第10話「ゴキブリと風呂、そして裸体」
俺は、脱衣所で服を脱いで手早くシャワーを浴びた。
が、服は先ほどまで着ていたものをそのまま使っている。
月島が母親との二人暮らしであり、俺が着れる服が俺のジャージ以外になかったのである。
女性のみで生活していれば当然か。
「いいお湯でした」
「あれ、シャワーだけじゃなくて入浴もしてきたの?」
「いやシャワーだけだよ」
「じゃあいいお湯ってなんなのさー」
「いや、言ってみただけだよ」
「あはは」
ぽふっ、と拳で二の腕のあたりを叩いてくる。
全然痛くない。
むしろ、こうやってじゃれてくれるのは嬉しい限りだ。
昔の、ナイフみたいにつんけんしていたころと比べれば、随分と柔らかくなっているなと、微笑ましくなる。
「あの、日高先生」
「うん?」
何やら、月島がもじもじしている。
「私もちょっと入って来るね」
「うん?ああなるほど」
どうやら、月島もシャワーがまだだったらしい。
確かに、それはちょっと恥ずかしいのかもしれない。
気遣いがたりてなかったな。反省しなくては。
いや、それはもう今更か。
再会してからというもの、俺は彼女に頼り切ってしまっている。
「何もかもあの子に依存しすぎだよなあ」
また、何かしらの形でお礼をしなくては。
もちろん仕事を手伝うことにはなっているが、それはあくまで労働であり、対価ももらえるわけで。
「お礼をするとして……何がいいんだろう」
月島の好きなものは、絵と美少女くらいしかわからないしな。
俺は絵なんて描けないし、美少女を贈るのは物理的にも法的にも不可能。
逆に嫌いなものはいくらでもわかるんだけどな。
嘘とか成人男性とか、あとは虫とか。
「ぴゃああああああああああああああああっ!」
甲高い悲鳴が上がる。
間違いなく月島の声だ。
ばん、と脱衣所のドアが開いて、月島が出てくる。
一糸まとわぬ、生まれたままの姿で。
「は?」
全裸の月島がそのまま抱きついてくる。
俺に出来ることは両腕と顔を上げることのみ。
思わず間抜けな声を出してしまったが許して欲しい。
あと、なるべく見ないように顔を上に向けているので通報は勘弁してほしい。
「せ、せ、先生!」
下から月島の焦った声が聞こえる。
俺が天井を見つめているので表情はわからないが、きっと蒼い顔をしているのだろう。
「…………何かあったか?」
「ご、ご、ご」
「あ、はい。ゴキブリね」
どうやら風呂場にゴキブリがいたらしい。
昔から月島は本当に虫が嫌いだった。いやもう、恐怖症に近い。
引きこもり時代も部屋にゴキブリがいた時だけは部屋から出てきたからな。
それがきっかけで話すようになったし。
「月島、俺はこれからゴキブリをどうにかするから、離れてくれ。あと、何か着た方がいい。風邪ひくぞ」
「あ」
どうやら、今になって自分の状態に気付いたらしい。
ぱっと、柔らかい肌の感触が離れる。
きっと今頃顔が蒼白から赤に反転しているのだろうなと思いつつ、彼女を見ないようにしながら俺は脱衣所に入った。
◇
その後、ゴキブリをつかんで窓の外から投げ捨てた。
適当な服を着た彼女は、そのままシャワーを浴びて。
なぜか一階のリビングにて、テーブルをはさんで向かい合っている。
「さっきはほんとうにすみませんでした……」
月島が深々と頭を下げる。
「いや、別にいいよ。というか俺の方がごめん」
俺も頭を下げる。
普通に考えてどっちが加害者かと言われれば俺の方だと思うし。
月島家でゴキブリ退治をさせられるのは今回が初めてというわけでもないのだから。
「あ、そんな先生が謝らないください。私が慌てて出ちゃったからですし」
「それとこれとは別だろ。罰なら何なりと受けるよ」
「うーん、あ、先生、私の体、見ましたよね?」
「まあ、一瞬は」
ここで見ていないと言うと嘘になってしまうので、肯定するしかない。
「すごく冷静だったけど、何も思わなかったんですか?」
「…………」
困った。これ、どう答えても角が立つよな?
でも、せめて正直に答えよう。
「なんというか、申し訳ないって感情が一番だと思う」
「そうなんですか?」
「そりゃ、知ってる女性の裸を見てしまったらやっぱり申し訳なさが勝つっていうか……。レディに対してなんてことしちゃったんだっていう罪悪感があるというか」
「まあつまり、私を女性として見てくれている、ということ?」
「それだとちょっといやらしくないか?」
「で、どうなの?」
「ノーコメントで」
単純に、こういうやり取りするの恥ずかしいんだよ。
「~♪」
彼女は、俺と同じで恥ずかしそうに顔を赤らめていて。
ちょっと嬉しそうに、口元をわずかに緩めていた。
まあ、嫌がってないなら別にいいか。
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