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国道を歩いて大きな橋を三本渡った後、わき道へそれて屋島山の登坂口に到着した。二十一度の傾斜を示す黄色の道路標識を横目に、私は急な坂道を登り始めた。


朝の運動としては少し重いかもしれない。しかし、驚いたことに、私が登り始めたこの坂道を、すでに山頂まで行って折り返したと思しき年配の人たちがジョギングしながら降りてくる。彼らの身体能力の高さに私はすっかり脱帽してしまった。私は、ジョギングはおろか、歩きながらでも二度の休憩を挟んでいるというのに。


今朝は普段より一時間以上も遅くに歩き始めたのだが、ビゴーも同じように遅いスタートだったらしく、登り坂の途中で合流した。寄り道をしながらのビゴーに今日は私が追いついたのだ。何ら示し合わせた訳ではないのに不思議である。


八十四番札所屋島寺の境内は山中の寺院としては珍しく、明るく開放的な雰囲気に溢れていた。私の目の前には砂利を敷き詰めた庭園風の景色が広がっている。多くの山寺はもっと荘厳な空気を醸しているものだ。それに輪をかけたように、お遍路ツアーの団体が二組あり、境内は何とも和気あいあいとしていた。ひょっとすると、コロナ禍の前にはどこのお寺にもこのような光景がありふれていたのかもしれない。


屋島寺と次の八栗寺は、それぞれ屋島山と五剣山の山頂に位置しているため、歩き遍路はいったん山を麓まで降り、そこから再び山頂まで登らなければならない。どちらの山も決して標高が高い訳ではないのだが、このある種の非効率性は、一年前に苦労して歩いた鶴林寺から太龍寺までの道のりと同じ性質のものだった。


「これもお遍路のうちだから」というビゴーの言葉に私は頷きながらも、山頂をつなぐ橋が架かれば効率性も上がるだろうにと、詮ないことを考えていた。


屋島寺からの遍路道は一本道、のように私たちには見えたのだが、どこをどう間違えたのか、私たちは遍路道と百八十度違う向きに進んでいて、いつの間にか自然公園の中をうろついていた。全く不思議なのだが、お遍路の最中にはしばしばこのような現象が生じるのだ。


ハイキングやウォーキングを楽しんでいる人が何人かいたのが幸いで、彼らが私たちに道を教えてくれた。知らなければ絶対に分からないと思える曖昧な雑木林の小路を抜けて、どうにか遍路道に戻ることができた。悪戦苦闘の末に屋島山の麓に降り立った頃には結構な時間が経過していた。


「だいぶ時間をロスしたなあ」


「これもお遍路のうちだから」


そう答えたビゴーの声にも、先ほどのような元気さが感じられなかった。


八栗寺の手前一キロの所にはケーブルカー乗り場があり、それに乗れば最後の急坂を避けることが可能だ。しかし、私たちはもちろん歩きを選択した。歩いていると突然、町中の騒音がすっと消えた。その静けさは八十五番札所八栗寺の境内まで続いており、お遍路さんが金剛杖に付けた鈴の音だけが境内の隅々まで鳴り響いていた。


八栗寺は一見すると完全に神社かと見まがう寺院だ。鳥居や狛犬、諸堂の屋根の形状といった構成要素もさることながら、雰囲気が神社に似ているのである。もっとも、寺院と神社の空気の違いについて真正面から訊ねられたら、私はきっとそれには答えられないのだが。


八栗寺から次の札所へ向かう途中、遠くの方に「日本最古の電車」の文字と、古めかしい車両の前面部が目に入り、私は胸がときめいた。小さな頃の私は鉄道少年だったのだ。車両は香川県内を走る「ことでん」のお下がりで、駅のホームを模したスペースには軽食がとれる屋台風の飲食店があった。そして、そこにはお遍路休憩所も併設されていた。


せっかくだから何か飲んでいこうと思い、店先のメニューを眺めていると、突然、中から店員さんが出てきて、飲み物を一杯お接待しますと言ってくれた。私がビゴーに「ラッキーだったな」と悪戯っぽく言うと、ビゴーは「でも、申し訳ないから僕は他にケーキか何か注文するよ」と答えた。


二人で飲み物を選んでから日当たりのよいオープンスペースでくつろいでいると、先ほどの女性が注文した飲み物を運んできてくれた。


「はいどうぞ。お待たせしました」


トレーの上には飲み物だけでなくシフォンケーキが二切れ乗っていた。「これで、ケーキも注文する必要がなくなったじゃないか」。私が笑いながらそう言うと、ビゴーは苦笑いでそれに応えた。


それにしても、本当に四国のお接待文化というのは他に類を見ないものだと思う。これこそホスピタリティの真骨頂ではないか。日本各地を旅行して回った外国人が再び訪れたい場所として挙げるのは東京でも京都でもなく、四国だという話を聞いたことがあるのが、それも頷ける。日本の重要な観光資源として、この地をもっと大々的に宣伝してもよいのではないだろうか。


私たちは温かいお接待に対して心からお礼を述べてから、志度寺に向かって再び歩き出した。八十六番札所志度寺が近づくと、真っ赤な五重塔が境内の外からでも目立っていた。しかし、仁王門をくぐり抜けると、まるで植物園のような境内に私は驚いた。多種多様な植物が所狭しと生えている。境内の奥には無染庭や曲水式庭園があり、これらも立派なのだが、私には「植物園」が何より印象的だった。


志度寺を打ち、次の長尾寺へは県道をほぼ一直線に南下してゆけばよい。


八十七番札所長尾寺の境内に足を踏み入れた瞬間、私は幼少期によく連れていってもらった運動公園を思い出した。それは、だだっ広い砂場にブランコや滑り台、ジャングルジムなどがぽつりぽつりと配置されていた公園だった。


運動公園とは違い長尾寺の境内にはもちろん遊具などないが、広い砂地の境内が幼少時の記憶を呼び起こしたのだ。他の札所と比べて諸堂が少ないというわけではない。しかし、それが敷地内の一方の側に固まっているために、それ以外の場所に対し物が何もないような錯覚を覚えるのである。一体なぜこのような配置にしてしまったのか、不思議に思えてならない。


お参りを済ませて納経所の扉を開くと、中華まんを売るようなショーケースに並んだ甘納豆入おはぎが目に留まった。長尾寺の名物だというそのおはぎは、普段なら平日には販売していないそうだ。しかし、今日はたまたまバスツアーに参加した参拝者の一人が予約を入れていたらしく、それが少しだけ残っていた。私はこれも何かの縁だと思い買い求めた。お遍路を歩いていると色んな縁があると感じるが、おはぎの縁というのもたまには良いだろう。

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