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風景が昨日とは打って変わり、樹木が生い茂った自然路を登っていく。やはりお遍路はこうでなくては。気分良く歩き始めたのはよいが、石鎚休憩所を過ぎた辺りから傾斜は急になり、歩くスピードが目に見えて落ちてきた。私には雲辺寺山の遍路ころがしよりも、今日の山道の方が数段きつく感じられる。飲み物を持たずに登り始めたのは失敗だった。
今しがた登ってきた方角に市街地を見下ろせる展望台で一休みしていると、ビゴーが下から登ってくるのが見えた。
彼は本当に歩くのが速いのだが、身長が高く足が長いのが要因のひとつであるのは間違いない。ビゴーはスマホアプリを利用して歩行距離を記録していたが、アプリが自動計算した距離の長さは実際の数値よりも必ず短めに表示されるのだ。アプリは歩数に基づいて距離を計算しているはずなので、ようは彼の歩幅が平均よりも広いという事実を意味している。私たちは展望台で合流し、休憩の後に遍路ころがしを一緒に登り始めた。
地面に木材を埋め込んで階段が作られているのは峠を越えるお遍路さんのためなのだが、踏面の奥行きが歩幅と合わないため歩きづらく、私は金剛杖を突きながら脇の坂道をわざわざ選んで歩いていた。階段を登るよりも膝への負担が軽いのだ。しかし、さらなる急斜面に差し掛かると、やはり階段なしには登れない。結局、五・五キロの山道を登るのに丸々二時間もかかってしまった。
遍路ころがしを登り切った先は峠の頂で、この先はアスファルトの舗装路が緩やかな下り坂を作っていた。昨日、あれだけ不満を述べ立てたアスファルト道が何とも恋しく感じられるのだから勝手と言えばその通りである。しかし、実際に足取りはようやく軽くなった。
八十一番札所白峯寺は五色台の一つである白峰の山腹に境内を構えている。白峯寺の山門は形状が珍しく、正面から見ると屋根の両袖が階段状に低くなるように造られていた。本堂と大師堂は境内の最奥、最も高い場所にあり、遍路ころがしを越えて来た身には長い石段が辛かった。
境内には崇徳上皇を祀った頓証寺殿がある。ビゴーが「あれ、モンスターだ」と言って指差した先には烏天狗の石像が建っていた。烏天狗とは珍しいと思い、ビゴーに説明しようと口を開きかけたが、言葉が出てこない。よく考えたら烏天狗が何なのか、私はまったく知らなかった。日本文化や伝統についてもっと知っておかねばと痛感するのはこんな瞬間である。
納経所で朱印を頂き、しばしの休息とベンチに腰掛けていると、一匹の猫が背後から私たちに近づいてきた。ベンチの下に潜り込んだかと思うと、あっという間に私の膝上に飛び乗り、くつろいだ様子で丸くなってしまった。猫は至極当然といった感じで一連の動作に全くよどみがないばかりか、警戒心というものがまるで感じられない。猫とはこんなにも人に慣れる動物だったろうか。寺院の参拝者は年配者が多いため、追い回されたり無理に撫でられたりした経験が、この猫にはほとんどないのかもしれない。
「今日のお遍路はこれでお終いかい?」
私と猫を交互に見やり、ニヤリとしながらビゴーが言う。膝に猫のぬくもりを感じて心地良いが、さすがにずっとこうしてはいられない。すっかり目を閉じている猫をそうっと抱き抱えようとすると、私の心中を察したのか、猫は無言でノロノロとベンチに移動してくれた。次に誰かが来るまでここで待つつもりなのだろう。
白峯寺から根香寺までの遍路道もアップダウンが大変だが、歩いていて気持ちの良い自然路だ。ツツジやヤマザクラ、シイノキなどが何層にも重なり深い木立を形作っている。遍路道の端には一定の間隔をおいて低い石碑が立っていて、そこには陸軍用地と彫られていた。かつては軍人がこの山道を訓練で走り込んでいたりしたのだろうか。そう言えば、現在はこの近隣が自衛隊の敷地になっているのだった。
途中、十九丁と呼ばれる遍路道の分岐点に出た。ベンチが置かれていて休憩できるのだが、そのうちの一つに衣装ケースが積まれ、中に缶入りの飲料水やお菓子が用意されていた。ケースには臨時接待所と書かれた張り紙が貼られている。暑さと息切れで飲み物を渇望したのは、この春のお遍路では今日が初めてだ。それだけに、この場所にある接待所は心底ありがたい。ビゴーと私とで飲み物を一本ずつ頂いた。
私はベンチに腰掛け、お接待で頂いたお茶を飲みながら、この接待所についての説明書きを読んでいた。それによると、小児がんを患い、幼くして亡くなった少女の名前を取って「景子ちゃんのお接待所」と名付けられたこの接待所は、三つの願いを込めて運営されているのだった。お遍路さんが無事に結願できること、子どもたちが命を大切にすること、そして病気や障がいを持つ子どもたちへの支援の輪が広がることである。
この話をビゴーにすると、彼は少し顔をゆがめた。ビゴーは医師である父親から、がんで亡くなる子どもの話を聞かされたことがあったそうだ。どう手を尽くしても救えない命があるという無力感に医師が悩まされることもある。自身も医師を目指しているビゴーは、私の説明を、私よりも身近な苦しみとして理解できたのだろう。
接待所から根香寺までは小一時間ほどだった。八十二番札所根香寺の境内は、山門からまっすぐに参道が伸びていた。さほど長くない石段が何か所かあり、それらを登ると正面に中門が見える。本堂はその先である。中門は両袖が回廊になっており、中には昨日訪れた郷照寺と同じく無数の小観音像が安置されていた。お香の匂いが立ち込めた回廊で深呼吸すると、鼻腔の奥から肺まで芳ばしい香りが広がり、気持ちがふっと落ち着いた。突き当りを右に曲がり、次の突き当りを再び右に曲がると、回廊を抜けて本堂の前に出た。この回廊が、根香寺の本堂に厳粛な雰囲気をまとわせているようだった。
さっき登ってきた石段を降りて、今度は大師堂に向かう。大師堂の造りがこれまた変わっていた。朱色の鳥居をいくつも重ね、奥行きを持たせたような造りなのだ。その他の諸堂はさほど多くないが、本堂と大師堂に特徴があるおかげで記憶が脳裏に刻まれた。
それにしても何と静かな境内なのだろう。四方から種類の違う鳥の囀りが聞こえてくる。ビゴーもこの空間が生み出す空気を楽しんでいる様子で、ふいに、山寺はいいなと呟いた。私も全く同感だ。日本の山岳信仰の背景には圧倒的な存在感を示す山々に対する畏怖だったり、峻険な山中で行なわれる厳しい修行の辛さだったりがあるのだろうが、きっとそれだけではないのだ。深い緑に囲まれた時に感じる心地よさも重要な要素であるに違いないと私は思う。
根香寺でのお参りを済ませると、今日はこの後の道のりが最も長い。白峯寺と根香寺が建つ五色台を一気に降り、高松市街に近い町中の一宮寺まで歩く。ここまで、格別に長い距離を歩いたわけではないのだが、やはり急なアップダウンを繰り返したせいで少々足に来ている。時間には余裕があるのだし、ゆっくりと歩くとしよう。
最初の二キロほどを過ぎると自然路は終わり、舗装路が始まった。それでもよい。今日は遍路道らしい遍路道を十分に堪能した。街中まで来ると、注意深く歩いていたつもりなのにどこかで道標を見落とし、私たちはいつの間にか遍路道を外れていた。交通量の多い大きな通りには遍路道の目印が少ないのだ。
「あれ? これ、道を間違えているな」
地図を見せながらビゴーに言った。
「ほら、これ遍路道じゃないだろう」
「本当? でも、遍路道というのはお遍路の僕たちが歩いている道のことさ」
涼しい顔をして彼は笑うが、「僕たちの遍路道」はお寺に導いてくれないかもしれない。まあ、街中は遍路道を外れやすい代わりに軌道修正も難しくなく、私たちは二人ともそのことを十分に了解していた。
ようやく八十三番札所一宮寺に到着した。このお寺は石畳が美しく、仁王門の床には石を埋め込んで形どったトンボが何匹か飛んでいた。素敵な趣向である。仁王門自体もやや異質で、仁王像の手前に大草鞋がかかっていた。普通は正面に仁王像、そして境内がある内側に大草鞋という配置だが、これにも何か特別な意味があるのだろうか。
境内がどこか賑やかなのは、「紙傘みくじ」などのおみくじが枝に結ばれていたり、奉納された絵馬やカラフルな風車が並んでいるからで、それらを集めた地蔵堂はさながら駄菓子屋のようだ。
そして、境内の華やかさとは対照的に、灯籠が天井を埋める大師堂は宗教施設らしい厳かな空気を醸していた。朝夕の薄暗い時間帯には灯籠に明かりが灯ると教えてもらったが、それはさぞかし幻想的な光景だろう。
納経所で朱印を頂き、今日はここで打ち止めだ。後は宿泊先に向かうだけである。
「僕は電車を使う」。突然、ビゴーが高らかにそう宣言した。「この後はほとんどアスファルトの国道だし、歩いても楽しくないよ」
一理あるとは思う。彼の宿は私の宿よりも数キロ先だし、偶然ではあるが電車の駅から近い。電車移動も悪くないだろう。
国道を歩くのが楽しくないのは私も同じだが、歩き遍路に対するこだわりが捨てられず、私は歩くことにした。
「それじゃあ、また明日」
「また明日」
彼の柔軟さがうらやましくも、またうらやましくもないような、二律背反が同居する不思議な感覚に私はおそわれた。
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