第3話
ハンナヴァルド子爵とはどんな家なのかと問えば、毒々しいまでに美しく残酷で邪悪な家系だと教えられるだろう。
現当主ハンナヴァルド子爵ハルバードは彫刻のように美しい容姿をしているが、その性格は冷酷無慈悲で、些細な粗相をした使用人を磔の刑に処し、亡骸を庭に埋めているという噂がある。
その妻ヘンリエッタは悪魔と契約をしたと噂されるほど美麗で、夫同様に人としての感情が欠落しているとしか思えないほどに冷たく、気に入らない使用人を池に落として溺死させてはそのままそこに沈めていると噂されている。
三人の子供たちは半分悪魔の血を引いているともっぱらの噂で、その容姿はこの世のものとは思えないほどに美しいが、両親以上に残虐な性格をしており、少しでも気に入らない者がいるとその場でいたぶり殺してしまうとの噂だ。
ハンナヴァルド子爵家の悪評は、何代も前のある当主が、どこからともなく一人の娘を連れてきたときに遡る。
一人息子の嫁にと連れてきた世にも美しい少女は、一目で息子の心を奪った。すぐに結婚した二人だったが、直後に当主とその妻が謎の死を遂げた。若くして当主の座に座った息子は、最初のころは心優しく民思いの当主であったが、日に日に独裁者のように振舞うようになっていった。
新しい当主と娘の間には、娘以上に美しい男女の双子が生まれた。地上に降り立った天使とまで称されたその双子は、成長するにつれて残虐な性格が表れるようになった。
双子の男の子は成人してすぐに父を当主の座から追いやると、それまで以上の圧政を民に強いるようになった。双子の妹はその美貌を活かして隣国の王子に嫁いだのだが、そう間を置かないうちにその国は内部崩壊を起こして地図上から姿を消した。
妹は王国が崩壊する前に実家に帰っていたため混乱に巻き込まれることはなかったが、王子はその際に命を落とした。未亡人となった妹だったが、たぐいまれな美貌から引く手あまたで、またすぐに別の王国へと嫁いだのだが、その国もそう長くはもたなかった。
彼女が嫁ぐ先は必ず不幸が訪れるとまことしやかに噂されるようになっても、結婚の申し込みは後を絶たなかった。
妹が嫁ぎ先を不幸に陥れている間、兄は遠い国から見目麗しい女性を嫁に迎えた。
お人形のように美しい女性は、嫁いできてすぐに二人の男の子と一人の女の子を生んだ。その子供たちは両親と同じく驚くほどに美しい顔立ちをしていたが、性格は冷酷そのものだった。
それ以降、何世代にもわたってハンナヴァルド子爵家は美と冷酷さの代名詞として存在し続けていると言うのが、表向きの姿だ。
実際、ハンナヴァルド家に古くから受け継がれている文献を紐解けば、事実として記されていることもある。
若くして当主の座に就いた男が独裁者のように振舞ったこと、双子の兄が成人してすぐに父親を当主の座から引きずり下ろしたこと、妹の嫁ぎ先に次々と不幸が訪れていたこと。それは紛れもない事実として記されているのだが、双子の兄が父以上の圧政を敷いたとするのは誤りだ。
双子の兄は、傍若無人な父親から民を守るために権力の座に就いたのだ。
妹に関しても、まるで彼女が何かをして崩壊させたかのような口ぶりでささやかれているが、実際はただの偶然だった。当時は戦乱時代真っただ中で、大小さまざまな王国が建国しては滅亡していた。
不幸な偶然の連鎖とその当時の世相、ハンナヴァルド家の人々の並外れた容姿が複雑に絡み合った結果、このような悪評が生まれてしまったのだ。
しかし、悪評も時代を経ればそれ自体がブランドとしての価値を作り出す。
美しくも冷酷な一家と言うフレーズは、一定の人の心には深く刺さるらしい。恐れと羨望が入り混じった民衆の興味は、やがて期待へと変わっていった。
ハンナヴァルド子爵家の人間ならば、毒々しいまでの美しさと、震えあがるほどに威圧的で冷酷な性格を兼ね備えていなければならない。その二つが揃って初めて、ハンナヴァルド家の者だと証明ができ、そこに価値が生まれるのだ。
民衆からの期待に添うように、ハンナヴァルド家には美形しか生まれなかった。しかし、性格に関しては期待に添えなかった。そもそも、こんなレッテルが貼られる原因になった双子からして冷酷な性格ではなかったのだから、期待するほうが間違っているのだ。
それでも、ハンナヴァルド子爵家は偽りのブランドを保とうと必死に努力していた。
冷酷無慈悲と噂されるハルバードだったが、その性格は温和そのものでどちらかと言えば気弱なほうだった。粗相をした使用人を叱るなどととんでもない。むしろ、粗相をするのはいつもハルバードのほうだった。
よそ見をしていてサイドテーブルにぶつかって花瓶を落とす、礼服のマントをドアに挟めて破く。そんな小さなミスをしては、使用人に小言を言われていた。
ヘンリエッタも気さくで社交的な人柄で、些細なことにまで気を配れる人だった。使用人たちの誕生日をすべて覚えており、毎年プレゼントを欠かしたことがない。気に入らない使用人を池に落としたことなど、当然ない。
子供たちも残虐とは程遠い性格で、ロンバードにいたっては見ると倒れてしまうほどに血が苦手だったが、ハンナヴァルド子爵家のイメージを守るために、一家は外では冷酷なふるまいをしていた。
幼いころから培っていた悪役令嬢のごとき傍若無人な振る舞いは、多少のことでは崩れることはない。どんなに内心で動揺したとしても、表面上は冷静さを失わずに表情を取り繕うことができる。あの日、突然現れたライナルトに驚き焦っても、完全にオフモードだったシスティナ以外は誰一人としてあからさまな動揺を顔に出さなかったように。
システィナだって、きちんと化粧をして“ハンナヴァルド子爵令嬢システィナ”として座っていたならば、あんなにオロオロとすることはなかっただろう。
そう、化粧はいわばシスティナが“システィナ”でいるための仮面だった。
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