第9話「布団には匂いが染みついている」

「うん?」



 目が覚めると、知らない天井だった。

 ここはどこだろう。

 確か、月島と一緒に配信をして、その後は。

 ゆっくりと上体を起こす。体の下が柔らかいので、久々にベッドで寝ていたのだとわかる。

 視界には、俺の姿が映っていた。

 正確には、俺の分身である「助手君」とむらむら先生の立ち絵が、パソコンの画面に映っていた。

 昨日使った機材がここにある、ということはつまり。



「月島の部屋か!」



 あわてて布団からはい出して床の上に降り立つ。

 服装は、昨日来ていたジャージのままだった。

 どうやら人としての尊厳は守られていたらしい。



「あ、おはようございます、日高先生」



 ドアが開いて、月島が入ってきた。

 日曜日だからか、部屋着だろうと思われるスウェットを着ている。



「ああ、月島おはよう」

 


 そうか、俺はあの後寝てしまったのか。

 そして、月島が寝落ちした俺を頑張って運んでくれたというわけだ。

 先ほどまで他の部屋で寝ていて、俺が叫んだから入ってきたんだろうね。



「昨日は、ごめん。あと、ありがとうございます」



 寝落ちしてしまったことを謝る。

 年頃の娘にとってはかなり嫌な思い出になってしまったのではないか。



「ううん、私こそごめんなさい。急なスケジュールで振り回しちゃって」

「いやまあ、結果オーライでしょ」



 一日で配信機材どうにか使えるようになったからよかったものの、そうでなければ大惨事になっていたことだろう。

 これで配信ができないなんてことになっていたら炎上間違いなしである。



 さて今日はどうしようか。

 昨日が土曜日だったから、今日は日曜日。

 出勤する必要もないし、あわてる必要も全くない。

 配信も、次回は確か一週間後にあると聞いているのでしばらくは準備しなくてもいい。



「月島、どうかしたか?」

「ええ、いや、特には」



 彼女は顔を赤らめながら、あからさまに布団を見ていた。



「ああ布団か」

「え、あ」

「いや、俺が片づけるよ。なんだったら、持ち帰って洗うし」



成人男性が使った布団なんて彼女に触れさせたくない。

 生理的嫌悪とかあるかもしれないし、全部持って帰って綺麗にしなくては。

 いやむしろ処分して新しいのを買ってあげたほうが……ああ、俺、金ないんだった。



「いや大丈夫ですから!私がちゃんと洗いますから!」

「でも汚いぞ?」

「汚いとか思ってないですから、全然大丈夫だから!何なら洗わなくてもいいと思ってますから」

「いやそれはちゃんと洗ったほうがいいぞ」



 思わず突っ込んでしまった。

 まあまったく気にしてないというのは嘘だと思うが、俺が気にしすぎてるだけかもしれない。


「ていうか、そろそろ家に戻らないとな。お世話になりました」

「あの、日高先生」


 

 あまり長居するのも悪いかなと思って部屋を出て行こうとして。

 いつの間にか、手を握られていた。

 そこまで強い力ではない。

 タブレットより重いものを運んだことのなさそうな、細い手だ。

 多分、筋力的に、物理的に振り払うことは簡単なのだろうと思う。

 けれど、振りほどくには俺の心の強さが足りなかった。



「お風呂に入りませんか?」


 なるほど。

 この言葉を咀嚼して嚥下して、吸収する。

 そこから考えられる真実は。

 


「臭いよな、俺。ごめんな?」

「ち、違います!そうじゃなくて、あの、どうやって引き留めたらいいかわからなくなってつい……あ」


 言ってしまったと思ったのか月島の顔が朱に染まる。

 俺は嘘をつかない彼女の言葉の意味を考える。



「ふむ……そうか」



 そういえば、昨日お邪魔した時、月島のお母さんはいなかったな。

 常識的に考えて、親が、この状況を見過ごすとも思えないし、今もいないのだろう。

 たった一人の家族が家にいなくて、心細いとか寂しいとか思っているなら。

 それを放置するのはあり得ないよな。



「じゃあ、お言葉に甘えてシャワーだけお借りします」

「はい!どうぞごゆっくり!」

「光熱費がかさむから爆速で出るよ」



 ◇



「さっぱりしたー」



 気が抜けた独り言が出るくらいにはスッキリしていた。



「これ、あとでガス代と水道代払うべきかな?」



 一応仕事場だから請求されないと考えるべきだろうか。

 まあ、あとで訊いておこう。

 シャワーを浴びて、元の服に着替える。

 本来であれば別の服に着替えるのが正しいんだろうが、月島家には男性用の服がないのでどうしようもない。



「月島、入っていいか?」



 こんこんとノックするも、返事はない。

 万一にも着替えたりしていたら問題だと思ってもう一度ノックをする。



「待てよ」



 俺が起きた時、パソコンの電源はまだ切れていなかった。

 俺が寝落ちして、月島も切り方がわからなくなって放置せざるを得なかったと考えるのが自然だ。

 であれば、もしも、自分で電源を切ろうとして、感電していたとしたら?

 まずないが、返事がない以上万が一ということもある。



「入るぞ」



 結論から言えば、月島は着替えていなかったし、何かしらの事故にあったわけでもなかった。

 ただ、顔を布団にぐりぐりと押し付けていた。

 とりあえず、無事なのはわかったが、何をしているのだろう。



「すううううううう!」

「月島?」

「んっ」



 先ほどまで俺の声が届いていなかったのだろう。

 初めて月島が顔を上げて、俺と目が合った。

 先程までしていたのだろう幸せそうな表情のまま。

 急速に顔が赤くなっていく。

 どうしたんだろうか。




「あ、あのこれはその、別に匂いを嗅ごうとしたわけじゃなくて、いや嗅いでいなかったかと言われるとあれなんですが――」

「ああ、重すぎて持ち運べないのか。ちょっと貸して」

「え、いや、違」

「大丈夫だって、全然俺としては重くないから」



 そもそも男女がいて、女子に重いものを持たせるのは良くないと思うのだ。

 とりあえず、布団を抱え込む。



「うん?」

「どうかしましたか?」

「い、いや大したことじゃない」



 月島が抱きついていたからか、あるいは日頃これを使って寝ているからなのか。

 ふわりと、甘い匂いがした。



「……さっさと運ぶかあ!」



 よくないことを考えてしまう前に、邪心を追い出すべく頭を振りながら。

 俺は布団を、洗濯籠まで運ぶのだった。



 ◇◇◇



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