第51話 珈琲と望郷とキノコ探し


 朝目が覚めると、目の前に毛がふさふさとしていた。

 

 紫紺の尻尾で起こされるなんて……ちょっと幸せ。

 昨日の夜に女神から貰った紅茶と珈琲のセットを持って一階に降りる。

 歯を磨いたり顔を洗った後、いつもの日課の暦表を動かして、それぞれのテラリウムに魔力水を吹きかける。

「あっ」

 思わず声を出してしまった。小川のテラリウムの中に、小さな鹿が草を食べている。

 これ、もしかしてカゼノシカかな? 小さな鹿の隣には豆粒程の大きさの小鹿もいて、ほっこりとする。

 球体の上から覗けるのはこのテラリウムの世界のほんの一部分だけかもしれないけれど、なんだか嬉しくなってしまう。


 今日の朝はせっかくだからギルマスが言っていた名物料理の足りない材料を探しに行こう。

 それさえあれば、美味しいボルボルが食べられるなら、頑張ろうって思ってしまう。


 朝の食事はパンと何にしようかと思ってマジックバックをごそごそしていると、鳥の卵がにゅっと出て来た。

【鳥魔の卵:レア度2:追加情報>鳥魔の卵、濃厚で美味】

 あっ森のテラリウムで卵取ってきてたな! 思いっきり忘れていた。ギルドに納品忘れてた。

 ……うん、せっかくなのでいただこう。

 フライパンで卵を焼いて、ギルド食事セットの中の干し肉を乗せる。

 味付けは塩とカラクルでピリリとした味にしよう。

 せっかくなので焼いたパンの上に乗せてエッグマフィンみたいにしてみた。


 紫紺のお皿にも同じように盛ると嬉しそうに尻尾が揺れている。

 簡易スープも作って、テーブルに並べる。


「匂いからしてすでに美味しそう……いただきます」

 

 かぶりつくと黄身がとろりと溶けた。

 あ、濃厚。美味しい……。

 パンと目玉焼きと干し肉の相性が抜群すぎてこれは朝の定番にしたくなる。


「わふわふ!」

 紫紺の口元の毛は黄身でぺたっとしてしまったけど、美味しかったのだろう。尻尾がぶんぶんと振れている。


 食べ終わった紫紺がまだ物足りなさそうだったので、干し肉をそのまま渡した。

 幸せそうにカジカジと食べている間に食器を片付けて、綺麗になったテーブルに昨日女神から貰った木箱を開ける。

 せっかくなので朝は珈琲を作ろうかな。

 豆の入った袋を開けて、それをミキサーで砕く。上の部分に豆を入れて、刃が付いている蓋を閉めると準備は万全。

 ハンドルを回すと豆が砕かれて下の細長い容器に入る仕組み。

 これで丁度一杯分かな?

 それをドリッパーに入れてお湯を落としていけば、珈琲の良い匂いが漂ってくる。


「ちょっと手間暇かかるけど、こういうのもいいなぁ」

「きゃふ」

 お膝の上に乗せて~って紫紺が前脚でちょんちょんとつついてくるので、抱き上げてその黄身が付いたお口を拭きながら、コーヒーの液体が下に落ちるのを待つ。


 淹れたてのコーヒーを飲めば、思わず呻いてしまった。

 美味しい。懐かしい味。もう、飲む事が出来ないあの世界の味。

 他のものでは思い出さなかったのに。

 ただその苦さが、戻れない世界を思い出してしまった。


 死んでしまった事を、ずっと……考えないようにしていた。

 もう戻れない事も。

「きゅふ……きゅふ……」

 目元を押さえて下を向いた事を紫紺が心配してくれている。

「だい、じょうぶ。……はは、心配かけてごめん。俺は、大丈夫だから」

「きゅ……」

「俺は次の人生を、ここから始める事が出来て良かったって思っているよ。女神は正直ちょっと残念な人だけど、この世界で良い出会いがいっぱいあったからね」

 町のギルドの人たちも、紫紺も、テラリウムの中で出会った森の主やワールだって。

 

 ここに来たばかりの数日は、自分が元の世界に戻る事が出来ないって実感が湧いていなかった。

 けれども珈琲の懐かしい味にじんわりとして、あの世界を思い出したからこそ……心もこの世界に馴染んできたような気がする。

 望郷の想いは、もう二度と帰れない故郷にこそに募る物だから。


 俺は珈琲を飲みながら、その香りにしばらく浸っていた。




 さ、朝の珈琲を飲み終わると、なんだか身体がぽかぽかとしてきた。

 何故だろうと豆を鑑定すると【珈琲:ヨーロピアンブレンド:遠い地の嗜好品。効果:一定時間幸運上昇】と出た。

 ……特殊効果付いてる!!

 まだ挽いた豆が残っていたので、持ち運び用のボトルの中に珈琲を作って入れておくことにした。


 今日の採取は森のテラリウムにしよう。森のテラリウムにはウシや鳥もいたし、きっとヤギも……いると信じたい。


 紫紺を影に入れて森のテラリウムの中に入れば、風が優しく吹いていた。


「えーと、今日の目標はヤマノゴートの乳とイノリダケだけど、鳥の巣に行って卵も……ちょっと欲しいな……なんて」

 あっとそうだ。ワールを呼び出して放牧する。

 ワールは美味しそうに生えている魔力草を食べ始めた。

 なんというか、家で食べさせるよりもテラリウムの中で食べさせた方が食いつきがいいんだよな……。


 乗せてくれた労いを込めてボルボルの実とかはあった方が良いかもしれないけど、朝の食事はテラリウムの中で自分で探して食べてもらおう。

 

「きゃふきゃふ!」

 紫紺も影から飛び出してきて、森の中で嬉しそうにはしゃいでいる。

「紫紺も遠くに行きすぎなければ遊んで来ても良いぞ」

「きゃふ!」

 ぴょこぴょこと跳ねるように紫紺も遊びに行ってしまった。可愛いけど、ちょこっとだけ寂しい。


 さ、今の間に素材を探そう。

 この前鳥が案内してくれた鳥の巣に行けば、鳥が少しだけ巣を開けてくれる。

 じっと俺を見て分けてくれるみたいだ。

 ありがたく卵を採取させてもらう。何かお礼……とか、できるだろうか。うーん。


 ……球体のテラリウムに追加で素材を植えると中の環境に影響しないかな? もしそれが可能なら柔らかな枝や蔦なんか、このテラリウムの中に無い素材を今度入れてみるのも良いかもしれない。環境が変わらなければいいけど、その辺も考えてみよう。


 なんて思いながら森を探索していると、茂みの中にきらきらと光る物があった。

 あ、シルキースパイダーの糸! これ確か鞍の素材だったよな。蜘蛛にはちょっと申し訳ないが少し採取させてもらう。

 他にもないかなって茂みを掻き分けていると、何かの動物と目があった。

「メェェェ」

「ひっ」

 細長い顔に瞳孔が縦に入っている。

 羊……じゃなくて、これはヤギ!

【ヤマノゴート(雌):レア度1:追加情報>滋養強壮に良いヤギ、雌の乳は活力剤にもなる】

 

 本当にいた、ヤマノゴート!

 ぼふっと茂みから顔を出したのか、メェメェ言いながらこちらに擦り寄って来た。

 ……思った以上にヤギの顔怖いぞ。少し腰が引けている。

 俺も少し茂みから離れると、ヤギは俺の腰に優しく頭突きをしてきた。

「もしかして乳が出る、とか?」

 ヤギの後ろには子ヤギが二頭もいた。何故気づかなかったんだろう、俺。

「メェェ」

「……少しだけ毛と乳を貰ってもいいかな……」

「メェェ」

 幸運上昇の影響? ……どうやら俺はこの世界に相当甘やかされている。

 

 ありがたく液体を溜められる革袋を取り出して、そこにそっと乳を搾る。

 ぎゅっと握ったら、痛かったのか蹴りが飛んできた。

 す、すみません。

 昔何かで見た牛の乳の搾り方を真似てそっと絞る。

 最初は全然でなかったけれど、コツを覚えたら搾れるようになってきた。

 どのぐらい搾ったら良いだろう。子ヤギの分も残した方が良いよなって思っていたら、丁度袋がいっぱいになったぐらいでヤギが身体を揺すった。

「ありがとう。これだけ取れたらきっと大丈夫なはず。助かったよ」

「メェェェ」

 ヤギを労う気持ちで魔力水……魔物系には喜ばれるから効果あるかなって口に向けて噴霧したら喜んで飲んでいた。


 あとはキノコだけだと思ったらワールがキノコをもしゃもしゃ食べながらこちらに歩いてきた。

 ……ワールさん、そのキノコ……もしかしてイノリダケか??

 

【シュノダケ:レア度3:追加情報>木の虚で発酵したキノコ。酒の代わりになる。美酒】

 そっちのほうか~~。

「いや、そちらも飲んでみたいんだよな。どこにあったんだ?」

「ビィィーーヒック」

 よ、酔ってる!!

 何とか宥めておだてて生えていた場所に案内してもらうことにした。


「わ、キノコが群生してる……!」

 少し見通しの悪い木々の中で、少し湿って土も腐葉土みたいになっている場所。そこの木にはたくさんキノコが群生していた。

「見つけた!」

 どうやら、イノリダケの群生地のようだ。その中でも条件がそろうとシュノダケになるのだろう。

 毒キノコもちらほらとみえるけれど、そこは鑑定様のおかげでなんとかなりそう。

 イノリダケをたくさん袋に入れていく。


「ひとつぐらいなら、シュノダケ食べてもいいかな?」

 シュノダケをむしり、キノコの傘の部分を口に含むとじゅわりと染み出してきた。


 う、旨い~~。これブランデーに近いのか? 濃厚で旨い!!

 あ、意外と酒の成分強いかも。溢れた液体をじゅじゅっと吸ってしまう。

 これは確かに。水割でもソーダ割でもいけるな。


 周りを見れば、ワールが見事にシュノダケだけ選んで食べようとしているので、慌てて他の木にあるシュノダケを採集する。

 ……イノリダケもシュノダケもいっぱい採集してしまった。

「このぐらいでいいかな? あとは紫紺と合流して今日の採取はおしまいにしよう」

 

 なんてほくほくとワールに乗って、最初に来た場所まで戻ると、紫紺が尻尾を振っていた。

「おーい、紫紺もう帰ろう……うげ」


 紫紺が尻尾を振ってはしゃいでいる。

 いや、それは物凄く可愛い。抱きしめたい。だけどその隣にある巨体は……。


「あの、紫紺さん……?」

「きゃふきゃふ!」

 お肉、美味しかったの! だからいっぱい取ったの!!

 なんて言葉が聞こえてきそうだけど……。


 巨大なイノリシシが二頭重なっていた。


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