第13話


「ちょっと待ってよ」

 一ブロックほど走ったところで、私は彼女に声をかけ、足を止めた。私の手を握る彼女も足を止めた。

「どうしたの?」

 彼女が不思議そうな顔で私を見た。

「私達これからどこに行くの?」

 彼女は私の言葉で初めてそれに気づいたのか、一瞬表情をフリーズさせる。

「どうしよう?」

 本当に何も考えていなかったようだ。私は彼女の頭の中には世界の全てを知り尽くした、計算され尽くしたプランがあるように勝手に思っていたので、彼女のそんな人間的な面を知って嬉しくなる。

 私が先に笑い、彼女もそんな私を見て笑い出す。それにしても私がこんなにも笑う人だったとは、私を見ていた彼女も意外に思っているのではないだろうか。

「ねえ、お腹すいてない?」

 笑い疲れて彼女が聞いた。

 そういえば、今日は色々あって朝から何も食べてない。私は急に空腹を感じてきた。

「でも私達、お金持ってないよ」

 どこかで食事をするにしても現実的問題がある。

「大丈夫、そんなの関係ないから、ボクにまかせて」

 彼女の知り合いの店でもあるのだろうか?

 さっきバスの中で見た時刻から考えると、夜明けまでは四時間以上ある。食事をしたって、まだ十分に時間はある。

 時間はあるのに私達はまた走ってる。


 彼女は私を表通りから一本奥に入ったところにあるカフェに連れて行った。落ち着いた雰囲気のお洒落なカフェで、店の入り口前に立った私達は、私が洗濯のしすぎで色褪せたPILのTシャツと、いつもの皺だらけの三年もののユニクロのロングスカートという部屋着のままの格好で、彼女が例の学校の制服姿だ。そんな格好のティーンエイジャーが入っていい店には見えなかった。

 しかし彼女はそんなことなんてこれっぽっちも気にする様子は見せず店の中に入っていく。私も覚悟を決めてついて行く。

「いらっしゃいませ」

 出迎えた大学生くらいのハンサムなギャルソンが私達に親しげに微笑みかけた。顔をしかめられるかもと思ってたので、私は少し安心した。

「外の席は今日はないの?」

 彼女が慣れている様子で通りに面するガラス扉を見て言った。よく見ればその扉はアコーディオンのように畳めるようになっていて、外に店を拡張できた。

「このぐらいの時間から雨が降るっていう予報なんですよ」

 私の前でテレビはずっとつけっぱなしになっていたので天気予報ぐらいは見ていたはずだけど、もちろん記憶にない。雨なんていつから降ってないだろう。そんなものが空から降ることすら忘れていた。

「本当ですよ」

 ギャルソンが私の考えを読んだように言った。言ったとたんにガラスに水滴がついて、遅れてポツポツと音がして、本当に雨は降り出した。

「ね、意外と当たるんですよ」

 ギャルソンが私達を席に案内する。店の中は満席とは言えないまでも、街のどこよりにぎわっていた。私達が楽しげに談笑する人達のテーブルを通り過ぎると、顔を上げて会釈する人が何人かいた。

「ここにいるのは、みんなボク達の仲間だから」

 彼女がそう言うと、店中の視線が私達に向けられたような気がした。私はどうしていいか分からず、とりあえず一番近くにいた赤い眼鏡にオカッパ頭の男性に頭を下げた。仲間というのがどういう関係なのか彼女に聞きたかったけど、今は聞ける雰囲気ではないのでその言葉以上の意味を考えないことにする。

 テーブルについた私達はギャルソンに渡されたメニューを見ながら、三種類のラディッシュと七種類のレタスのサラダ、スモークチキンの木イチゴソース、レバーパテのサンドウイッチを注文した。これらは二人でシェアして食べるつもりだ。飲み物は、私はこれまで飲んだことのないシュウェップスのドライジンジャーエール、彼女はファンタじゃなくメイドインフランスのオランジーナを注文した。

「ねえ、何か話をしてよ」

 ギャルソンが去るとねだるように彼女が言った。食事を待つ間にする話なので、私自身の暗い話や湿っぽい話は駄目だと思って、時間つぶしに祖父にも話したことのある密室で死んだ友人の話をすることにした。少しはマシだと思う。

「私の中等部の時の友人でね、モモカっていう女の子がいたの。私の数少ない友人の一人で、彼女は三年になった時に父親の仕事の都合で家族でサンディエゴに引っ越した。彼女は、私とも仲良く出来るくらい社交的だったから、向こうに行ってもすぐに現地の友達が出来て、その中に悪い友達もいて、親との折り合いが元々悪かったこともあって、その悪い友達と遊ぶことが多くなって、その日も朝帰りだった。彼女の父親は怒ると彼女を殴るような人だったから、彼女は裏口からこっそり家に入ったんだけど、家の中が思ったより静かで、もうみんな起きてる時間なのに何の音もしなくて、私を置いて旅行にでも行ったのかと逆に少し怒りながら、それでもお腹は空いてたから冷蔵庫でも見てみようとキッチンに入ったら、そこに家族全員の生首が並んでいたの。彼女はそれがクスリが見せる幻覚だと思ってしばらく笑い転げていたらしいわ。警察の調べで、犯人はメキシコから流れてきた強盗団の仕業だということが分かって、彼女が派手に遊んでいたからお金持ちの家だと思われて、実際に彼女の家はお金持ちだったんだけど、家にほとんど現金を置いてなかったから皆殺しにされたんだって」

 私はそこまで一息に話した。そうやって話さないと話すうちに違うストーリーになっていくような気がしたからだ。

「あれ? その友人は密室で死ぬんだよね? 強盗団がまだ家に残っていたとか?」

「ううん、強盗団の話はこれで終わり。話はまだ少し続くの」

「それじゃ彼女はそれから?」

「それから――彼女は家族の死にそれなりに落ちこんでみようと努力したんだけど、グロテスクな映像がリピートするだけで無理だったから、相続したお金で全身を整形して、モデルになってグッチとかプラダのショーに出るようになって、売れっ子アーティストのボーイフレンドが出来たと思ったら、クスリのやり過ぎでお風呂で溺れて死んだ。お風呂場に内側から鍵をかけてたから、だから密室」

 なぜか彼女は私が話し終える前からニヤニヤしている。

「ボクもそれとよく似た話を知ってる。でもボクの話は、場所がリオデジャネイロで、コロンビアのマフィアで、家族は庭木に吊されていたみたい。彼女は整形してマルジェラのモデルになったんだけど、エビのアレルギーで死んだって話」

 彼女が言うと、私が話そうとしていたのもそんな話だったような気がしてきた。話し忘れたのはチェーンソーのくだりぐらい。私が言い訳のようなものを考えていると、いいタイミングで飲み物が運ばれてきた。

 私達はそれぞれのグラスを持って乾杯する。久しぶりの炭酸飲料に私の喉が喜びと快感で満たされていく。

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