじて、だ。
さらに言えば、距離が近いと、具体的には一メートル以内に近づかれると、吐き気が止まらなくなる。
ちょうど今みたいに。
あともう少し近づかれたら、彼女のスリッパにリバースしていたかもしれない。
ちなみになんだが、今のところ生徒に関しては大丈夫だったりする。
不幸中の幸いだった。俺が子供を異性として見ていたら危なかったかもしれないな。
婚約者は大人っぽい女性だったこともあるのかもしれないね。
通勤が自転車でよかったよ。
満員電車に乗らないと通えない職場だったら詰んでたな。
トイレを出て口をゆすいでから、廊下に出ると。
「あ」
「お」
制服に身を包んだ、月島絵里がそこにいた。
職員室に何か用事だろうか。
「ははっ」
「え、どうしたんですか?」
「いや、何でもない。本当に何でもないんだ」
さっきまで吐き気が止まらなかったのに。
ただこうして立っているだけでも辛かったのに。
吐き気が、収まった。
それは子供だとか生徒だとかそういう話では多分なくて。
「ただ、お前がすごいなって話」
「?」
月島は、きょとんとした顔で首をかしげていた。
きっとこいつが特別なんだとは、言えなかった。
◇
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