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今日は朝のお勤めから一日が始まった。宿坊の宿泊客は全員、早朝六時に御影堂へ集合し、お大師様にお祈りをささげる。周りを見回すと台湾の兎好きな女性とビゴーの姿も見えた。彼らも善通寺の宿坊に泊ったのだ。


勤行は宿坊泊ならではの魅力だと私は思うが、この時間はさすがにまだ寒く、正直なところ、辛い。本来は正座なのだろうが、我々参籠者には座椅子が用意されていた。いや、ここは正座が本式だと私は思ったが、床の冷たさに決意はもろくも崩れ、そそくさと座椅子に座り直した。ご住職に続いて祈りの真言を唱え、その後は善通寺の僧侶たちのお勤めを見守る。


ご住職のほかに四人の僧侶が壇上でお勤めされていたのだが、私には意外なことに、僧侶の半数は女性だった。尼さんというのか、善通寺には多くの尼さんがいるように思う。これは善通寺派ならではのことなのか、あるいは今までのお寺にも尼さんはいたのに、単に私の目に入らなかっただけなのか。


きっちりと四十五分の朝勤行の後、次は戒壇めぐりである。御影堂の地下にある真っ暗闇の道場を手探りで進むのだ。私が通った小学校では五年生になると社会科見学で長野市にある善光寺を訪れるのだが、そこでもやはり戒壇めぐりがあった。右手の壁を頼りに真っ暗な回廊をそろりそろりと歩いたことを思い出した。


戒壇めぐりを終えると、ようやく温かいご飯にありつける。朝からお茶碗に三杯のご飯を食べ、今日の歩き遍路に備えた。


昨日と同じように今日も多くの札所を打つ。お寺同士の間隔もそう遠くはなく、どれも歩いて一時間から一時間半といったところだ。地図を見ると、一番霊山寺から歩いて千キロの地点が金倉寺の手前にある。本当に、長い距離を歩いてきたものだと我ながらつくづく思う。


七十六番札所金倉寺の茶色い仁王門をくぐり抜けると、境内には何となく余裕があると言うか、敷地の中央部分にゆったりとした空間が作られ、そこに砂地が広がっていた。だから全体的に開放感を覚える境内なのだが、善通寺から来た身には少しばかり狭く感じられてしまう。広さというのはあくまで相対的なものなのだ。


大師堂をお参りしているとビゴーがやって来た。今日もまた連れ立って歩くことにした。


七十七番札所道隆寺は町中にあるお寺で、境内から、その先にある県道を車が往来する音が聞こえる。お寺そのものよりも、大きめの土産物屋が山門前に店を構えているのが私には印象的だった。こういった土産物屋はどこにでもありそうで、実は札所の前にあることは少ない。ビゴーは店先で売られているソフトクリームに大層興味を引かれている様子だ。


「デンマークでは夏になるとみんなでよく食べるんだ」


私にはデンマークを訪れた経験はないが、学会で夏のフィンランドを訪れた時、多くの人がソフトクリームを片手に川沿いを散歩していたのを思い出した。


ビゴーはお遍路の最中に何度かソフトクリーム屋を見かけ、日本でも食べてみたいと思いながら、これまで食べずじまいだったのだと言う。


「目の前にあるんだから食べてみたらよいじゃないか。せっかくだから、おれも食べるよ」


私たちは一つずつ買い求め、食べ終えると私はビゴーに感想を訊ねてみた。


「初めて食べたご感想は?」


「美味しい。でも、コーンがいまひとつかな」


デンマークではもっとしっかりとした生地のコーンを使うようだ。この後の三日間で、私たちはさらに二回もソフトクリームを口にすることになる。


続いて訪れた七十八番札所郷照寺の境内はずい分と立体的だ。山門を過ぎてからいくつかの石段を登って境内の奥へ進むのだが、通路も直線的ではなく、何度も直角に曲がる。本堂をお参りしようとした時、ビゴーが杖で上を指した。杖の先に目を向けると鮮やかな天井画が並んでいる。夏に見た岩本寺の天井画とは違い描かれているのはどれも花で、フラワーアレンジメントを真上から見下ろしたような構図が多い。作品は鏝絵のような立体的なもので、それに後から着色しているようだった。境内も立体的なら天井画も立体的という訳だ。


境内は登り一辺倒ではなく、大師堂の横には地下へと続く階段があり、降りてみると無数の観音像が壁を埋め尽くしていた。一体一体の観音像はただの像だが、数が集まるとそれだけで圧巻である。境内の奥にある池と庭もよく手入れが行き届いており、散策していて楽しいお寺だった。


お参りを終えて朱印を頂き、私たちは次のお寺へ向けて歩き始めた。遍路道は時々県道と交差しながら舗装路の小道が続いている。電柱に貼られた道標を追いながら歩いていくと、やがて私たちは白峰宮という神社にたどり着いた。境内には諸堂が並び、二匹の狛犬が互いに向き合っていた。前方には一風変わった形の、色鮮やかな赤い鳥居が見える。


「おかしいなあ。場所はこの辺りのはずなのに」


私は誰に言うでもなくそう呟き、鳥居をくぐって敷地の外に出た。しかし、周辺にそれらしきお寺は見当たらない。再び視線を鳥居に向けると、七十九番札所天皇寺の山門はこの鳥居の右隣に並び立っていたのだった。しかし、天皇寺の山門から境内に入ると、入り口が違うだけで境内は同じだった。最初に見た神社の境内が天皇寺の境内でもあったのだ。何のことはない、私たちは天皇寺の本堂や大師堂をすでに目にしていたのだった。神仏習合の名残という寺院は多いが、ここは群を抜いている。


「和袈裟を忘れた」


納経所で朱印をもらった後、ビゴーが突然立ち止まって言った。「たぶん、さっきの郷照寺だ」


お遍路を通じて誰でも必ず何かを置き忘れたり落としたりするようだ。私は去年の春に金剛杖を駅に置き忘れたし、一昨日会った台湾女性は歩いている最中にどこかで地図を落とした。



「取りに戻る」


「え?」


「電車を使うよ」


そう言うなり、彼はスマホで電車の時刻を調べ始めると、どうやら郷照寺の方向へ戻る電車に乗れそうだと分かった。


「たぶん遅くなるだろうけど、また後で会おう」


「分かった。また後で」


私たちは同じ宿を予約していたのだった。


それにしても、ある意味で彼は運が良かった。郷照寺とこの天王寺、そして次の国分寺はいずれもJR予讃線の駅が近い。高松市に近いおかげなのか、電車の本数もそれなりにある。これが他の三県だったらこんなに上手くはいかなかっただろう。


私は次の札所へ向けて一人で歩き始めた。今日は朝からずっとアスファルトの舗装路を歩いていたが、国分寺への遍路道はそのクライマックスとでも言えそうな、交通量の多い大きな国道十一号線を通る。記憶をたどってみても、室戸岬への長く辛い遍路道を別にすれば、アスファルトの道だけを歩いた日というのはなかったように思う。大きく右に湾曲した辺りで国道を外れ、その後はほとんど車の走らない細い道を進んでいく。


八十番札所国分寺の境内では多くの樹木が木陰を作り出していた。時折吹き抜けるそよ風と相まって涼しさを感じる。山門から本堂までは松の木立が並び、本堂から大師堂までの通路は杉の木に囲まれていた。とにかく樹木がどれも生き生きとしていて非常に美しい。八十番という切り番に相応しい札所だと思った。


樹々に見とれて立ち去りがたく境内を散策していると、思いがけず、納経所の閉所時刻ぎりぎりになって、ビゴーが姿を現した。きちんと和袈裟を身に着け、顔に満面の笑みを浮かべている。


「すぐに見つかったよ。お寺で保管していてくれたんだ」


「良かったじゃないか」


「その後、国分寺の方面に向かう電車もすぐに来た。すごくツイていたな」


その上、今日中に国分寺のお参りを済ませることができたのだから、完璧なタイミングと言うほかはない。


「でも、一番の幸運はそこじゃないんだ」


私は真顔でビゴーにそう言った。


「天皇寺から国分寺までの道は面白みがまったくないアスファルトの国道だったよ。それを避けられたなんて、君はラッキーだったよ」


それを聞くとビゴーはなぜか得意顔で右手の親指を上に立てた。

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