求める戦い、求めぬ戦い 四

 どれもこれもが、『怨』『怨』『怨』。『怨』ばかり。それも、血の赤さ。

 あの、風情を感じさせるお伽話はどこへ行ってしまったのか。

「滅んだわ」

「滅んだ?」

「人海の国は、滅んだわ。みんな、鬼に食われて……」

「おいおい、本気で言ってるのかそれは」

 羅彩女は沈黙するばかり。絶句しかない。

 連れ去られた人々は奴隷として酷使されるどころか、食われるなど。想像の範囲外である。奴隷で酷使されても、生きていれば救出の機会はあったろうが。

 食われてしまったとなれば、もう……。

 香澄の目から涙のしずくがあふれて、零れ落ち。頁の『怨』の字に落ちたが。なんとその涙すら赤く、血のように赤く染まったではないか。

「……」

 貴志は短槍を左手に持ち替え、右手で懐から筆の天下を取り出し。

 その筆先を本に、『怨』の字につけてみれば……。

 筆の天下の筆先が、まるで血のような赤に染まる。

「これは、ただの赤じゃない」

 貴志は呻くように言い。他の面々は黙して成り行きを見守る。

「これは血で、魂なんだ」

 営々と築き上げてきた人海の国の営みを、無分別な暴力によって一瞬にして破壊され。人々の心身も破壊され。

 その無念さはいかばかりか。

 筆の天下の筆先は、真っ赤に染まった。貴志の手が持ち上がる。

「違う、これは僕が動かしてるんじゃない」

 ということは……。他の面々は察して、押し黙る。

 己ならざるものの意思によって貴志の右手は動き。筆も動けば。

 まるでそこに紙があるかのように、『怨』の字が描き出されたではないか。同時に筆先は元の白さにもどった。

「間に合わなかった……」

 リオンとコヒョも、声を震わせる。マリーはたまらず落涙。

 『怨』の字は、一同を見下ろすように宙に浮いている。

 何か音を発することもなければ、何か光を発することもない。ただその赤を見せつけるばかり。

「ごめんなさい……」

 香澄も涙を止められず、か細くそう言うのが精一杯だった。

 源龍と羅彩女は無表情で、黙するのみ。

 貴志は衛兵の形見である短槍に目をやる。

「……!」

 貴志は穂先に視線を集中させて、絶句し、

「これ」

 と見せてみれば、他の面々も、視線を集中させて絶句する。

 なんと、陽光の光りが反射する穂先の中、あの衛兵が映りこんでいるではないか。それも、悲壮な面持ちで落涙して。その涙が、赤く染まり、まさに血の涙を流す悲壮な姿を穂先の中から見せていた。

 源龍は忌々しそうに、大きく息を吐き出す。

「こいつだって、こんな死に方したくなかったろうよ」

 穂先の衛兵の涙を見て、口元を歪める。

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