クリスマスイブ

 僕は高校で四人の男女グループからいじめに遭っていた。


 上履きを隠されたり、文房具をゴミ箱に捨てられたりと、最初は誰がやったか分からないような嫌がらせだった。僕が受け流すような態度を取ったのが気に障ったのか、四人は僕に直接的な暴力を振るうようになった。


 小遣いを奪われ、服を剥ぎ取られ、全裸をスマホカメラで撮られ、便器に顔を突っ込まれ、彼らの気が済むまで身体中を蹴られた。


 いじめグループの首謀者は、同じクラスの加奈子だった。

 親がうるさい、親がケチだ、ストレスがたまる。加奈子はいつも愚痴を言っていた。だから、僕をストレスの捌け口にした。


 抵抗なんて、できなかった。僕は父を幼い頃に失くしていて、母が女手一つで育ててくれている。キャリアウーマンとして男勝りに働き、高校に入学後はアルバイトをすると申し出ても、それを却下して勉学に集中させてくれた。そんな母に、余計な心配をかけたくなかった。


 学校に行かずに引きこもることも、すべてを打ち明けることもできない。それでも、卒業まで我慢すればいい。そう思って耐え忍んだ。


 十二月二十三日、金曜日。終業式を終えてそそくさと帰ろうとしていた僕は、加奈子たちに捕まり、「年内最後の大掃除」だといってそれまで以上の暴行を受けた。寒いトイレで裸にされ、全身に水をかけられた。


 凍えてカチカチと歯を打ち鳴らす僕を満足げに見降ろした加奈子は、僕に優しく微笑んだ。


「寒い? あたしは優しいから、あったかいものを持ってきてあげたよ」


 手に持っていた魔法瓶を取り出し、中身を僕の背中にかけた。

 僕は絶叫した。僕にかけられたのは、熱湯だった。のたうち回る僕を残して、彼らは去っていった。去り際に、加奈子は言った。


「火傷にならないようにって、サンタさんにお願いしてみたら? あ、無理か。あんたんところ、片親だもんね。サンタなんか来てくれるわけないよね」


 下品な高笑いとともに遠ざかる加奈子の背中。その瞬間、僕の中の憎悪が、僕という器を飛び出した。

 ――殺してやる、殺してやる、殺してやる。


 翌日、僕はデートをしている加奈子を一日中監視した。クリスマスイブは昼からデートなんだ、と教室でペラペラと喋っていたし、自己顕示欲の塊のあの女はSNSで常にキラキラしたプライベートを自慢しているから、いつどこにいるのかは簡単に分かった。


 ――クリスマスイブの本来の意味も知らないような馬鹿な女。望み通りに、クリスマスイブに殺してやるよ。


 夕方まで降った雪が積もって、白く染まった街に、僕の吐いた息が溶けていく。

 ポケットにナイフを忍ばせ、僕は加奈子が一人になるタイミングを待ち続けた。


 そして、その時は訪れた。

 二十二時過ぎに相手の男と別れた加奈子は、男が駅に入るのを見届け、駐輪場へと向かっていく。

 ――チャンスだ。

 横断歩道を渡る加奈子を追いかけ、僕はナイフを取り出した。


 結論から言えば、僕が加奈子にナイフを振り下ろすことはなかった。なぜなら、加奈子は、僕が手を下す前に、宙に舞っていたから。

 僕の目の前で、スピードオーバーの車にはねられて。


 車は加奈子を轢いた後、ハンドル操作を誤ったのか電柱に激突した。


 僕は無残な姿になった車の運転席に駆け寄った。運転手は、気を失っているようだった。

 次に、加奈子のもとへ歩み寄っていった。


「い……あ……」


 生きていた。

 涙を流して、僕に手を伸ばす。


「た……すけ……て」


 僕の背中の火傷痕が、再び熱を持った気がした。僕は、ナイフを仕舞った。

 はらはらと、粉雪が落ちてきた。一度は止んだはずの氷の結晶が、夜を待ってまた舞い降りてきた。まるで、サンタの出発を見送るかのように。

 月もオリオン座も隠れた空が、静寂の中に僕を連れて行ってくれそうに感じた。


 加奈子が僕の脚を掴んだことで、現実に戻された。後ずさってその手から逃れ、冷やりとした空気がかかとを駆け上がった。

 アスファルトに横たわる加奈子は、学校で見るより小さくなったように感じた。動きが鈍くなってきていて、早く病院に連れて行かなければ、死ぬのは目に見えていた。


 僕はしゃがんで、彼女に優しく言った。


「サンタさんが助けてくれるといいね」


 そして、ショルダーバッグからペットボトルの水を取り出し、彼女にゆっくりかけた。

 ――僕は優しいから、常温の水だよ。


 僕は、彼女に背を向けた。思いきり息を吸えば肺が凍ってしまいそうな冬の夜。あの日、裸で凍えていた僕は、ようやくあたたかい世界に戻ってこられた気がした。

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