風雲が呼ぶのは 八

「お兄さま!」

 と、貴志を呼ぶ穆蘭の声。

「しばしのお別れです!」

 声に振り向けば、穆蘭は鵰ごと、消えていなくなってしまった。コヒョがなぜ刑天になっていたのか、話を聞くこともなく。

 と思えば、

「槍が……」

 甲板に置いた衛兵の短槍も、消えてゆく。

 次いで香澄の方を振り向いた。彼女なら何か応えてくれるのではないかと期待したが。

 何も言わず、首を横に振るばかり。

 源龍も羅彩女も、マリーもリオンも、子供の姿に戻ったコヒョも、何も言わない。

 まるで言葉がなくなったかのような、不思議な静寂。渦を巻く『怨』の字も、何の音も発しない。

 ただ、この静寂こそが『怨』なのだと、なぜかそんなことを貴志は考えていた。

 そして静寂ゆえに恐ろしいのだとも。

 貴志は懐から筆の天下を取り出した。筆は何の反応も示さない。今は何も書けなさそうだ。

 筆の天下をじっと見据え。瞬きをすれば。

 自分たちは石窟の中にいた。

 半円の出入り口から光が差し込み。その光が、石窟の中央に座す仏像を、壁に彫られた菩薩像を見せる。

「光善寺(クァンソンシ)だ」

 自分たちは、瞬く間に、異界の空を飛ぶ船から、暁星(ヒョスン)の慶群(キョングン)にある石窟の中へと移されたのだ。

「ここは、あの寺か」

 源龍は不思議そうに言う。ふと自分を、他の面々を見れば、よそおいはそのまま。

「わっ!」

 驚く声。桶と布巾を携えた小僧が石窟に掃除に来たのだが、中に人がいるのを見て驚いてしまったのだ。それも、武装をしているではないか。

「大変ですっ!」

 と、桶を落とし水をぶちまけながら逃げ出してしまった。

「違う、違うんだよ!」

 貴志は苦笑しながら外に出る。他の面々も一緒に外出て歩き出すが。しばらくしてわいわいがやがやと人の声がしてくる。

 その人の声の中に、

「また何かあったんじゃのう」

 という、老僧の声も。

 法主の元煥(ウォンファン)だった。

「ご法主、李貴志でございます」

 貴志は先頭に立ち、小走りで人々の元までゆき。老僧、法主の元煥の前で跪いた。

 貴志は五男とはいえ宰相の子であり、李家は建国に功績のあった五大家のひとつで、王族でもあったが。貴志はもともと差別をせず人をひとしく敬う性質であったとはいえ、そんな位の高い者が法主に跪くのは、相当なことだった。

 それもそうで。元煥はこの寺の法主であると同時に、都の漢星(ハンスン)に招かれ王の政(まつりごと)の相談に乗り、助言もするほどの人物であった。

 今現在、暁星が安定しているのは、元煥の働きもあった。なので、貴志の元煥を慕う心はとても深かった。

「おお、貴志殿。この様子だと、また何かあったようじゃの」

「……はい」

「源龍」

 香澄も元煥を見るや、源龍にうながしながら素早く跪いた。

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