第7話

 

 ナリアキをバイクのところまで送っていく。

「どうして今日来たのよ?」

 私はやっぱり気になって聞いた。さっきまでバカを言って笑い合っていた今の雰囲気なら、何でも受け入れられる気がしたからだ。

「この前、サヤの料理を食べ損ねただろ。そのことを急に思い出してさ、どうしても食べに行かなきゃって駆けつけたんだ」

 うまい理由を思いついたつもりかもしれないけど、それが本当じゃないことぐらい私にも分かる。私が分かってることをナリアキも分かっている。

 二人がコンクリートの階段を下りる音が、静まりかえった団地に響く。夜に響く。

 ナリアキが足を止めた。

「サヤに会いたかったんだ――」

 ナリアキはそう言って振り向くと、私の肩を両手でつかんで強引に壁に押しつけた。私の目をジッと見て何かを言おうとして、何かをあきらめたように首を振る。何度も何度も首を振る。ナリアキは今にも泣きだしそうな顔をしている。

「ねえ、ナリアキどうしたの? 何か変よ?」

 ナリアキの顔が歪む。私はどうしていいか分からず、さっきと同じように軽薄な笑みを浮かべるだけだ。ほんの数十秒前、何でも受け止められるなんて思ったが、いざとなったら私のような卑怯な人間は逃げることしか出来ない。

 ナリアキが私を押さえつける力が強まり、私に顔を近づけてくる。私は目を開けたまま、そんなナリアキをただ見ている。

 ナリアキの唇が私の唇に触れようとする。

 私は顔を背けた。

「ごめんなさい」

 結局、いつもと同じ私がいる。

 ナリアキからそらせた視線の先に、月に照らされたトカゲかイモリの干からびた死体が転がっている。

 私をつかんでいたナリアキの手がこの星の重力に負けてだらんと垂れる。


 ……続報です、グアム沖に展開していた第七艦隊は国連査察団の到着を待たず、南沙諸島に向けて進航しました。未だ消息がつかめない空母ロナルド・レーガンの行方ですが、同時刻に近くを航行していたリベリア船籍の貨物船の船員が撮影したとされる画像にはミサイルを発射する所属不明の戦闘機の機影がはっきりと……


 眠る前に、真っ暗な部屋の真ん中でスマートフォンの電源を入れてみた。ナリアキから連絡が来てないか確かめたかったからだ。たぶん私の顔はこの暗闇の中で幽霊のようにぼんやりと青く光っているのだろう。

 ナリアキからは何もない代わりに〈死刑〉とか〈断罪〉とか〈火炙り〉という物騒なタイトルの差出人不詳メールが十数通届いていた。内容はどれも微妙に違っていて、送信してきた人物の熱意に素直に感心する。それは例えば、淫乱な森山沙耶――つまり私が獣のような性欲を満たすために、穢れた体を利用して水野成明を騙し、淫売部屋に引き込んでいる。水野ナリアキを色情の魔女――つまり私から守るために、森山沙耶は即刻、自ら命を絶つか、殺人鬼にバラバラにされるべきだとしている。基本、カタカナ語より漢字が多い。

 私もずいぶんと過大評価をされたものだ。嫌味でもなんでもなくそう思う。

 公平に見てナリアキの見た目はかなりいい線だと思う。そんなナリアキに好意を持っているクラスメートが複数いることも知っている。きっとナリアキがここに来ていることを知った一人がそんなメールを送ってきたのだろう。ナリアキはそういうことを察知して、その三角関係的な言い訳みたいなものでここに来たのだろうか? 意外とこういうことに不器用なナリアキのことだから、そんな笑い話のようなことであるような気もするし、違う気する。

 私は記念にそのメールを保存しておこうとも思ったが、結局は削除した。〈天誅〉の次にあったアユミからのメールを削除したからいっぺんに削除した。添付されていた写真も同じ。

 携帯の電源を落とし、暗い部屋の暗い窓から外を見た。

 ちょうど赤い認識灯を点滅させたジャンボジェットが重低音を響かせ、団地の上を通り過ぎていくところだった。私は空の向こうにそれが消えていくまで見送り、そのまま何気なく隣の三号棟の屋上に視線を移すと、見慣れない制服を着たあの少女が私の方を見て立っていた。

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