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今日は一目散に大窪寺を目指すつもりだったのだが、ビゴーがまずは前山おへんろ交流サロンへ寄りたいと言う。ビゴーの話では、交流サロンでは歩き遍路を完歩したという証明書がもらえるということだった。結願する前に完歩証明とは少しばかり変な話なのだが、ここまで来たのに大窪寺まで歩かないなどというお遍路さんはいないのだろう。地図で確認すると交流サロンは遍路道沿いにあるので、二人でまずは交流サロンに向かうことにした。


交流サロンに着くと何人かのお遍路さんが館内で立ち話をしていた。


私たちは早速、証明書の申請用紙をもらい、名前や住所などの必要事項を記入してスタッフの女性に手渡した。証明書が出来上がるまで三十分ほどかかるというので、その間に私たちは館内を見て回ることにした。


館内には古い納経帳や納め札といったお遍路関連の資料が所狭しと展示されていた。ページが朱印で真っ赤に染まった納経帳や色鮮やかな錦の納め札を見ると思わずため息がもれる。サロンの奥には四十七都道府県ごとに納札入れが用意されていて、私は東京都のそれに納め札を一枚滑り込ませた。お遍路さんがどこから来ているのかを調べるという目的があるのだそうだ。


残念ながら外国の地名を記した納札入れはなく、ビゴーは納め札を納められなかった。さすがに国別の納札入れを用意するのは難しいだろうが、外国人のお遍路さんも多い現状を踏まえると、ヨーロッパやアメリカ、アジアなどの地域ごとや、あるいは「海外」という納札入れを一つだけでも用意する必要はあると思う。


館内に展示された資料はどれも興味深いのだが、私たちを最も喜ばせたのは巨大な長方形の木枠に収まった四国のジオラマだった。


地形の高低が忠実に再現されたジオラマには八十八の札所が置かれている。ジオラマの四方を囲むパネルには各寺院の名前と共に押しボタンが付いており、それを押すと札所のランプが赤く点灯する仕組みである。昔の駅によく設置されていた名所案内版のような代物だ。私たちははしゃぎながら二人で次々とランプを点灯させ、ここは参道が急傾斜で大変だったとか、ここは歩く距離が長かったとか、そんな話をお互いにまくしたてた。


ジオラマの周りをぐるりと一周し、よくもまあこれだけの距離を歩いてきたものだと改めて感慨にふけり、これから向かう大窪寺のボタンを押した。女体山の山腹でランプが赤く点灯した。このお寺がいよいよ最後の札所なのである。


出来上がった証明書には「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」と印刷されていた。なるほど、今この瞬間に、私たちにはお遍路文化を多くの人に広める役割が与えられたのだ。


交流サロンから大窪寺へ向かうコースは四つに分かれているのだが、私たちは女体山越えのコースを選んだ。これは大窪寺までの最短ルートなのだが、所要時間は最も長くかかるコースである。サロンの方に女体山越えのコースを行くつもりだと伝えると、地図を広げながら行き方を丁寧に教えてくださった。ペットボトルの飲料水をお接待して頂き、さあ、出発だ。


栗栖バス停から国道をそれて山道に向かう。ここから大窪寺までの距離は六キロに満たないが、アスファルトに舗装された小道が自然路に変わると傾斜が徐々に急になってきた。この春のお遍路でも傾斜のきつい坂道は何回か経験したし、遍路ころがしも経験した。しかし、呼吸が荒くなり、身体が水分を欲しているこの感覚は久しぶりのものだった。私はようやく思い出した。これがお遍路なのだ。


登り切ったと思った直後に下り坂が現れ、せっかく登った分が失われるのが実に恨めしい。この後はきっと倍の坂道が待っているはずなのだ。ビゴーもほとんど口を開かない。


女体山の山頂が近づくと、今までになかったような急斜面が現れた。坂道を坂道としてそのまま登ることはもはや不可能で、地面に半分埋まったゴツゴツした大石を階段代わりにして進むしかない。いや、階段という表現は生優しすぎる。踏面や高さが一定している訳ではなく、足を掛ける石を一歩ごとに見定めながらゆっくりと登っていかざるを得ない。手すり代わりの細い鉄棒が岩壁の所々に埋められており、これが実に重宝した。


「これが本当に最後のチャレンジだよ」とビゴーが言う。どことなく、言葉の響きがロールプレイングゲームのラスボスを思わせて笑ってしまった。「冒険みたいだな」と私は答えた。


女体山の山頂からの眺望は絶景だった。遠く、いくつかの山峰の向こうにさぬき市の町を見渡せる。崖から突き出た岩壁の先まで行くと、眺めが一層良かった。危険、立ち入り禁止などという野暮な看板はなかった。


お遍路の途中で何回か言葉を交わした男性がこんなことを言っていた。「女体山の山頂からの眺めを見ると、達成感があって、これで結願したような気分になるよ」。底知れない達成感が得られるのは本当だ。


「写真を撮ってもらえる?」


ビゴーがふいに口を開いた。


「もちろん」


ビゴーからスマホを受け取り、さぬき市の方角を背景に何度かシャッターを切った。一週間ほど一緒に歩いてきたが、写真を撮ってほしいと頼まれたのはこれが初めてだ。トシも撮るかと訊かれ、私も何枚か写真を撮ってもらった。もっと緑が深い時期にもう一度ここへ写真を撮りに来てもよいな、と私は思った。


山頂から少し下がった場所には展望台があり、ここから大窪寺の境内が見下ろせる。お寺を真上から眺めたことはこれまでなかった。あと十五分もしない内に、私たちもあの境内にいるはずだ。


山道をすっかり降りてしまうと、山門を経由せずに直接、大窪寺の境内に出てしまった。


「どうする?」


「ここまで来たんだし、山門から入り直そうよ」


私にも異存のあろうはずがない。山門の脇をすり抜けていったん境内から外に出て、改めて山門で一礼し、私たちは八十八番札所大窪寺の境内に足を踏み入れた。

大窪寺は本堂と大師堂が離れた場所にあり、境内の片方の端にある本堂でお参りを済ませてから、もう片方の端にある大師堂へ向かう。途中には、結願したお遍路さんが奉納した金剛杖を集めた寶杖堂がある。私もビゴーも金剛杖を奉納する気はなかった。特にビゴーは、デンマークへの帰国便にどうやって金剛杖を持ち込むのかを真剣に悩んでいた。


大師堂の奥には裏門と鐘楼があった。鐘楼が建っている場所を最初に確認しなかったのはうかつだった。戻り鐘は縁起が悪く、ご法度だという作法はもちろん承知していたが、最後の札所で鐘を撞かないなどという選択肢はない。鐘を撞き終えた後でもう一度、簡単にお参りすれば問題ないだろうと理屈を付けて、私たちは一人ずつ梵鐘を鳴り響かせた。


本堂と大師堂の真ん中にある納経所へ行き、納経帳の最後の空白ページが墨書と朱印で埋まった。


「終わったな。本当に終わったんだ」。私がそう言うと、ビゴーもこちらに向き直り、長かったな、と答えた。彼の顔には達成感がにじんでいたが、私の表情もきっと同じだっただろう。ビゴーが手のひらを顔の高さに持ち上げた。この辺りがやはりヨーロッパ人らしい。二人で強めにハイタッチをすると、パアンと高い音が辺りに響いた。


大窪寺はさすがに結願所だけあり、仁王門の外に食事処が並んでいる。結願の後にお祝いがてら飲み食いしようという参拝者は少なくないのだろう。そのうちの一軒に入り、私たちも日本酒で乾杯した。香川県の酒蔵で仕込まれたというその日本酒は、果実のような味わいがあり美味しかった。


私はこの後も今夜の宿まで歩くが、ビゴーは帰国の都合もあり、バスで山を降りるようだ。この春のお遍路の初日にたまたま出会って以来、私たちは一週間ほど共に行動してきたが、それもここで終わりである。


ビゴーが乗るバスの時間まではまだ少しあるので、一足先に私は店を出ることにした。


「じゃあね」とビゴーが日本語でそう言った。ビゴーはもう二度と会わない人に対する挨拶は「さよなら」で、また会うだろう人に対する挨拶は「じゃあね」だと理解しているのだ。


「じゃあまた」私もビゴーにそう日本語で返し、店を出た。


納経帳は埋まったが、お遍路はまだ終わりではない。私はこれから一番さんに向かうのだ。

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