第3話

 目覚めた菅沼すがぬまけあきは、幼児期をやり直しているようだった。

 それまで食べさせてもらっていたのを、自分でスプーンを使うようになった。もちろん、最初はうまくいかない。口元だけではなく、服やテーブル、床まで食べこぼしで汚した。

 体力がついてくると、以前のヨチヨチ歩きからかけ足になる。もちろん、すぐに転ぶ。声を上げて泣いていると、そのうち見かねた少女が集まってくる。小学生の女の子に抱きつき、頭をなでてもらう。また、積み木の家が出来たと、自慢してくる。

 子供向けの絵本には興味を示さず、やはり、セダカ君の本を所望した。

 言葉は、大抵、国民的アニメで覚えた。土産に、そのキャラクターのぬいぐるみを渡すと、きゃあきゃあ言って喜んだ。

 ある時、食堂でけあきの食事につきあっていると、おませな少女から教えられた。

 恋人の部屋に忍び込むなら、夕食と風呂の済んだ後の自由時間だと。

 お互い、年頃である。興味のないはずはない。こういうことは、誰に教えられずとも心身が自ずと欲するものなのである。

 覚醒から一年ほどして、けあきは眠り姫に戻った。

 常駐の医師によると、これは今までの長すぎる睡眠ではなくてより重い意識障害らしい。

 医師は仮説を示した。以前、月岡つきおかには生まれつき盲目で音を知らない少女が居た。その娘もけあきと同じように、男の子と恋をした。そして、言葉を理解した。しかし、少女は重すぎる代償を支払ったのだとも。

「ところで君、幼児期健忘は知っているかい」

 ヒトは言葉で世界を理解し、記憶するのだ。だから、未分化な世界は、やがて消え去るのだ。

「そろそろ三木本みきもとでは放課後講習が始まる頃だろう」

 医師は、けあきの意識障害の理由に勘づいている。私は、深呼吸して言った。

「せつなの恋でした」

「まあ、君には君の道がある。頑張りたまえ」

 それが、けあきの顔を見た最後の日だった。

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