十七

 マツと別れてから屋敷に帰り玄関前に立つと、異様に人の気配が薄い気がした。いつもは大抵、揚羽(以前は揚羽の母)が出迎えをしてくれただけに、白はほんの少しだけ違和感を覚える。

 莉花は寝ているとして、鹿子姉は先に帰ってきてるはずだけどなぁ。訝しく思いつつ、首を捻っていると、ドタドタとした足音が聞えてきた。

 次の瞬間には勢いよく観音開きの扉が開かれ、ぜーぜー息を切らした揚羽が姿を現す。こころなしか頬が上気している。

「お帰りなさいませ、坊ちゃま。首を長くしてお待ちしてました」

 そんなに慌てなくてもいいのに。つい先程まで、揚羽がやってこないのに物足りなさを覚えていたにもかかわらず、そんな感想を持つ。

「ただいま。今日もなかなか歩き詰めだったよ」

「お疲れですよね。先にお風呂にしますか?」

 新妻みたいな物言いをする使用人の女性の言葉に、白は一瞬だけドキリとする。

「ちょっと休んだら、シャワーだけはもらおうかな。今、誰かが入ってたりする?」

 今、気配が感じとれない鹿子のことを頭に浮かべる。あまり時差なしに帰っただけに、似たような行動をとっている可能性が高い。

 揚羽は首を横に振り、

「いいえ。今は誰も、入ってませんよ」

 と応じる。

「そっか。だったら、素直にいただくかな」

「はい。どうぞお入りください」

 一連の会話になんとはなしにおかしみをおぼえはじめたところで、

「坊ちゃま」

 急に声に芯が籠る。中身が丸ごと切り替わるみたいな調子にほんの少しだけ戸惑ったあと、ああ仕事モードか、と納得した。過去にも何度か、親し気に話していた使用人家族二人の変容を経験しているから、割合素直に呑みこむ。

「旦那様からお話があるそうです」

 シャワーの後でいいと思いますので、書斎へと行っていただけますか? 問いのかたちこそとっているものの、実質選択肢はない。この館で祖父以上に優先される人間などどこにもいないのだから。なによりも、白としても莉花のこと含めていくつか話しておきたかった。

「わかったよ。すぐに行く」

「よろしくお願いします」

 一礼をする使用人の女性に、いつもながら大袈裟だな、という感想を抱きつつ、導かれるようにして、玄関扉をくぐる。その際、ほのかに柑橘っぽい匂いがした。最近、よく嗅ぐ薫りだな、と思い、記憶の糸を手繰る。

 シャンプーか。

 皆が使う大浴場のシャンプーは同じもので統一されていた。だから、白も使っているそれの匂いと同じだろう、と察せられた。揚羽自身が、『今は、風呂に誰もいない』、的な物言いをしたのも、自らに心当たりがあったからだろうか?

「どうしたんですか?」

 きょとんした様子で尋ねてくる女使用人の髪は、まだほのかに湿っていて、白の観察をこれ以上にないくらい裏付けていた。とはいえ、

「いや、なんでもない」

 本当にどうでもいいことだな、と思いつつ、自室に荷物を置きに向かった。

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永遠の夏、あります ムラサキハルカ @harukamurasaki

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