十五

 下山後、いくつか向日葵が咲いているところを巡回したあと、駄菓子屋でアイスを買いこんだ白は、少々迷ってから、莉花とともに昼食をとりに屋敷へと戻った。揚羽に出迎えられて、用意されていたソーメンを薬味をたっぷり含んだつゆにつけて三人で仲良く食し終えると、

「ごめん、眠い」

 莉花が重そうな目蓋を閉じたり開いたりしながら、そう訴えてきた。どうやら、午前中から日射の下を歩きすぎたのと、例のごとくお代わりした麺が満腹中枢を刺激したらしい。条件としては白もまた同じだったが、そこは散策慣れや、やらなければならないことがある、という意識があるゆえか、とりあえずすぐさま布団に身を転がすような状態ではなかった。

 出発を遅らせるべきか。考えている最中、

「坊ちゃま」

 女使用人に柔らかい笑顔を向けられた。

「ここはわたくしにお任せください」

 自らの胸の膨らみを拳で軽く叩いて自信ありげに告げる揚羽。それに合わせて、莉花もまた軽く目を開き、

「私は寝てるから、白だけで楽しんできて」

 などと勧めてくる。白は幼なじみの言葉を少々残念に思いながらも、

「わかった。そっちも充分に体を休めてくれよ」

 労わりの言葉を口にした。揚羽に背後から支えられた莉花は、舟を漕いでいるのか頷いているのか、首を上げ下げしてから、

「そっちも気を付けてね」

 ゆるい声で応じる。その安らかな面持ちを目にして、やっぱり連れて行けないのは残念だな、と午前中、森の中に連れて行かなかったのを少しだけ後悔した。


 数十分後。白はアイスボックスを背負ったまま足早に木々の間の道を進んでいく。

 莉花を寝室に連れて行く揚羽と別れをかわしてから、誰とも人に会っていないせいか、少々心細さを感じなくもない。最初の方だけ鹿子がついてきた昨日とも異なり、今日はここまで誰とも会えていない。元より、平日の森の中の人通りなどたかが知れていて、稀に散歩をしているご近所さんに会うくらいのものだ。

 一人歩きは慣れているし、ごくごく個人の時間というのも、普段の白であれば苦ではない。しかし、こと今日にかぎっては寂しさが押し寄せてくる。

 とりあえず二人で遊べるはずだったんだけどな。普段からほぼほぼ毎日会っているにもかかわらず、莉花と時間を共有できなくなったことで、どこか調子が崩れていた。

 小中高と同じ学校に通い、時期によって多少の距離感の違いはあれど、常に近くにいた相手だけに、一言で表せない感情や実感に覆われている。ゆえに今回、両親の代わりに莉花がやってくる、という話になった時、少々の面倒くささをおぼえる一方、今年は毎日会えるんだな、という嬉しさもなくはなかった。

 ともにいることが当たり前。莉花はそんな相手だった。

 だから、ともにいたいと思って、それで――

 足が段差に突っかかって我に帰る。見上げれば、古ぼけた鳥居。いつの間にか、目的地に着いていた。頬を張る。とにかく今は、目の前にあることを片付けていこう。そう決めて、一段一段、踏みしめて上っていく。

 その途中、頬からこぼれる汗を拭いながら、昨夜のことを思い出した。

 あれは実際にあったことなんだろうか? と。常識的に考えればぎりぎりありそうな、かと思えばそうでもなさそうな、微妙な境界線の出来事だった気がする。ただ、神様相手であるのならば、そういう基準で考えるのすら間違いなのかもしれない。夢だろうと現実だろうと、マツが自称通りの神様であるのならば、関係なく話せる可能性がある。

 もっとも簡単な疑問の解決方法は本人に直接尋ねることなのだろうが、仮に尋ねたとすれば、現実でも夢でも、マツは気を悪くしないだろうか? 夢の中でのマツは、しっかりと話を聞いてくれた。もしも、現実だとすればそんなに軽く受け止めたのかと思われかねず、また夢だとすれば本物と偽物の区別もつかないのと臍を曲げてしまうかもしれない。……いや、ここまでマツの人間性(神様性?)が小さいことはないだろうと考えてはいるが、世の中にはもしも、というものが存在するので、万が一の事態にびくびくせざるを得ない。

 程なくして階段を昇り終えた白は、唾をごくりと飲みこみ、門をくぐる。眼前の石畳には昨日と同じく人影は見られない。もしかして、いないのか? 昨日聞いた散歩に出ることもあるという話と、昨夜の出来事を思い出し、浮かんだ可能性に、アイスが溶ける前にあらわれて欲しいものだと、願いつつ、社の方まで一歩一歩進んでいく。

 不意に目の前が真っ黒に染まる。

「だーれだ」

 聞き覚えのある声と同時に、目を覆っている隙間から紅潮した肌色に染まった光が差しこんだ。これは指先なのだと遅まきに理解した白は、

「マツ、さん?」

 おそるおそる答えを口にする。途端に視界が開けた。

「せいか~い。あなたのマツさんですよ」

 素早く前方に回りこんだ少女は、昨日と同じように夏用のセーラー服に身を包み、いたずらっぽく微笑んでいる。まだまだ日が高い時刻であるせいか、あるいは声の調子のせいか、こころなしか実際にあったかどうかはっきりとしない夜よりも明るめの印象を白は持った。

「ごきげんよう、白君。思ったよりも早く来てくれましたね」

「そうですかね……」

 もしも莉花が昼寝をしなければ、もう少し森の中で道草を繰り返し、昨日と同じように薄暗い時刻の訪問になっていたかもしれない。

 マツは、そうですよ、と肯定してから、わずかばかり背伸びをしながら、掌を白の頭に乗せてから、

「ちゃんと約束を守ってくれてありがとうございます」

 優しく前後に動かす。

 撫でられている。一拍置いて理解した白は、

「子供扱いしないでくださいよ」

 思わず口に出した。

 朝方の揚羽といい、今日はそういう日なのだろうか?

「わたしから見れば、今生きている人間は等しく子供みたいなものですが……そうですね、子供扱いされたくないという白君の気持ちももっともですね」

 そうい自らにさせるように口にしたマツは、少しだけ残念そうに俯く。白は、悪いことをしてしまっただろうか、と罪悪感に駆られたものの、される方はされる方で恥ずかしいのだという理由で、子供扱いしないでという発言は正当なものだったと自らに言い聞かせた。

 程なくして、再び顔をあげたマツが、コホン、と一つ咳払いをする。

「それでは大人の時間にしましょうか」

 言ってから、マツはちらりとクーラーボックスを見やった。すぐさま、その意図を察した白は箱を開く。

「今日のお供え物です。どうぞ、お納めください」

 軽く頭を下げながら、ソーダアイスを差し出す。

「うむ。苦しゅうない」

 わざとらしく大仰に応じたマツは、アイスが入った水色の小袋を受けとり、嬉々とした顔で開封する。

「そうこれですよこれ! 白君、いい仕事をしましたね!」

 包装を石畳の上にポイ捨てしたあと、いただきます、と口にして、豪快にかじりはじめた。神様的に、いいのかそれ? 白はそう思ったものの、

「やっぱり夏といえばソーダアイスですね。異論は認めません!」

 気持ちいいくらいの満面の笑みを目にして、おそらくこれでいいのだろうと納得する。

 それから掘削作業じみた勢いで、掻き込むようにアイスを消費していたマツは頭がキーンとしたのか、顔を顰めてこめかみの辺りに手を添えこそしたものの、すぐさま復活するや否や、あっという間に一本を食し終えた。

「じゃあ、行きましょうか!」

 主語のない言葉の連なりに首を捻る白に、マツは、腰を下ろしていた賽銭箱前の階段から立ち上がりながら、

「思い出の風景、探しに行くのでしょう?」

 そう告げてから、違うんですか、と付け加えた。

「そうしていただけると、ありがたいです……」

 マツは、よし来たと言わんばかり、既にアイスを無くなった棒を豪快に一舐めしてから、がばっと立ち上がる。

「あの、マツさん」

「なんですか、白君?」

 少女の問いかけに白は、あてはあるんですか? と尋ねた。マツは深く微笑んでから、

「ありませんよ」

 きっぱり言い切った。

 なんで、そんなに自信満々なんだろう、と思う白の前で、マツは、ですが、と応じたあと、

「なんとなく、みつかる気がするんですよね」

 やはり根拠のなさそうな物言いをする。

「それも勘ですか」

「はい。勘です」

 断言したマツは、先んじて鳥居の方へと歩きだす。その後を追いながら、白は、あてはなくてもどこに行こうとかは決めてたりするんですか? と尋ねた。少女は、どこかしらから取り出した麦藁帽子をかぶってみせてから、いいえ、と振り返り、

「とりあえずはぶらぶらと散歩です。神様との散歩ですよ。光栄でしょ?」

 力強く告げる。

 白は、はいそうですね、と応じながらも、ぶらぶらすることに関しては、もう飽き飽きするほどこなしていたため、ややうんざりする。

 そんな白の心情を知ってか知らずか、マツは、自らのなだらかな胸を叩き、ご安心ください、と口にしてから、

「きっと、楽しいお散歩になりますよ。きっと、ね」

 いたずらっぽく言った。

 不安だ、と白は思う。

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