風雲が呼ぶのは 七
マリーにリオン、コヒョも、拍子抜けのひどい疲労感を禁じえず、座り込んでいた。
「結局、何も出来なかったな……」
貴志はぽそりとつぶやき。脇に置いた短槍に目をやる。
応える者はなかった。
香澄は何を思ったのか、跳躍して帆柱のはしごの上の方まで飛んで、さらに跳躍して帆柱にある見張り台に乗った。
地上を見下ろせば、岩盤ばかりの不毛の地。雑草ひとつもない。空は分厚い雲が覆って。人どころか鼠も虫すら、とても生きられそうにない世界なのが見てわかる。
鳳凰は飛んでゆく。己を追う船などおかまいなく。どこへゆこうというのだろうか。
「……」
香澄は見張り台で、揺らめく豪奢な尾羽を眺めて、たたずんでいた。
「なにさ、気取っちゃって」
香澄と瓜二つの容貌ながら、性格は大きく違う穆蘭は、そうつぶやいて鵰の背で風を受ける。
「……」
香澄は鳳凰の、そのまた向こうの、鼠色の空の彼方を眺めていたが。
「気を付けて!」
と、声を張り上げた。
何事だと、一旦座り込んでいた面々は立ち上がり、得物を構え。コヒョは刑天に姿を変え。用心する。
見よ、鼠色の空の彼方が、徐々に赤くなってゆくではないか。それは夕陽が見えてきたのかと思われたが。
「蝶?」
赤いそれはなにやらもぞもぞと動きを見せ、まるで蝶の大群を連想させたが。雲まで至らぬとはいえ、相当な空の上である。いくら風に乗れたとて、蝶や蛾などの虫がこの高さまで来られるとは思えなかった。
「虫はここまで来れないと思うけど」
「じゃあ、あれじゃないか、怨みの……」
「『怨』の字!」
とか言ううちに、その赤い、蝶のような『怨』の字の大群は迫ってくる。しかし鳳凰は知らん顔だ。
やがて四方八方、赤い『怨』の字に包まれてしまった。地上の岩盤の不毛の地も、曇天の空も見えない。ただひたすら『怨』の字があるばかりだ。
それは渦を巻き、真ん中に空間が出来て。その中を鳳凰と船、鵰は飛ぶかたちになった。
誰も何も言わない。言えない。
気を抜けばあらぬものに取り憑かれて我を失ってしまいそうな、いやな感じはひしひしと感じた。
この『怨』の字の渦はどこまで続くのか。出口は見えず。永遠に続くかのように思われた。
はっとするように、貴志は甲板に落ちていた人海の国の本を手に取ってみれば。
表紙の題字も、頁の字も、なにもかもなくなってしまい。それは本ではなく、白紙を束ねたものになっていた。
「なくなった、人海の国の物語が……」
貴志は声にならぬ声でささやいた。
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