第3話「弁当と、勧誘」
目が覚めると、窓から見える空はオレンジ色になっていた。
「もう、夕方か」
起きたばかりでまだ頭がすっきりしていない。
何がどうしてこうなったんだっけと記憶をたどる。
「月島が来て、色々と話して、それで……」
泣きつかれて、日が暮れるまで寝てしまったということか。
子供か?俺は。
「そうだ、月島は……」
心が限界を迎えて、泣いて、彼女にすがった。
教え子にあのような醜態をさらしてしまったことに対しての、罪悪感と申し訳なさがあった。
「謝らないと……」
そういえば、月島はどこにいるのだろうか、と考えて、後頭部に柔らかい感触があることに気付く。
意識をじんわりと覚醒させながら、窓の方を向いていた視界を上にやると、そこには。
「ああ、起きたんだ」
こちらを見下ろしている月島の顔があった。
小さくて整った顔が、夕日に照らされているさまはまるで絵画のようだった。
つけていたイヤホンをいそいそと外しているので、何かしらを聴いていたのだとわかる。
リスニングの教材だろうか。
いや流石に音楽だろう。教職に毒され過ぎている。
ちらりと画面を見ると、そこには見覚えのある可愛らしい犬耳の二次元キャラクターが映っていた。
これは……いや、人のスマホの画面を見るべきじゃないな。
と、そこまで考えて今の状態に思い至った。
彼女の膝の上に、頭を乗せている状態だったらしい。
膝枕?
柔らかい感触を意識すると同時に、羞恥心と罪悪感が沸き上がってきた。
あわてて、俺は月島の膝の上から起き上がる。
「ああ、いや、すまない」
「ううん、気にしないで」
「いや、気にするでしょう」
思わず敬語になる。
恋人でもない異性に膝枕なんて普通に考えてありえない。
恋人でもまずないけど。
あれ普通に足痛いしね。婚約者に頼まれて昔やったことがあるけど。
「ちょ、ちょっとトイレお借りしてもいいですか?」
「あ、うん。ごめんな」
何時間も動けないのであれば、それはそうなるだろうと思った。
ふらふらしながら月島は歩いて行った。
うん、そうだよね。
足痛いよね。痺れるよね。
動き出すと一気に来るイメージがある。
女の子だし、ある程度正座には耐性があるのかもしれないけど、数時間重しを乗せたまま正座をするなんて人が到底耐えられるものではないはずだ。
トイレから戻ってきて、今度は彼女は体育座りになった。
かなりきつかったらしい。
申し訳なく思いながら、俺も体育座りをした。
傍から見ると結構シュールな絵面ではある。
「先生、お腹空いてない?私、お弁当持ってるんだけど」
「お、そうなのか。あれもしかして、お前学校」
今日は金曜日、平日だ。
当然女子高生である彼女は、教師である俺と同様、学校に行く義務がある。
「うん、休んじゃったね。悪い子だね、私は」
にこりと微笑む。
「別に、学校休むことが必ずしも悪いわけじゃないよ」
彼女に対して、それは伝えておきたいことだった。
いや、伝えてきたことだ。
「むしろ、ごめんな、迷惑かけて」
「謝らないでほしいな。私が、そうしたくてしたことなんだから」
気を遣わせてしまっているよな。
申し訳ない。
「それより、一緒に食べようよ、お弁当」
言われてみれば、俺も腹が空いている。
ただ。
「いいのか?」
「遠慮なんかしなくていいって、あ、先生のお箸取ってくるからちょっと待って」
「いや、やめてくれ」
俺は反射的に答えていた。
「え?」
「箸とか食器とか、道具は全部、何も触りたくないし、見たくない」
食器とか、家具とか。
婚約者との思い出がつまったものをこれ以上見てしまったら、もう立ち直れなくなってしまう気がした。
そもそも彼女の食事なんだし、月島一人で食べてもらおう。そうしよう。
「…………」
月島は、うつむいて口元に手を当て、何事か考えていた。
彼女なりに、俺の心の傷に対して向き合おうと考えているのかもしれない。
十秒ほどだっただろうか。
少し間を空けて、彼女は顔を上げた。
「じゃあ、私が食べさせてあげます」
「え?」
弁当箱を開けて、箸で卵焼きをつまみ、差し出してきた。
俺は、その場に静止することしかできなかった。
「はい、どうぞ。あーん」
「お、おう」
まあ、弁当箱には箸が一つしかないのでこういう結果になるのはわかる。
少し歩けば家の中には箸があるはずだが、それを探す余裕はないし、探したくない。
夫婦箸だし。
「早く食べてください」
「あ、ああ」
戸惑いつつも、月島が差し出してくる卵焼きをほおばる。
「うまい」
いわゆるだし巻き卵。
丸一日何も食べていなかった胃にもじんわりとしみる、優しい味だ。
先ほどより、心が楽になるのを感じる。
「本当ですか!頑張って作った甲斐がありました」
どうやら月島の手作り料理だったらしい。
そういえば、昔から料理はこの子がしてたんだっけ。
母子家庭なので自然と家事スキルは身についたのだと、以前彼女の口から聞いていた。
「まだまだあるので、どんどん食べてくださいね」
「いや、大丈夫だよ」
「遠慮しないでください。ちゃんと食べないとダメですよ」
結局、半分くらい食べさせられてしまった。
あんまりよろしくないことなのだろうが、それなりに満足できた。
丸一日食事をとっていないせいもあるのだろうが、ずいぶんと心が温かくなったような気がしていた。
食事を終えたところで、月島が問いかけてきた。
「日高先生はこれから、どうするんですか?」
「どうするかな」
どうしよう。
というか、今日一日完全に無断欠勤なんだよね。
スマートフォンの充電が切れているから気づかなかったけど、たぶん職場から連絡が来ているんじゃないか?
無断欠勤一度で首になることはないと思うけど、何かしらの処分は免れないだろう。
減給される公算が高い。
事情を話しても、「それはそれ、これはこれ」と考えるタイプか、「知るか!」と感情的にぶちぎれるタイプしかいないからなあ、今の職場。
となると、ただでさえ少ないのにその減らされた収入で家賃やらなんやらどうにかしなくてはいけない。
実家にも頼れない。
というか、実家は金銭的に苦しく、むしろ援助を求められている。
そのため関係も良くない。
次の給料日まで、食事もできない。
キャッシングをするしかないのか。
しかし、教師の信用ってどの程度のものなんだろう。
幸いにも、今まで一度も借金をしたことがないから、そこまで信用が下がっているわけではないと思うのだけれど。
「あの、先生。いま、お金が全くないんですよね?」
「ん、ああ、まあな」
本当に所持金ゼロだ。
今月の家賃、光熱費、そういうのすら払えるかどうか怪しい。
そもそも、口座自動引き落としにしてたから、何かしら入れておかないと自動で止まってしまう。
ガスとか水道とか、止まってないよな?
電気がまだ止まってないのは、明かりがついているからわかるんだけど。
「あの、お金を稼がないといけないってことですよね?」
「まあそうだね」
いかん、この気配は、間違いなく彼女は何とかしようとしている。
流石に教え子から金を借りるのはいかがなものか。
いや、普通にダメだろう。
それならまだキャッシングしたほうがましだ。
駅前にあったような気がする。
そんなことを考えているあいだに、俺より先に彼女が口を開いた。
「先生、私と一緒に
「…………え?」
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