第12話「元婚約者の苛立ち」

「ねえ、洗い物が終わってないんだけど」


 仕事から帰ってきて荷物をいた私が真っ先に目にしたのは、キッチンだった。

 放置されてひどい匂いを放っている。



「ねえってば、なんとかしてよ!」

「ううん……」



 今日は家事をやってもらうように、彼にお願いしていたし、彼も快く了承していたはずなのに。

 ソファの上でポテチの袋を抱えたまま寝ていた彼を叩き起こす。

 何度か叩くとのっそりと起き上がった。



「あ、おかえり。帰ってたんだ?」

「…………」

「ああ、もう六時なのか。そりゃ帰って来るよね。今日のご飯は何かな?」

「ねえ」

「うん?」

 


 目をこすりながらゆっくりと起き上がる彼に対して、つい低い声が出る。

 


「今日の食事は貴方が作るって言ってたよね?それに、あの流しは何?全然片付いてなくて、料理どころじゃないんだけど!」



 怒鳴りつけるような声が出てしまう。

 しかし、これは仕方がないだろう。

 私の言葉に対して、彼は。



「え、ああごめん忘れてた。君がやっといてよ。もう仕事は終わったんでしょ?」

「やっといてって……今日は貴方の仕事が休みだから家事は任せるって言ったじゃない!」



 手助の家を飛び出して今の彼の家に転がり込んでから3日が過ぎようとしていた。

 その間、彼は仕事に一度も行っていない。

 彼曰く、仕事は出来高制らしい。




 なのでまあ、それについてはいい。

 経営コンサルタントとか言ってたしそういうこともあるのかも知れない。

 問題は仕事が休みの日にも家事をまるでやってくれないことだ。

 脱いだものは洗濯するどころか洗濯籠にすら入れようとせず。

 食べ終えた食器はかろうじて流しに置かれているが、それだけ。

 洗うどころか水で濡らしてもいないから食べ残しがこびりついている。


 手助でも家事くらいはやってくれてたのに……。

 料理だけは壊滅的に下手だったから私がやってたけど、それ以外のところは掃除も洗濯もゴミ捨てもほとんど彼がやっていた。

 今更になって手助のありがたみを実感することになるなんて……。



「なんだよもう、君が帰ってきたんだから君がやればいいじゃん!」



 彼は不機嫌になったのか自分の寝室に閉じこもってしまった。



 食器を片付け、脱ぎ散らかされた服を洗濯籠に放り込み、食事を作る。

 今日はカレーだ。

 理由は彼のリクエストである。

 カレーか……手助も好きだったな。

 まあ彼はなんでも「おいしい」って言ってくれていたけど。

 それがいいところでもあり、物足りない部分でもあったのよね。

 


 まあいい。

 私は、寝室の扉をノックした。



「夕食できたわよ」

「うーん、いいや、君一人で食べといて」「え?」

「いや、さっきピザの出前取って食べたんだよね。だからお腹空いてないんだ」

「それならそうと先に言ってくれたらいいじゃない!」


 思わず怒鳴ってしまう。

 手助と同棲していた時には、当然だけどこの人と同棲する機会なんてなかった。

 二重生活なんて現実には不可能。



 私を引っ張ってくれる強引さと男らしさに惹かれて彼を選んだけど、よりにもよってこんなに自己中心的な男だったなんて。



「めんどくさいよ、お前」

「なっ」

「ちょっと散歩してくる」



 彼はそう言って出て行った。

 多分またパチンコだろう。

 彼のために料理を作ったことは何度もある。

 手助と付き合っていた頃から通い妻みたいに来ていたから。

 この家に時間を作ってご飯を作りに来ていたから。



「どうして……」


 けれど、彼が私にお礼を言ってくれたことはないし、まともな感想を口にしてくれたこともない。あの時はそんな態度をクールでカッコいいと思っていたけれど。何のことはない、ただ愛想が悪いだけではないか。



「手助なら、ちゃんとお礼を言ってくれるのに」



 手助は彼ほど顔は良くないが、いつだって感謝の言葉を伝えてくれる。

 手助は彼ほどお金持ちではないが、間違ったことをしたらすぐに謝ってくれる。

 手助は彼ほど個性的ではないが、約束を破ったりはしない。



「なんで、こんなことになるの?」



 私は何も悪いことをしていないはずなのに。



「私は、間違えたの?」



 ぽつり、と口から洩れた言葉は、私の不安を表したものだ。

 一度口にしてしまえば、それは波のように際限なく現れる。

 もしも、彼のところに転がり込んでいなければ。

 もしも、手助の家から逃げ出さなければ。

 もしも、あの時浮気を手助に見られなければ。

 私は、今より幸せになれたの?



「いいえ、そんなはずない」



 普通の顔より、イケメンの方が。

 収入の高くない教員より、高収入のコンサルタントの方が。

 いいに決まっている。

 幸せになれるに決まっている。

 大丈夫だ、焦ることはない。

 近づいたことで、彼に嫌な部分がたまたま目に付いているだけ。

 総合的に考えれば、私は間違いなく最も正しい判断ができているはず。


「大丈夫よ、大丈夫なはず」



 そういいながら、私は無理やりカレーを押し込む。

 どうしても胃が受け付けなくて、手が動いてくれなくて、結局一皿分も食べられなかった。

 一緒に、食べてくれる相手がいないと、ここまで食が進まないなんて……。



「帰ってきてよ……」



 どうせパチンコに行っていて、出るわけがないと思いながらも、私は彼に電話をかけずにはいられなかった。

 もう私には、彼しかいないのだから。



 ◇◇◇


 ここまで読んでくださってありがとうございます。

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